昨日は高校時代の同級生、卓くんこと鈴木卓さんの指揮するコンサートへ。
場所は武蔵境の「スイングホール」。
うん、これは近くて良い!
同級生の、すみれ姐さん(仮名)、マッチさん(仮名)と、武蔵境駅の北口にて待ち合わせとのことだが・・・だれもいない・・・。
ちょっと、携帯のメールをやり取りしてみる。

す「あのね、妹が先に改札に着いてるはずだから」
私「は?い、妹?」
す「あ、私みたいな顔してる人」
私「え?私みたいな顔??い、いないよ・・・」

どうやら中央線高架工事で、南口に行ってしまったそう。
後ほど合流しましたが・・・・・たしかに似てます。
そして、すみれ姐さんのご主人とも初顔合わせ。
噂では、かみさんに内緒で次々とバイクを購入、私の安物のギター集めをはるかに超越するご主人だ。
なんだかとっても気が合うかもしれない。。。。。

会場に行くと、高校当時コーラス部であった3年のクラスメイト、S崎さん(仮名)とまさに32年ぶりのご対面。
「あ、伊藤君のブログ見てるよ~!」
おおおおお、伊藤ブログ、密かに蔓延しているもよう。

BRAZILSの、現在とても大きくなったチカミさん(本名)も息子さん同伴で。
2年の時の同級生、Y野さん(仮名)も娘さん同伴で。懐かしい~。

S崎さんの話しでは、私が1年生の時の担任、K原・・・ま、いいか、神原先生が、洗足学園の短期大学で学科長をされているとのこと。
学科長といっても、短大は学部が1つしかないようなので、学長みたいなものではなかろうか。
ネットで調べたら、お元気そうな写真があった。
神原先生、やんちゃな新入生に手を焼いたことだと思います。
でも、とてもいい先生でした。
「伊藤、お前は入試で〇番の成績だったんだぞ~、どうしたんだ!」
どうも、私は入試でベスト5に入る成績だったそうなのだが、入学した途端「わっはっは!一度最下位まで落ちればあとは楽なもんだ!」と勝手に思い、最初の中間試験の朝からホワイトの小瓶を飲みつつ、適当に答えを書いていったら、学年で恐ろしく下位になり、神原先生の嘆きを聞かされたのである。
(ただ、目標全科目最下位だったのに、私より下位がまだ数名いたのには、ちと驚いた)
ちなみに、一度落ちると這い上がるのはたいへんで、この後の3年間で中の上程度がいいところであった。人生甘くない・・・・・。
あと、神原先生から本を借りたことがあった。
「対位法」の専門書である。
クラシックは正直好きではなかったが、フェリックス・ババラルディが「対位法」の理論を用いて、Cream や Mountain などの曲作りを行ったり、初期のディープパープルなどはモロにバッハの手法を用いていたりしたので、少々勉強する気になった。
結果・・・・・勉強しなかった・・・・・。
友人に「たいいほう」と言っても「体位」という文字を想像するらしく、私の研究熱心さは誰にも知られることは無かったのである。
高校1年で「四十八手」とか研究してどうするっ!!

話がそれました。。。。。。


すみれ姐さん
会場前の看板を撮影するすみれ姐さん。

けっこうデジカメに凝っているようだ。

こんな人がブログ書いたりすると、ちと怖いかも。

Mr.Taku
コンサート開始!

K高校ご一行様で、客席最前列を占めてしまった。

たっくん、プレッシャーに全く臆することなく。
さすが!

Mr.Taku_2
なんだか、とてもカッコいいんですが。

Mr.Taku_3
やっぱ指揮者は、背中で見せますね。

少ないリハで、ここまで持って来たのはさすがです、

Mr.Taku_4
タクトもしなっております!

Mr. Taku_5
ちょっとアップに。

意外と動きが早いので、撮るのもたいへんなのよ!

