2014年6月の投稿

惜しまれながら、今月10日に閉館となった吉祥寺のバウスシアター
吉祥寺の顔がまた一つ消える。
そう言えば、わたしも訪れるのは4年ぶりだ。
前回→2010年6月13日のブログ
もっと行っておけばよかった・・・。
こうやって「終わりですよ」と言うと大入りである。
だったら、みんないつも行ってれば・・・というのは世の常である。
まあ経営的な部分もあるけど、老朽化の問題が大きいらしい。

6月1日から10日まではバウスの最後を飾るイベントである。
最後の日曜6月8日、早々と前売りを手にしてお邪魔しました。
この日のイベントタイトルは
「映画、ブルース、ライブ、演劇、お笑い、プロレス、どんと、生、無くして有り得ない、その場に居なくてごめんなさい。」
うわっ!長い!覚えられん。
この日のプロデューサーは岡地曙裕氏。
プロデューサーもタイトルを覚えきれていない(苦笑)
出演は敬称略で、Dr.KyOn 玉城宏志 黒川修 小関純匡 岡地曙裕 長見順 吾妻光良 うつみようこ。
ボガンボローザ with フレンズ といった感じか。
期待、期待、期待。




さて・・・・
当然、こういう風景から始まるのが私のブログ。
吉祥寺「いせや」である。
この街の定番呑みやだが、本店、公園口店ともここ数年で改装。
ちょっとイマイチ評判が悪くなってる。。。。。

ここは穴場の北口店。公園口改装時の仮店舗が、そのまま残っているのである。



会場到着。
この日に全員集合の仲間たちは、春の恒例「奉納プロレス」参加の皆さま。
イベントタイトル通りに、ブルース、ライブ、プロレスは切っても切れない関係(偏見あり)。
そして、御殿場軍団も合流。
嗚呼、夜の打ち上げ状況が容易に想像つくのであった。

もう一週間前にはチケット完売だったそう。
私はG.W.あたりに前売り購入していたが、それでも整理番号103番。
キャパは200ちょいである。
しかしながらラッキーなことに下手最前列を確保。
ちょうど斜め前には旧友Dr.KyOn。
さすがに気付かんだろう・・・・と思いきや、終演後に
「伊藤、一番前に居たやろ!」
まぁ、バレるか・・・・。




「映画、ブルース、ライブ、演劇、お笑い、プロレス、どんと、生、無くして有り得ない、その場に居なくてごめんなさい。」
この日のタイトルを読み上げる岡地氏。

アンチョコ見ないと読み上げられない、の図。

何度も何度も読み直しを要求されておりました。はい。。。




日曜夜のライブを滅多に行わない男、吾妻光良氏。
社会人の鏡だなぁ~。
サイケな衣装。ジミヘンを狙ったものの「アイヌ居酒屋店長」の風体と化してしまったとの自らの評価。

振り回す!振り回す!右手がグルグル。
終演後、楽屋に行くと
「おいっ!いとうっ!この手首を見ろっ!」。
右手の手首内側が傷だらけ。
「リストカッター吾妻」誕生!

あ、写真撮り忘れた。




ほらほら、腕の振り回しすぎ。
いや、年齢を考えれば褒めるべきであろうか!?

どちらにせよ、ジミヘンではない。
「謎のアイヌ・ロッカー再発見される」か。




長見順ちゃん、うつみようこさんの2トップ!




おお!

エキサイティング!!




Dr.KyOn !

う~ん!いつまで経ってもカッコええやつやな~

コリーナのフライングVが似合うのは、キョンとオレくらいなもんやな~
(後半は嘘)




最後の全員集合大団円の図。

最後、うつみようこさんにサム・クックが降りてきたのを見てしまいました!




そして、ホントの最後の最後。

スクリーンには、どんと&友部正人さんが。




玉井総監督の計らいで、打ち上げ会場を教えてもらった。

「ま、先に行っといて、あとで合流すればええやろ」とのこと。
総勢10名、先に乾杯の図。

おおっ!なんでも300円!リーズナブル。
しかし、ホッピーは600円。
なぜか自動的にジョッキに2杯来る。
オーダー面倒な人には良いのか???



御殿場チーム撤収後に極悪軍団乱入。

凶器はイカン!凶器は~!!




恒例、2ショットシリーズ!

