2014年7月の投稿

Sooo Baad を観た2日後、今度はその向かいの会場にてイベント。
ブルース&ソウル・レコード誌の主催する、ライブとレコードコンサート。
あ、もうレコードコンサートって言わないのか?

湯浅学さんのDJの前後に、吾妻光良トリオ+2、W.C.カラス、ズクナシの3組のライブ。
仙台からゴスペルの大御所酒屋、佐々木さんも日本酒5本担いで来襲。
いや~、最高級のオーディオで爆音ゴスペルが素晴らしかった。
SPは凄い!!


私なんざ、20年くらいブランクがあるので「ブルース&ソウルレコード」というより、ついつい「ブラック・ミュージック・レビュー」って言っちゃったりします(^^ゞ
さすがに「ザ・ブルース」とは言いませんが・・・。




レコードコンサートの状況。

吾妻さんの解説が秀逸すぎ。。。(笑)




ライブのラスト、全員登場大団円の図。



右は私が買った最初のTHE BLUES誌。
1975年3月の第2回ブルースフェスの会場で購入した記憶アリ。
中学3年生でした。

そして右が、そのあとすぐにバックナンバーで購入した第10号。




ちなみに第5号~9号は大学時代にコピーさせていただいて持っている。



話は戻り、会場でのアフターアワーズも吾妻さんオンステージ!

そろそろ本場のブルースマンも呼んでくださいね~


7月24日、なんと38年ぶりリユニオンの” SOOO BAAD REVUE “!!

わたし、高校2年生の夏休みに渋谷の屋根裏で観ました。
そこで観てぶっ飛んでしまった砂川正和さんはもう観ることが出来ないのだけど、なんとも懐かしい限り。

チャールズ清水さん、ひょっとしたらブルーヘブンのとき以来かも!
あの頃は、ライブで良くお話などしたのですが、もう忘れちゃってるでしょうね~
“Minor Blues” は、名盤ですよ。CD復刻してほしい。。。




ソーバッドのメンバーには親しくしている方はいないのですが、え~い!写真出しちゃお!






さて、恒例「1枚の写真から」。
むかし『ぴたっしカンカン』にこんなコーナーがありましたね(笑)
私の場合は、毎回昼呑み写真なんですが・・・。

7月5日、渋谷のテラプレーンにて行なわれた “R-50 BLUES PROJECT” のライブ前のひとときでございます。

井の頭線渋谷駅の高架下は、明るいうちから焼き鳥を焼く白い煙がもくもく。健全な風情です。。。

昔は、この辺に「ライブ・イン」があって、良く来たよなぁ。
その昔は、「リキパレス」が・・・・あ、誰も知らんか・・・・。



ところで、私事で恐縮ではありますが。
この日の午前中に軽い手術をしてきました。
背中に腫瘍が出来(良性ですっ!)、ここ数日痛みがひどく寝れないありさま。
病院嫌いのわたしですが、ついに観念、その場で切開となった次第です。

ま~、それが痛いこと痛いこと!!!
だってあなた!麻酔無しですよっ!!
死ぬかと思いました。

で、昼呑みでちょっと麻酔してきたわけですね(^^ゞ

あまり美しくありませんが、Fujiyamaカメラマン人生初のヌード写真撮影の図。




18時会場入り。
リハ開始です。
前回のテラプレーン公演同様に、スペシャルゲストに若山光一郎さんを誘っていたのですが、鳥和可のリニューアルオープン間近のため、ちょっと無理そうな感じ。
だったが、奥様から突然
「行くって!行くって言ってますっ!」
と、なぜかフェイスブックのメッセージで連絡が。
この日、夫婦で携帯のキャリアを変えた為にフェイスブックからの連絡だったのでした(笑)



とりあえず第2部からの参加と相成りました~。
リハ無しのぶっつけということで。

さぁ、リハも終わって集合写真。

(集合写真、早すぎ~)




さあ、第1部の始まり始まり~。

ん???
一番前の席で、新しい携帯電話をいじりまくる若山光一郎氏の姿が・・・・。

演奏を聴いている雰囲気は全くありません(爆)