Mr.Taku_6
お疲れ様でした。
1時間半以上のステージ、予想に反して全く眠くなることはありませんでした(失礼!)。

やはり、生はいいですね!

Mr. Taku_7
この清々しい姿を見よ!

お見それしました。

記念撮影最後は、K高校同窓会よろしく記念撮影。
モザイクは・・・・えーーーい!今回はサムネイル拡大せずの大盤振る舞い!!
クレームはお早めに・・・・・・・・。

卓くんの右隣の奥様。。。。20歳年下の奥様。。。。。。
今回、これが一番の目的だったりして・・・・・。
い、いかんよっ!我々が高校卒業する頃、まだ生まれてなかったのよっ!!

え~、なんとも羨ましい男である。


コンサートも終わり、向かいの〇イヤルホストにて軽食、ならびにミニ同窓会。
強引に、たっくん夫婦もお誘いした楽しい一夜であった。

また、呼んでください。
ちなみに、今年は3年ぶりの同窓会やりましょうね。


プログラム
それでは、本日の演目でございます。

いつも、NG’sの練習をしているのが代々木のスタジオ。
で、必ず汗をかいた後の一杯と、反省会を開くのが西口駅前の「喰しん坊 つちや」という超良心的居酒屋である。
当ブログにも再三登場してくる。

最近なかなか予定が合わずリハもあまりやっていなかったので、久しく伺うこともなかった。
で、昨夜は久々に行ってみた。
面子はNG’sの tom斉藤さん、そして最近お会いすることも良くある、学生時代のブルース仲間である 高垣佳典さんである。

後でわかったのだが、久々もいいところ、最後にこの店で飲んだのが5月30日だった。
3ヵ月半もボトルを大事にとっておいてもらった。
社長!ありがとう!!

高垣さん、ブロードバンドというか、映像コンテンツというか、まぁその手のお仕事をされている。
と、同時に THE HALLMAN BROTHERS BAND なる、オールマンブラザースもどきのバンドもやっている。
芸名が、ディッキー・ベッツ・・・じゃねえや、ディッキー・別府。
なんか、ハワイアンセンターとかに出てきそうな名前だ。かなり怪しい。

で、どうもそういったトリビュートもののバンドを集めた LEGEND OF ROCK なるイベントがあるらしい。
高垣氏の話では、ジミヘンの一挙手一投足まで完コピするという「ジミセン」というのが凄いらしい。
さきほどググってみたら、出てきたねぇ。
「ジミ・センズリックス」・・・・・・・・・・・・・・・・・だそうだ。
その他にも多数あり。
やはり、そのネームのセンスに笑ったのは「座椅子ジョプリン」だな。

お二人の地獄から這い上がってきた貴重なお話などを酒の肴に、楽しい一夜を過ごさせていただいた。
酒飲みながらする音楽話って、なんて楽しいんでしょうね。
また飲みましょ!&ブルースセッションもぜひっ!!


つちやのつまみ
この日のオープニング。
刺身三種、プラス諸々。

駅前でチェーン店ではなく、この値段はいつも感心する。
料理の質・味・量も文句なし!


プリンセス・ナンちゃん
NG’sのアイドル、プリンセス・ナンちゃん。

最初はヒマにまかせ、相変わらず我々のテーブルに来てはちょっかい出していたが、後半忙しくなり髪の毛をふり乱しながら働く姿。
ちょっと痩せた?

良かった良かった。


わりかん
律儀に呑み代を割り勘で支払う50男3名。

お・・・・?誰が撮ってるんだ?

ナンちゃんでした。
いつもは撮られるばかり。
たまには。。。。。。。

先日、中学3年生の長女がビジュアル系のバンドのコンサートに出かけた。
父親と、この趣味の違いは一体なんだ!?
で、彼女が出かける前に洗面所から出てきたその姿にビックリ!
おっ!おっ!おまえ、いつから金髪になったーーーーーーーぁ!!!