今回のゲストは Dr.KyOnさんでした(笑)



打ち上げも終わり、第2部に繰り出す約4名。
玉井氏、岡地氏、順ちゃん、わたし。
ドアが開いていたので入ると、お客さんも引けたので椅子にひっくり返って寝ている店主加藤さんを叩き起こす((笑))
(いや、寝てない!転がってただけっ!との後日談)
もちろん伺ったのは「のろ」
なんだかんだで3時前には退散。
あ、明日(実は数時間後)仕事ぢゃないか~!
ちなみに、吾妻氏は危険察知能力が高く、打ち上げには参加されておりませんでしたとさ~


普段からお世話になっている下北沢の”lown”。
あの、Bob’s Fish Market でベースを弾いていた吉田達二さんのお店です。

昨夜は2周年記念の会ということで、ちょっとお邪魔してみました。

呑み放題です。
危険です。

まだ月曜日です・・・・。

あれ?
看板の左に写ってるのは、吉田家のご令嬢?




もう宴会状態です。

いろんな方がステージで歌いました。

中川五郎さん。
実はライブを見るのは、私が中学1年生の時以来だと思います。

たぶん42年くらい前だと思います(笑)




店主の吉田さん。
いったい何を叫んでいるのでしょうか?
ヤジを飛ばしているのでしょうか?

いや、そんなことはありません。
この方の人柄がlownの看板料理みたいなものです。

ライブのない日「居酒屋lown」でカウンターで呑むのはとても幸せに酔えます。
ちなみに吉田さんは呑ませ上手でもありますので、たいてい帰りの電車は乗り越します(ーー;)



閑話休題

以前にも書いた、阿佐ヶ谷のCadillac Babyというブルースのお店の話を。
いまでは”chakerboard”という名前でブルースの店として残っているが、その初期の頃を知る人も少ないかもしれない。
最初は”King Biscuit”というお店で、鎌田さんという方がやっていた。
私がキャデラックベイビーに初めて行ったのは高校生の時。
本当は雑誌で見たキングビスケットへ行こうと思っていたのだが、着いたら店が替わっていた。
インターネットの無い時代、情報伝達はノロいのである。
その日はキングビスケットがキャデラックベイビーになって2日目だったそうである。

東京に数店舗しかなかった「ブルース喫茶」。
そう「ブルース喫茶」と呼んでいた。
「ジャズ喫茶」、「ロック喫茶」のように。
当然、昼間から営業している。
そう、あの頃はみんな昼間からやっていた。
ZEMも、STOMPも、なまず屋も、ビスケットタイムも、ちょっと違うが、ぐゎらん堂も、みんな明るいうちからやっていた。

キャデラックも最初は13時オープンだった。
まだ高校生だった私は、昼くらいに学校を抜けだし、キャデラックの向かいの「なかの」という定食屋で昼を食べてるとちょうどいい時間だった。
「なかの」は老夫婦がやってるカウンターのみの定食屋。
いくら40年近く前と言っても、全部定食が250円というのは驚異だった。
和食の「なかの」か洋食の「キッチントップ」が阿佐ヶ谷のコスパ双璧だった。
で、「なかの」に入って天ぷら定食を注文すると、たいていキャデラックのマスター「やすしさん」が既に座っているのである(笑)

当時、私は西武池袋線の清瀬というところに住んでいたので、バスで行き来していた。
終バスが22時半くらいなのであまり遅くまで居れなかったが、コーヒー一杯で8時間くらい居座るとんでもない客であった。
が、客の中でも最年少の部類だったからか、ずいぶんと良くして頂いた。
なにしろ、高校生の小遣いでは月にLPは1枚しか買えない!
ブルースなんて、周りの友達は持っていないので聴かせてもらうことも出来ない。
仕入どころとしては、週に1度のTBSラジオ「なかむらとうようブルースの世界 11-30BLUES」くらいか。
THE BLUESやマガジン(ニューミュージックマガジン)で耳年増(目年増?)になっている私にとって、その音を聴ける貴重な場がキャデラックだったのだ。
巷で噂だったマジック・サムのアン・アーバーの海賊ライブテープ(極悪な音質だったカセットテープ)を惜しげもなく貸してくれたりした。

当然のごとく、平日昼間のお客さんはあまり来ないので貸し切り状態(笑)
やすしさんにはいろいろ教えてもらった。
バンドやってるんなら、これ聴かなきゃダメだ!
と言って聴かせてくれたのはBARRELHOUSEというレーベルの”CHICAGO BOOGIE”とWILLIE WILLIAMSの”RAW UNPOLLUTED SOUL”。
この2枚は翌日に小遣い前借して吉祥寺の芽瑠璃堂で即購入した。
SOULをかけると、あまり気乗りしない私の為にO.V.ライトや、まだ日本未発売のジェイムス・カーなども聴かせてくれた。