この日はご来場のお客様が、ステージ向かって右手に集中するという状況で、なぜか真ん前はカメラマンの撮影天国でありました。



リーダー、佐藤浩人であります。
懲りずにサングラスです(笑)

しかしこの日のサングラスはでかい。
盲目のブルースマン風情。

この、でかいサングラスの中で、さらに老眼鏡をかけているとは誰も気がつくまい。




バンマスのセクスィー高村!
何度も言いますが、このバンドにはリーダーとバンマスがいます。
紛らわしいです。。。。

しかし、さすがバンマス。
毎回、着実に身内を呼んで集客に貢献しております。




この日、ロシアの旅から帰ってきたインターナショナルな男!
セッ○ス・大橋。

奥さんとふたりで旅行に行ってきた、との話でしたが、この爽快なさっぱりとした笑顔は明らかに違うと思われます。




さあ!第1部終了。
インターバルに若山光一郎登場!
「ん~、エレピじゃないのか。ど、どうやって・・・こ、このスイッチはなんだ・・・?ん~、老眼でよく見えんな・・・」
と、言ってたかどうかわかりませんが、とりあえずセッティング。

実は、このキーボードの持ち主は、鳥和可のお客さんであったことが一週間後に判明するのでありました~




第2部のはじまり~!

真ん中の席に、Hong Kongからのお客様が座ってくれました。




テラプレーンで赤い衣装はタブーです!

保護色でカメレオンになってしまいます(笑)




Nickサワノ社長です。

株式会社 セクスィー高村&R-50 Blues Project の社長です。

え?違いましたか??



前述しましたが、手負いの身でしたので、なるべく軽くて負担の少なそうなギターを持ってまいりました。

Fender Musicmaster、子供用ギターと言っても過言ではありませんが(笑)、1957年製であります。

当時のストラトと同じ形状のVネック。
メイプル指板は見事に真っ黒。

アンプ、ギターともかなりトーンを絞らないとキンキンです。




さあ、いよいよ大団円かっ!

ちなみに正面のお客様は、いつの間にか白人の方に入れ替わっておりました(笑)




がんばれ!セクスィー!!

ベースソロ!!!



そしてお待ちかね!

若山光一郎!力技ショー!!



ホントの記念撮影(笑)

お疲れ様でした~!

当バンド、次回は9月に2本ライブが入っております!
9月13日(土)荻窪 チャーリーズスポット
9月23日(祝)四谷三丁目 ブルーヒート

ちなみにTHE NG’sも8月17日、新中野の弁天でライブがあります!
あわせてヨロシクねぇ~!




立て続けに凄いライブに遭遇した。
ブルース聴き初めて40年経つわけだが、その最初のころの想い出がふつふつと蘇るライブ。

ブルース聴き始めの頃。
たしか中学3年生だったはず。
日本最初のブルースブームが到来(実は世間一般の「ブーム」というほどでもないような)したころだが、今までも書いてきたように周りにブルースファンがいるわけもなく、情報を得るのは「マガジン」(ニューミュージック・マガジン誌)か「ザブル」(THE BLUES誌)。
THE BLUES誌も第10号か11号が出たあたりで、やっとそれまでのガリ版刷りの体から脱却した頃。
まだ定期刊行ではなかったような気もする。

その活字の中に、体験することのできなかった黎明期のブルースバンドの名がたくさんあった。
そろそろ外タレ(死語)のコンサートは行き始めたものの、都下の清瀬からライブハウスに通うにはまだまだ。
既にウエストロードはメジャーデビューした頃だが、それ以外のたくさんのブルースバンドの名前を先の雑誌で知るも、ついに生で観ることは果たせなかった。