真っ白のドレス、ロリィタファッションっていうんですか?
おまけに、まさか、カツラまで被るとは・・・・・・・・。
しかも、その服を夜鍋して縫い上げたのは女房だ。

う~ん・・・・・と思いながらも、
8cmヒール、バギーパンツ、パーマ、剃り込み入り、ショートホープくわえてサンシャイン・オブ・ユア・ラブを演奏していた私も中学3年生だった。
あまり人のことは言えない。
と言うか、普段は全然マジメな中学生なんで、余計に言えない。

で、その剃り込み入り写真はまだまだ公開しない。
長女の金髪写真は、親子の縁を切られること間違いなしなので、絶対に公開はしない。

ちょいと歳をくって、高校3年生の時の話。
さて、前回のブログに登場した “BOBO & BRAZILS” なるバンド。
ちなみに私は小学生からの大のプロレスファンである。
クリスマスコンサートの写真がある。
スキャナーが調子悪く、写真をデジカメで撮影したため少々写りが悪いのはご勘弁を。
ちなみに、32年前。
現在は見る影もない別人なので、モザイクなしだ!


BOBO & BRAZILS場所は所沢のヤマハのリハスタジオ。
かなり広い部屋だったので、おそらくクラスの30人くらいは集まったのではないだろうか?

左の女性、いや女子3名が BRAZILS です。
(左より、クニコ姐さん、ムラコ姐さん、チカミ姐さん)
ちと、影になってますが、そのうしろに、すみれ姐さんのお姿が。


BOBO & BRAZILS 2なんて若いのでしょうねぇ~。
左は涙ながらにベースに転向させられたOoeさん。
ストラトを弾くのは、どんなギターも三味線のような音色に変えてしまうS塚さん。
後ろのドラムは、興奮すると鼻血を噴出するE澤さん。

今は亡き、ギャランのチェリーレッドの335モデルを弾くのは私。
あ、この時もオフクロのブラウスを勝手に着てるわ。


Ooe shout可哀想な Ooe氏のために彼のソロボーカルをフューチャーした・・・・・・・・・2度と弾くことはないと思うが、スモーク・オンザ・ウォーター。

ちょっと・・・・個人的には人生の汚点だ・・・・・・。

ちなみにオープニングは、ブルース・プロジェクトのライブバージョンで”Louisiana Blues”。
違いましたっけ?


1回きりの BOBO & BRAZILS の晴れ姿である。
このとき、他にもA沢くんとT船くんのフォークデュオが登場。
鈴木卓くんもフルート吹いたっけ?
BRAZILSのクニコさんと、T村さんのピンクレディーが実現できなかったのが残念。
“WANTED” コピーしたのにぃ。。。

大学入試直前にこんなことやってりゃ、桜散っちゃう人が出てもおかしくはないよなぁ。

本日のおまけ

人の写真を見て、クスクス笑っていると思われる tochi さんのために。
この1年前、田無市民会館でのキミの勇姿だ!!
Mr.tochi 

昨日、高校の同級生、S塚氏がまたも上京した。
彼のことは、こちらのブログにて再度ご確認ください。
先月のお盆休みに上京(帰郷)したばかりなのに、会社の会議で再びやって来たのである。


Mr.S塚@東京フロム尼崎のマクヴァウティ大和氏と飲むときも東京駅の八重洲近辺だが、S塚氏とも前回同様「紅とん・日本橋本店」である。
やはり「やきとん」&「ホッピー」というのが、手ごろに早く酔えて良い。
前回からモザイクなしになったS塚氏。
「高校の同級生たちにメールを送る」の図。
ちなみに手さばきは、かなり遅い。。。。。。
相変わらず、神戸界隈で怪しいオヤヂたちとセッションを繰り広げているそうだ。


高校3年の時、クラスでバンドを作った。
もう、10月頃だったと思う。受験目前である。
クラス内バンドなのに、よく楽器のパートが揃ったものだ。
というか、生ギター派のOOEさんは強引にベースに転向させられたと言っても過言ではなかったか・・・・・。
いまでは、すっかりベース暦30年超であるが。あそこで、人生狂ったな。。。。。
ドラムも間違いなく初心者であった。「リズムの止まるドラマー」という凄いニックネームだった。

当然、ブルースバンドではない。
クラプトンあたりを楽しむって感じだ。

S塚氏は私同様ギターを弾いていた。

そもそも、なぜバンドを?