だいぶこなれてくると、アーリータイムス呑んだりしてちょっと売上に貢献(??)。
顔なじみになってくると次第に周りのお客さんとも話が出来るようになってくる。
こっちはブルースしか頭にないのだけど、必ずしも周りの方たちはそうというわけでもなく、割と怪しげな方々もいたような気がして、またそれが自分がちょっと大人になったようで嬉しかったりもした。
そろそろ大学受験などもあったりで、ちょっと間が開いた後に来た時、たぶんあの時だと思うのだけど、やすしさんはすっかりレゲエに行ってしまっていた。
ジミー・クリフのタダ券を貰って何となく行ったらハマった。と言っていたような記憶がある。
その頃からちょっと雰囲気が変わってきた。
ある時、呑んで夜中に行ったら(もう大学生になっていた)、オーナーの方に相当叱られていた。やすしさんは何に酔っていいたのかわからないが、ボロボロの状態だった。舌も回っていなかった。
当時のオーナーさんは(今はどうなのか?)、中野の「四季」という店のママさんだったと記憶している。
マスターとしてしっかりしなきゃいけないのに、連夜にわたる酔っぱらいの体たらく、オーナーさんにひどく叱られ続けている姿、今も忘れない。
私の記憶が正しければ、その日を最後にやすしさんは店を去ったと思う。

勅使河原靖。
記憶が間違いなければ、これが彼の本名。
あの夜を最後に彼と会うことは無かった。
ボクをブルース漬けにした大恩人である。

キャデラックへ通っていた頃、やすしさんは「ナミさん」という方の話をよくしていた。
すぐに「ナミさん」は「南正人さん」であることが分かった。
店で1度だけお会いしたことがある。
ライブだったのか?
単に呑みに来ただけだったのか?
何を喋ったかも覚えていないけど、隣に座ってしばらく話をしていた。
私は中学に入ったばかりの頃、1年間くらいフォークをよく聴いていたので、もちろん南正人さんは知っていたし、隣に座って喋っていること自体が信じられない気分だった。



lownの2周年記念大会に話は戻ります。
エレベータから出た瞬間、そこに居たのは間違いなくあの「ナミさん」だったのです。
とても話しかけることなんてできません。
でも、ライブ後半、酔った勢いで話かけてみました。

あの・・・阿佐ヶ谷のキャデラックベイビーって覚えてますか?
もちろんだよ!やすしとかね!
ああ!感激である。ちょっと昔話をしてもらい、
そういえば、やすしどうしてるんでしょうね~



ほんの一瞬間があいて

死んだよ。
もう10年、いやもっと前、20年は経つかな。

なんとか平静を装って会話が続いたが、あとでジワっときてしまい、ちょっと視界が霞んでしまいました。
なんだか懐かしい宝物が弾けて飛んで行ってしまったよう。

やすし!
今さらで申し訳ないけど、ご冥福をお祈りします。



でも気を取り直して記念撮影。
南正人さん、店主吉田達二さん、最前列は70年代にナミさんのバックで弾いていた古田勘一さん。

ちなみに、ナミさんは「もう70歳なんだよ」とのこと。
でも、まだまだ元気です。

生きててなんぼのものですからね。

ちょっと湿っぽい話になってしまいましたが、lown2周年おめでとうございます。
これからも宜しくお願いしますね!



Facebookにうつつを抜かすことなく(?)、やっぱりブログが大道よ!
という事で、ここ最近ブログに精を出しておりますっ(笑)

と言っても、最初はこういう写真から始まるわけで・・・

いや、酒の話と音楽の話に特化したブログ!
これがモットーですから良いのです!!

昨夜のライブ観戦。
さあ!ぐいっと呑んでクアトロへー!!



クアトロ到着。
おおっ!SOLD OUT!
素晴らしい、我々の時代が来たー。

エレベーターに乗り込もうとすると・・・ありゃ?岡地さんじゃないの~

岡地「おお!伊藤!呑んできたか~」
伊藤「もちろんでぇ!!」
岡地「お、オレも、そこの24時間居酒屋、え~、ナントカ水産」

お互い様のホロ酔い会話が、何の変哲もなく続くというのは、ある意味素晴らしい。



え~、てなわけで開演30分前に入ったので、まあまあ前の方で観させていただけました。

はい、こちらは禁転載にてお願い申し上げます。




私、数年前に再発見されてから、大体の過去の友人たちとは再会できたのですが、やっと彼とも会えることができました!
松竹谷清!!
彼が札幌に戻ってから、もう20年経つそうです。そして、その数年前から会ってなかったので、30年近くのブランク!

そのオーラは衰えることをしらないっ!!




そして終演後、バックステージにお邪魔すると、
「おおー!清瀬の伊藤っ!!」
いや、もう清瀬じゃないんだってば(^_^;)
よく一緒に西荻窪で呑んだくれた話などに花が咲きました。

清!また観に行くよー!!

後半3枚のphotoはFujiyamaせんせにいただきました。
もちろん、stuff pass着用での写真です。