カテゴリー「Blues’n Soul (ブルージーな仲間たちの項)」への投稿

13
2月

小出斉さん

   Posted by: Masazumi Ito   in Blues'n Soul (ブルージーな仲間たちの項)

小出斉さんが亡くなったという第一報を聞いてから10日くらい経った。
最初はショックが大きくて、暫くは茫然としていた。
未だに信じられないし、絶対に死にそうもない人だと思っていたので、余計に頭の中がパニックだ。

最初の出会いは憶えていないが、たぶん45年くらいの付き合いになると思う。
楽しい思い出ばかり。
あまりに近しい方だったので、本当に信じられない。という言葉以外に見つからない。

あの独特のイントネーションで「いとうくん!!」(『と』にアクセント)と呼ばれることも無くなってしまった。
あのラジオ声の唄も聴くことができない。

ご冥福をお祈りします。




昨年、最期にJIROKICHIで共演した時の写真。

小出さん、いままでありがとうございました。


明けましておめでとうございます。
久々の更新です(汗)
正月と言えば1.4新日東京ドームの翌日は1.5荻窪ルースター大会というのが我々の常識(笑)
と言うことで今年はコロナも明けたので久々新春バトルロイヤル。

私は1曲入魂なので、いつもより前呑み量は多め(汗)

私の試合写真多めに載せました(笑)残念ながらラストの相討ちラリアットはファインダーから外れたようです。
来年リトライ!の為には夏のG1で活躍しなきゃ!って何のこっちゃ(笑)

たくさんのお客様、ありがとうございました!!

新春黄金ブルースバトルロイヤル2024
OPEN 18:30/START 19:30
CHARGE:4000円+オーダー
出演:
KOTEZ(vo.hca) 小野アイカ(vo.g) 江口弘史(b) 岡地曙裕(ds)
ゲスト:伊藤正純(vo.g) 神近まり(vo) ササキサトコ(vo.hca) ガイ聡士(vo.g) W.C.カラス(vo.g)

(1月5日の写真はAll photo by Fujiyama)



ちなみに岡地さんは開演直前まで一緒にホッピー呑んでました(笑)


第1部で場外スクワットのミスター・コテツ!




登場しました!
一曲入魂なので、一番軽いギター持ってきました(笑)



Tシャツは、もちろん「燃える闘魂」!



試合開始!!

Kotez VS Ito



最初は様子見(笑)



シールド巻きチョーク攻撃!



脳天唐竹割り!



アイカ・チョップ!!



フレッド・ブラッシーを彷彿させる「ごめんないさい」ポーズ(笑)



しかし、力道のチョップは容赦なく~



試合終了~!!

カンカンカンカン!!!



毎年この時期は青森弁がきつめのササキサトコちゃん(笑)



連日の酔っぱらい、W.C.カラス!



大日Tシャツの神近まりちゃん。



エスペラードTシャツはGuyちゃん!



大団円。



大団円その弐



最後はKOTEZが飛んだ!
来年はコーナーポスト最上段から是非!
(んなもの、ないわ)




恒例、集合写真。



おまけ。
グレート・カブキ・ファミリーも参加!





更におまけ。

前日1.4の東京ドーム!




1.4の個人的No.1は第0試合の飯塚高史登場!!!



1.4の集合写真(全員じゃないけど)
photo by Mari Kamichika


そう、あれは1980年11月26日のことだったので43年ぶりの再会でした。
何で年月日まで?と不思議に思われることでしょうが、それは後程。
昔々、まだ私が二十歳そこそこの頃、高校生の頃から入り浸っていた阿佐ヶ谷のCadillac Baby(店名は「キロンボ」になっていたかも?)というお店で呑んでいたところ、突然1人の男が入ってきた。
当時、日本のジェイムス・コットン・バンドとか和製Jガイルズバンドと呼ばれていた、大阪の『花伸』というバンドのボーカル、宮井操氏である。
なぜ一人で?(ツアーで次郎吉あたりでライブてもあったのか?)それは分からないが、一緒に呑んでいた今は誰も行方を知らないハンマーハープ遠藤達と一緒にぐでんぐでんに呑んだ。
遠藤は土方なので朝が早いので早期退散。
私と宮井くん(あの時は「君づけ」だった)は遠藤のバンドでギターを弾いてた高橋さんの荻窪のアパートに泊めてもらった。
彼の部屋は外階段を上がった2階。私は酔っ払って転び2階の手すりに顔面から突っ込んだ。
今でも鼻の頭にうっすら傷が残ってる(たぶんホントは縫わなきゃいけないくらいの怪我)がオロナイン塗って貰ってバンドエイドの応急処置(汗)
今回、宮井さんにその話をしたが、さすが43年前なので記憶なし(笑)
ただ、阿佐ヶ谷で呑んだのは薄っすら思い出した模様。