夏休みに、9月の文化祭(当時、母校は「文化祭」ではなく「学芸発表会」という陳腐な名称であった)にむけてのクラスの出し物である、8ミリビデオの映画作成で盛り上がった。
あ、8ミリと言っても、今の8ミリビデオではない。映写機と言ったほうがわかりやすいか?
これが終わって、さぁ!受験勉強だ!と、ならずに、なぜかキャンプに行った。
そこで盛り上がって、バンド作ろう!という話になったと記憶している。


32年前の高校生これが証拠写真。
左から、S塚・私・OOE。
OOE氏、数少ないギターを弾く写真でもある。

ちなみに、場所は正丸峠。


この3名に、ドラム初心者のE。
キーボードに、スミレ姐さん(仮名)。

バンド名は、 “BOBO”。

コーラスに女性陣3名を入れて、この3名が”BRAZILS” 。
彼女たちの怒声、いや、さわやかな歌声が、なかなかに耳に突き刺さったものである。

都立K高校3年7組に、 “BOBO & BRAZILS” というバンド誕生である。

単純に、クリスマスコンサートをやろう!という集まりであったような気もするが。

ちなみに、翌年の春、S塚氏とOOE氏に届いた便りは、「桜散る」。
当然と言えば、当然か・・・・・・・・。

追記
そういえば、マクヴァウティ大和氏、最近静かですね。
金欠のため、大阪へとんぼ帰りなのでしょうか?

安易だが・・・・・・・・・。
”F”特訓シリーズ第2弾。

昨日の話は「”F”のキーの曲が苦手」という話。
今日の話は、ギターを一度は弾こうとした人が最初に陥る難関、”F”のコードの話である。

私が初めてギターを手にしたのは中学1年生のこと。
以前にも書いたが、親の知人から借りたフォークギターである。
周りにギターを弾ける人がいないということもあり、まずは「新譜ジャーナル」とか「ガッツ」とかいう雑誌のコード譜が先生になる。
知らないというのは恐ろしいことで、最初はコード譜(というか、ダイアグラムと言うのでしょうか)を上下逆さまに読んでいた。
つまり、Cのローコードなら、2弦の1フレット+4弦の2フレット+5弦の3フレット・・・・・・と押さえるところを、5弦の1フレット+3弦の2フレット+2弦の3フレット・・・・・・・という具合だ。
そりゃひどいもんだ!と皆さん思われるだろうが、何せ押さえるのが必死で鳴ってる音どころの騒ぎじゃない。
しかも、きちんと押さえられていないから、満足に音も出ていない状況。どこが変か全くわかっていないのだ。
ただ、さすがにこれは違う、と僅か3日で気づいた(なに?気づくのが遅い?)。

こういった苦労をしながら、指先の激痛に耐えながら、何とかギターの練習を毎日続けるのだが、ここでやってくるのは「Fの壁」である。
バレーコードの登場である。
例えば、C→Em→F→G なんて循環コードにも必ず F は登場する。
Fのローコードもあることはあるが、あまりポピュラーとは言えない。
どちらにせよ、これをマスターしなければ次には進めないのである。

でも・・・・・・人差し指を伸ばして、それで6本の弦をすべて押さえるなんて!!む、無理だぁ~っ!!