そんな中にあった ジュークジョイント・ブルース・バンド。
私が中学から高校に入る頃に活動していたバンド、だと思う。
今は亡き、天才ドラマーの田村光太郎さん繋がりで、当時のメンバー山室俊介さんや三輪裕二さんとお話し出来るようになったのは、ここ数年のこと。
その三輪さんが昨年、闘病の末に若くしてこの世を去ってしまった。
聞くところによると、その闘病生活は友人たちにいっさい知らせなかったとか・・・。
6月21日、山室さんが発起人となって三輪さんのTRIBUTE LIVEが中目黒の会場で開かれた。
たくさんの参加者。
やはり三輪さんの人徳というものに間違いない。
みんなでライブを楽しんで三輪さんを偲ぶという主旨、ご本人も喜んでくれたに違いない。



このフライヤーにある通り、懐かしい名前がいっぱい。
前述のジュークジョイントBB、スウィートホームシカゴBB、ファッツボトルBB、等々あの頃の皆さんの名前のオンパレード!

私のような若輩者が参加させて頂いただけで光栄である。
あ、若輩者と言っても、もうとっくに50代半ばだが・・・(笑)




山室さんと江口さんの2トップを最後に観たのは、下北沢のスーパーマーケット(ブルーヘブンとブレイクダウンがかつてライブレコーディングした場所)以来かな。

この二人、じつはこっそり活動を開始しているとのウワサあり。
しかも本人から出てるウワサ(笑)




三輪さんの息子さんがベースに入ったジュークジョイントBB。

ちょっと感慨深いものがある。




実は、高校2年の時に、ファッツボトル・ブルースバンドは観ている。
8.8で優勝した直後じゃないかな?1976年だったと思う。
既に福島タンメンさんはいない4人編成。
渋谷屋根裏(当時)の平日昼の部だったかな?
夏休みだから行けたんだと思う。
客席は5人くらいしかいなかったような・・・(苦笑)
この日の終演後、船岡さんにそんな昔話を(笑)

今回上京できなかった田中晴之さんの代わりに、吾妻さんと小安田さんが客演。




自分の出番は最後のセッション。
すみません、ここからの数枚の写真は山室さんからパクっております。。。
(ちゃんと許可もらってますってば~)

吾妻さん、岡地さん、小堀はん、LEOさん、といった旧知の面子なので楽にやらせていただいた。



が、1曲目に江口さんのすぐ隣で弾かせて貰った時はちょいと緊張。

サニーボーイを唄った近藤さんも、マリオ版That’s All Rightを唄った中島正雄さんも最高だった!




こんな機会を与えてくれた山室さん、そして三輪さん、ありがとうございました。

そして三輪さんの冥福を深く深く心よりお祈り申し上げます。




そして3日後、高円寺の老舗ライブハウス”JIROKICHI”40周年イベントで、レイジー・キム・ブルースバンドを観た。

私が高校に入った頃、すでにキムさんはほとんど活動をやめていたと思う。
その後、たまにチラリとステージに登場したようだが、私が20年以上ブランクがあったためにその機会も逸していた。

キムさんの若かりし頃の数枚現存する写真と、何回か音源を聴かせてもらった以外、本当に初めての遭遇であった。
この日の客層もなかなかに高齢(笑)




以前に聴いた音源同様、気負いがなく自然なブルース。
感動もの!
井出隆一さんは最後に観たのはウエストロードだったか?6バースだったか?昔とあまり変わらない印象。
体調不良のエンタさんも数曲叩いてくれた。
サポートドラマーの松本照夫さん、さすがでした。
サポートギターの素晴らしいギタリストは永井”ヒョコ坊”充男さん。



それにしても第1部の渋さは凄かった。

まさかあんなテンポ、あんなノリのMojo Workin’なんて!

後半、左手が吊ってしまったようで2部のギターは控え目だったが、その第1部でさえ1時間越えのステージ。
参りました!



久しぶりにゆったりとした深みのあるブルースライブ。
観に来てよかった。

いつかはこんなステージをやりたいな。

いや、無理かな。
うん、無理って言われそう・・・・




ステージ終わって・・・
かつてレコーディングに参加したウィーピングハープ・セノオさんの1stを持ってきた山室俊介さん。
実はこのLP(CD)をプロデュースしたのがキムさん。

かつての先輩にサインを貰い2ショット(笑)



最後に、恒例2ショットではなく、レイジー・キムさん観戦者の3ショットでございます。