そして翌日はローウェル・フルソンの来日公演へ。
だから年月日が分かっているのです。六本木ピットインで鼻の絆創膏を見て吾妻氏や小安田氏に大笑いされた記憶も鮮明です。
あれから43年、その宮井操さんとの再会!
見事によく喋る大阪のおっさんでした(笑)
終演後、旧交を暖め電話番号を交換したので、また機会があったら楽しい事が出来るかも。

スミマセン「はもにかDOJO」の話が出ませんでしたが、宮井さんを呼んでくれたKotezちゃん、ありがとー!!
(この日はKotezちゃん主催の「はもにかDOJO」のライブで、宮井さんはゲストではるばる大阪からやってきたのでありました)



昔と比べてだいぶ細くなった宮井さん。




太郎君との掛け合い。

「天才少年!!」と何度も持ち上げていた宮井さん。




KOTEZっちゃんとの掛け合い。

宮井さんはMC兼務のKOTEZを差し置き、ようしゃっべてはりました(笑)



ステージ全景。

ハーモニカ3人は圧巻ですねぇ。




43年ぶりの再会。

さすがに43年前の写真は無い!




小安田さんも、そうとう久しぶりの体面との事。

彼はなんと1977年の8・8ロックデイを観に行っていたそうです!!
(「花伸」は、その時のグランプリ受賞で、たしか宮井さんはベストボーカリスト賞)

1977年8.8ROCK DAY




荻窪ルースターの入口。



これが証拠の43年前のチケット。

ちなみにマディのチケット、「B列」ってことは前から2番目か!!

好天に恵まれた所沢航空公園、「空飛ぶ音楽祭」2日目に行ってきました。
THE CABARET、12時スタートとのことで早めの出動。さすが野外でトンボが飛びまくり!
マイクに止まったり、ミックさんのベースのペグで休憩したり(笑)
終演後、そのミックさん玉井さん(ex.憂歌ジャーマネ)と駅前のコンビニまでビール買い出し(節約)て、私は野外メインステージへ。
木村充揮さんと梅津和時さんの珍しいデュオ、梅津さんの独演に痺れた後にバッパーズ登場。
木村さんも一曲登場の時には会場のボルテージは最高潮でした。
あ、腰痛の痛みを微塵も見せずに熱演の岡地さん誕生日おめでとうございました~、明日は早崎さんかな?(笑)
帰りにちょっと楽屋へご挨拶。

翌日は仕事なので「餃子の満州」で軽く呑んで帰宅です。
(最後の楽屋写真二枚のみphoto by Fujiyama Hiroko )




所沢航空記念公園は日本の「航空発祥の地」です。

Wikipedia




ザ・キャバレーは1978年の8.8ロックデイ決勝進出バンド。
ボーカルの恵須川さんはベストボーカリスト賞でした。
7月のJIROKICHIでお手伝いした「MANTOHIHI 東京同窓会」がご縁で今回も観戦!

だいぶ涼しくなったとはいえ、やはり日中の太陽は結構きついっす。



上の本文にも書いたように、その後は缶ビール買って、私だけメインステージへ。
玉井「木村に会ったら、おれ昨日自転車のカギを落としてもうて、自転車が吉祥寺の飲み屋の前に置きっぱやから観に行けなくてゴメン、言うといて」
はい、バックステージで確かに伝えましたよ。
その木村さんオンステージです。
異様に酔っぱらったお客さんに缶ビールもらってました(笑)




木村さんと梅津さんの珍しいデュオ。
椅子席前のスペースに、じわじわとお客さんがつめかけます。

小さい子がステージの上を歩いてます(笑)




所沢在住、梅津さんのソロで「東北」を演奏、唄います。

素晴らしい!感動しました!!



吾妻光良 & SWINGIN’ BOPPERS 登場!




初っ端から背面弾き奏法!

SGだから軽くて楽ね(笑)
ステージ前にはだいぶお客さんが押し寄せてます。




木村さんがゲストで登場の時は、最高潮に達しておりますっ!!