ここで、必死に練習すれば上達するものであるが、何とか楽をしたいと思うのが人の常である。
私も考えたね。

ブリキのようなものを、人差し指の内側に貼り付けてみた。
ちょっと、わからないね。
わかりやすく言えば、ボトルネックを人差し指にはめたようなものである。
おおおおおおっ!!!なんと!きれいに音が出るではないかっ!!!
感動である。
嬉しくて涙が出そうになった。

その後、すぐに悲しくて涙が出そうになった。
人差し指は、添え木をしているようなものなので、曲がらないのだ。
今度はローコードを押さえることが出来ないのだ。。。。。。。
まぁ、すべてのコードをハイコードで押さえるという手も無くはないが・・・・・・。

素人というのは、いったい何を考えるかわかったものではない。
しかし・・・・・・陳腐だった・・・・・・・・・。
若い頃、この話を吾妻光良さんにして、死ぬほど笑われてから封印していた。


Door to door
さて、個人的に懐かしいところでは、ちょっと辛い F のウォーキングベース。
Otis Rush の “So many roads” だ。

ラッシュは若い頃にかなり影響を受けたブルースマンだ。
“So many roads”は特に素晴らしい。
イントロのえぐさ、がっちりしたウォーキングベース、ふりしぼるようなボーカル、そしてギターソロには大喝采である。

意外と知られていないが、なんとこのバックギタリストはマット・ギター・マーフィだったりもする。

Door to door
ラッシュといえば、やはりコブラ時代の作品が群を抜いているのは周知の事実。
ただちょっと、むらっ気があるのか意外と駄作もあったりする。
妙にポップ調な曲や、ちょっと無理のあるバラードとか。まあ、これは製作側の問題かもしれないが。
しかし、この “So many roads” や、数年後に発表された “Gambler’s Blues” など、極上のブルースはちょっと他に類を見ないような出来映えだ。

レーベルを転々とし、レコーディングしながらも作品が陽の目を見なかったり(この So many roads も 「Door to door」のLP化で知られることとなった)、ギャラを満足にもらえなかったりと、いつの間にかラッシュはミスター・バッド・ラックと呼ばれるようになったのが虚しい話である。


Door to door
この”Door To Door” という名作LP、ラッシュとアルバート・キングのカップリングである。
なぜこの組み合わせ?単にサウスポー同士だから??
二人とも1960年頃の録音だが、別に同じセッションというわけではない。

実は、アルバートの1953年のデビュー作も収められている。これがまた、思いっきりいなたい。
ミシシッピ出身のアルバートの面目躍如?バックにジョン・ブリムが入っているのも興味深い。

しかし、この7年後にはモダンなアルバートに変身。STAXでの活躍となっていくのである。

ちなみに、このLPの1曲目。
私の30年来のレパートリーでもあります。はい。

一昨日の土曜のこと、スウィンギング・バッパーズの数名の皆さんたちと吉祥寺のハモニカ横丁にて飲んだ。
そのとき、去る7月5日の House Rent Party にて、私はキーがAの曲を強引に西川文二さんに吹かせてしまった話になった。
確かに、管楽器と”Key of A” では、ウナギと梅干しの食い合わせの悪さくらいに嫌がられるものであろう。

で、今度は、そもそも♭系の管楽器が多いジャズ系のミュージシャンの方々との呑みの場で、あえて「”F”がちょっと苦手なんですよねぇ・・・」なんて言ってしまった私がバカだった。
怒涛の集中砲火である。

ブルース系の曲は、割とEやAが多かったりする。
これは開放弦を多用したウォーキングベースなどの影響があったりするのだろうか?
個人的には、管楽器のミュージシャンとの関わりがあまりなかったせいか、比較的そのへんのキーの問題は結構無知だったりする。
やはり、弾きやすさというよりは、ボーカルのベストの部分で曲のキーを決定することがほとんどであった。
極論で言うと、自分の最高音に合わせてキーを決めたりしていた。
正直、声の音域の幅があまりないので、ボーカルで調整というのは少々きついのである。

結果として”F”の曲がうまく歌と合致することがなくこの歳になった次第である。
”B♭”が意外と得意だったりするのは、上記の理由でもあったりする。

しかし・・・・そんな言い訳など通じるわけもなく、左右に陣取った牧さん、西川さんの両先輩より集中砲火を浴びることと相成ったわけである。


MOSKOW吉祥寺で呑んだ店は、ハモニカ横丁内の “MOSKOW“。つまり「モスクワ」ね。
最近外呑み(屋外呑み?)にやたらこだわる吾妻光良さんのリクエストによる。
実は3Fが屋上?らしいが、残念ながら1Fのカウンターで呑む。

もちろん、吉祥寺ではちょっとうるさい牧裕さんご紹介の店だ。


同じ袋に・・・。さて、ワインも3本消費したので、そろそろ帰宅の途に。

あああ、どちらが私ので、どちらが吾妻さんのかわからなくなってしまった。。。。。。。
(持つ人、西川さん)

そして、同じ方向に向かう電車に同乗した御大、牧さん。
先に降りられる牧さん、別れ際に・・・・・・
「”F”、しっかり勉強せえよっ!!」


はいっ!申し訳ございません!

実は黙ってましたが、E♭のほうがもっと苦手なんです・・・・・・・・。

Mr.Tatematsu7月5日の “House Rent Party” 、様々な方がやってきてくれた。
その中でも20年ぶりの再会を果たした立松裕之さんの発掘(?)は、なかなかのものであった。
ある手を使い、勤務先らしき職場を探し、6月の中旬にコンタクトをとることができたのである。
そして、当日は20数年ぶりのご対面となった。
彼とは “LINDY HOP” というバンドで2年弱くらいであろうか?一緒に演奏した仲である。

あ、そうそう、マクさん!”Gotta move on up” の小安田さんのバックは立松さんですよ。
(すいません、業務連絡でした)


で、その3日後のことである。
仕事で某社に顔を出すことになったのだが、
「う~ん!ここって立松の勤め先じゃなかったかなぁ???」

自分の社に戻り、ちょっと立松氏にメールを入れてみたら・・・・・・速攻で返信が。
「いとおさぁ~ん!! どっかにいた?もなにも、隣の部屋にいましたよ!!」

おおおっ!そ、そうだったか~!
すごいなぁ!20年以上もやり取りがなかったのに、再会の3日後にこんなことがあるなんて!

それから約2ヶ月。
立松氏の社の仕事が受注でき(変な裏の手は使っておりません)、昨日9月1日の作業と相成り私もちょいとお手伝いに行ってきたのである。
今回は事前に連絡を入れておいたので会うことが出来たわけだ。
まぁ、こんな珍しい機会も滅多にあるわけないので、業務終了後に2時間半ほど二人で昔話に花を咲かせ軽く一杯。
かつてのバンド時代には、それほど呑まなかった彼もいっぱしに(しつれい!)旨そうに日本酒を呑んでる。
うん、お互いいい歳ではあるのだが。
でも、懐かしい話をしてると、すっかり当時の気分で若いつもりになれるのはいいよね。


大松なかなかに呑み慣れてるようで、旨い店を教えてもらった。
神田駅、北方面のガード下の向かい側、「大松」というお店。

生簀にたくさん泳いでいる「いわし」が旨い。


いわし「おまかせ」のようなセットがあって、まずは「いわしのお造り」。
口をパクパクさせてる新鮮ないわし。

写真を撮る前に骨を持っていかれてしまったので「身」の写真だけに。
骨の部分は揚げて後から持ってきてくれる。
これを頭からバリバリ食べるのが、また旨い。


カウンター岩海苔がたくさん入った豆腐のおすましが、また絶妙!
「つみれ」の鍋も最高。

福井の「黒龍」がまた実に似合う。

最後はお店の紹介になってしまったわ・・・・・・・。
「大松」 千代田区鍛冶町2-10-7

立松さん、また呑みましょう。
あの界隈の呑み屋さん、ずいぶん詳しそうなんで期待してます。
それから、たまにはBLUESもねっ!