終演後、ちょっと楽屋へお邪魔しました。

岡地さん、誕生日おめでとう!
でも満身創痍でした(汗)

となりでギターを大事に拭く吾妻御大。
後ろでは、疲れちゃって赤から青色に返信した早崎さん。



このイベントにご尽力された、所沢のライブハウス “MOJO”に店主、昭太郎さん(実は素人プロレスラーだったりもする)と。

何故か私のTシャツがスタッフTシャツと色被り!
会場整理しなきゃいけなかったかしら(笑)



私が高校生から二十歳になった頃には、まだ「ロック喫茶」や「ジャズ喫茶」があった。
そうそう、ちなみに少ないながら「ブルース喫茶」も。
いわゆるクラッシックを聴かせてくれる「名曲喫茶」みたいなものの変化版、基本的に会話できない店が多かった、というかでかいJBLからの爆音で会話不能状態だった(笑)
たまに通っていた吉祥寺のA&Fは聴くだけの人用と喋れるスペースに分かれていたので友達と入るときは重宝した記憶がある(芽瑠璃堂、またはすぐそばのGeorgiaで買ったLP抱えてコーヒー飲み行く感じだったか。
ロック喫茶、ジャズ喫茶の夜の部は行って無いのでわからないが、ブルース喫茶は夜になるとブルース酒場と化していた。
今は昼間から営業するその手の店は無くなってしまったねぇ。
まぁ、コーヒー1杯で長時間居座る輩ばかりだから、お店としてはコスパ最悪だよなぁ。

1970年代初頭、大阪は阿倍野に「マントヒヒ」というロック喫茶(ジャズ喫茶?)が出来たそうです。
もちろん私は行ったことは無い。
1980年代の中頃には閉店していたもよう。
全共闘が崩壊したころだろうか?
最初のマスターは寝坊して「よど号」に乗り損なったとか。
まぁ、世相を反映して、けっこう危ない店ではあったようだ。
公安は、この店をマークしてたそうだし、玉井さんは中学の時にこの店で重信房子女史を見たと言っていた。
下記のサイトには当時の詳しい記述がある。
MANTOHIHI
ライブもやっていたようで、フォークやロックや、なんとノイズ、やパンクまで!

さて、かつて憂歌団や上々颱風のジャーマネとして活躍した玉井まさじさん。
彼も一時期マントヒヒのスタッフだったそうで、昨年大阪で同窓会を開き、意外にも東京に流れている常連や関係者が多いことから、東京版の同窓会開催となったわけですが、なぜか生粋の東京人である私もお手伝いすることに(笑)

当日、黄色い縦縞のユニフォームを着た人ばかりだったら、こっそり帰ろうと思ってました(笑)が、そんなことも無く(当然)、皆さんだいぶ丸くなられたのか(笑)良い人ばかりでした。
同じく東京人でありながら駆り出されたベースの秋山博さんは、「いや~、みんな玉井さんみたいな人だったらどうしようかと思ってたよ~」(笑)
まぁ、良い意味でね、もちろん(汗)




マントヒヒの重要人物、玉井まさじ氏とこの集いの為に大阪からやってきた中島景造氏。
中島さんは「アウシュビッツ」のドラマーでもあった。
ちなみに、アウシュビッツのギタリストは町田町蔵氏のINUのギタリストでもあった故林直人さんだったりもする。




その玉井さん、中島さんのバックでアウェイの(笑)私と秋山さんが初っ端で登場。
しかも、私が最も苦手とするラグタイム風ブルースと、もう1曲はなんと「永遠の絆」である。
ギター歴52年にして、初めてのカーターファミリー!!

客席には、今回私がスカウトしてきた中川五郎さんも。。。。。
や、やばいっ!



瑞姫さんは東京の浪曲師さんです。
赤江真理子さんは大阪のチンドン屋さん。
もちろん、大阪現住です。
かつてNHKでドラマ化された「青空にちんどん」のモデル、というか原作者さんであります!




T.美川さんは「非常階段」のメンバーでした。
世界初の「ノイズミュージック」と呼ばれたバンドです。
楽屋で聞いていましたが、凡人の私にはサッパリ分かりませんでした。
ごめんなさいです~



中川五郎登場!
実はちょっと前に、下北沢のラウンでお会いした時に、この日は空いてるということで勝手に引っ張って来ちゃったのは私です(反省)。
でも、2曲バッチリ歌って頂けました。
JIROKICHIは杉並区ということで『石原伸晃さんが東京医科歯科大学病院に入院した』を唄ってくれました!(笑)



しまった!買いそこなった。

これ欲しかった五郎さんの自伝「ぼくが歌う場所」。
2冊だけ持参されてましたが、すっかり忘れてしまいました。
次に会う時は事前に予約しとかなきゃ!



「かめバンド」の皆さん。

CSN&Yのトリビュートバンドです。
実はベースの今西さんは、前述のアウシュビッツやブルースバンドでも弾いていたそう!




辻村マリナさんとタヒさん。
マリナさんは噂にはよく聞いていたが、お会いするのは初でした。
実は今は亡きナミさん(南正人さん)繫がりだったりもするのであった~

たひさんは、その昔、砂川正和さんのいた「コールドラビッシュ」で叩かれていました。
その後、VOICE & RHYTHMでもパーカスを。
この日、久々の再会でした!




伊藤、再び登場。ドラムはたひさん続投。
ボーカルはカルメン歌江さん。
大上瑠璃子さんのお弟子さんです。
リハでお会いした時と、頭の恰好が(髪型が)全然違って、嗚呼ビックリ!

Otis ClayのI Die A Little Each Dayを。
演奏直前に構成を勝手に変えてしまい、ちと反省。
次回はリベンジをぜひ!




真理子姐さん再登場で、玉井さんのオリジナルソングを。

左の白髪のギタリストは、元シンコーミュージックの戸塚さん。

ちなみに弾いているストラトは正真正銘の1954年製!!!!!



さて、THE CABARETです。

8.8ロックデイでベストボーカリストを受賞した恵須川さんに鬼殺しブルースバンドでもおなじみのギターは庄司タメさん。
全員関東圏在住のこのバンド、久々の再結成。

エスさん、ジョー・コッカーでした!(笑)



最後は、そのザ・キャバレーにプラスアルファ加わって、大団円の The Weight。
もちろん、私も登場(汗)



大団円の大団円は中川五郎さんも登場して I Shall Be Releast!!



いや~、楽しかった。
東京人でも楽しめました(笑)

来年も東京同窓会の第2弾やるとか。
また呼んでくれるかな~。

玉井総監督、お疲れ様でした!!

なんだかチャールズさんの宣伝部長みたいになってしまった今日この頃(笑)
まぁ、光栄なことなんで、バリバリ宣伝します(笑)

4月2日に控えるのは高円寺JIROKICHIでのレコ発ライブでありますが、突如この名前も初めて聞くお店でのソロライブがあると聞いたのは2月8日のこと。
おいおい、早く言っておいてくれよ~

ということで当日を迎えたのだけど、日ノ出町のなかなかに濃い場所でした。
え~っと、この辺かなと店のそばまで来たら大きな声に呼び止められた。
地元の平さん(大平幹久さん)でした!といか、外タレの平さんでした(笑)
入り口の階段下では、すでに森田義信くん夫妻が一服中。
2階の店内に入るとヤクハチ氏、こと藤井康一さんが既に。
来るとは聞いてたが、ちゃんとサックス持参でリハ済(笑)

第1部は “Minor Blues”の弾き語りでスタート!



そして第2部はアタマから藤井選手登場です。



そういえば、後ろの方に友部正人さんにそっくりな人がいるなぁ、と思ってたら本人でした(汗)



けっこう広々としたステージと店内。
ドラムセットは無いなぁ、音的にダメなのか?



トークも交え楽しませて頂きました。
ラストはマイナーブルースに収録の「続ける」
アンコールは用意した譜面が見つからないようで、即興のOver The Rainbow。



この日、数十年ぶりに再開した大平(幹久)さんとどん兵衛さん(永田純さん)。



記念撮影。翻訳家3人に囲まれる、私と平さん(笑)


4月2日のJIROKICHIが楽しみだ!!


1月28日に逝去された田川律の追悼イベント。
ひょんなことからお邪魔しました。
1969年にニューミュージックマガジン(現ミュージックマガジン誌)創刊メンバーである。
音楽評論家としてより、様々な裏方さんとして活躍された大御所である。
私は残念ながら、生前にご面識は無かったが、晩年は自ら歌い手としてステージに立ち続けたことは、もちろん存じ上げています。

大塚まさじさん
中川五郎さん
大庭珍太さん
チャールズ清水さん

そしてゲスト多数で、下北沢ラ・カーニャは超満員。
取り急ぎ、写真だけ載せさせて頂きました。

(写真がちょっとボケて見えますが、写真をクリックすると鮮明です)

R.I.P.