カテゴリー「Blues’n Soul (ブルージーな仲間たちの項)」への投稿

歳をとると本当に時間が経つのが早い。
恐ろしいことです。
ちょっと前にブライト・ブラウンで遊ばせてもらってから、もう半月以上です。


7月1日には Candi Saton の生ステージに感涙です。
とても70歳過ぎには見えない黒のタイトなワンピース。
ライブ後の「六本木で3番目に安い居酒屋(Y川氏説)」でのO地氏は「かわいいかわいい!」の連発でしたが、私も萌えてしまいました。
まあ、高音が出にくくなっているのは事前のyoutubeリサーチ済みでしたので、あの同じ声が聴けただけでも私的にはOKです。

1.july.2012. @Billboard Tokyo Set list (2nd stage)
01. Listen To The Music
02. Stand By Your Man – Stand By Me – Stand By Your Man
03. Nights On Broadway
04. I’m Just A Prisoner
05. I’d Rather Be An Old Man’s Sweetheart
06. You Don’t Have Far To Go
07. Suspicious Minds
08. In The Ghetto
09. Young Hearts Run Free
10. You Got The Love
Enc. Hallelujah Anyway

Candi Staton (Vocals) / Mark Vandergucht (Guitar) / Brian Henry (Keyboards) / Xavier Barnett (Background Vocals) / Susan Fulonger (Background Vocals) / Ernest Mckone (Bass) / Crispin Taylor (Drums)


この翌日は、香港からU津さんが凱旋帰国。
U津氏の竹馬の友(?)でもあるK藤氏と3名でおなじみ鳥和可です。
香港ブルース・シーンの裏の怖い話等も聞くことができました(笑)

ちなみに、この写真は鳥和可界隈で最近とかく話題のO川女史の撮影によるものです。


そして、1日おいて水曜日。
名古屋の長い単身生活を終えて帰ってきた”ミスターTransom Blues”(ごく身内ウケ) S藤氏の「ブルース追っかけツアー」に参加。
荻窪ルースターにて森崎ベラ姐さんのステージを久々に堪能。
素晴らしいです。この張りと艶のある歌声は衰えること知らず。
一週間のうちに二人も感動的なレディソウルシンガーを生で見れるなんて感激。
「ゴールドワックスの音が出せるギタリスト」K島氏やO地氏の抜群のドラミングなどバック陣にもおそれいりました。


その後は、いつもの鳥和可通いやら、会社の送別会やらで基本的にアルコール依存症的な毎日。
しかし刺激的なライブを見ると燃えるものです。
仕事はきつくなる一方。
給料は下がる一方。
子供が中学、高校と上がっていけば出費も増える一方。

ということで、この3連休はじっと家に引きこもり、ギターの練習。
まだまだ頑張りますっ!

小さな話題は、Facebook にちょこちょこ書いてしまうので、こちらのブログはついつい大作狙いになってしまい、結局面倒臭くなって更新が滞る毎日でございます。。。


まずは、6月16日に久々のリハーサル。
ドラムの吉田氏、突然の骨折騒ぎで暗雲立ち込める THE NG’s でありますが、とりあえずはドラムレスでの練習。
歳とってからの骨折、治りが遅そ~。
引退の危機でありましょうか?

小音量リハなので、ギターは一番ハウりやすいFRAMUSを持参。
日本ではあまり知られていないメーカーだが、西ドイツのビザールもの(1968年製)。
30年近く前、買ってすぐに吉祥寺・曼荼羅のライブで使用するも、Fホールにガムテープ貼って使用した(マーク・ファーナーか!)曰くあり。


このリハの前日、久々の旧友との再会、
しばらく名古屋方面に御隠れになっていた佐藤氏と20年ぶりの再会。
彼は ”LINDY HOP” というバンドで一緒にギターを弾いた仲。
そう、上記の FRAMUS を入手した頃だから、28年くらい前の話!
相変わらず、見事にダウンホーマーである。
去年、アーマ・トーマスを見て思わず涙腺が緩んだという話をしたら、「オレはかつてロウエル・フルソンの Sinner’s Prayer で号泣した」という、頑固者。
しばらくギターは弾いていないそうなので、まずはFのコードが押さえられるかどうかが今後のカギとなりそう。
しかし、長い名古屋での単身生活も終わり、これからはあちこちに出現する可能性大である。
見つけたら石、投げないで下さいね。

佐藤氏と、ドCHICAGO BLUES のバンドをやっていた高村氏も来てくれた。
なんだかんだで、ずっとベースを引き続けているらしい。
凄い!継続は力なり!!

早崎詩生氏も来てくれた。
相当な繁忙で、毎日が終電帰りらしい。
この日も、無理に早めに会社を上がってもらったが、参加は22時頃だった。
最近はローラーコースターの出勤率も悪いらしく、そう言えば吾妻光良さんのミニ・バッパーズ(?)にも登場しないよなあ。
彼とは近頃、年に数回顔を合わせるようになったが、たいてい葬式やお通夜の席上。そんな年代になっちゃたのね。。。


さて、高村氏に撮ってもらったこの写真。
おお!これにベースとドラムのリズム隊を加えれば “LINDY HOP” じゃないですか!

遥か四国の地で地団駄踏んで悔しがっている方の姿が目に浮かびます。
やはり、全員健在なうちに一発リユニオンしなきゃね。


そして、私が撮ったこの写真。

末期の “CASEY JONES BLUES BAND” ではないですか!
(末期ガンじゃないよ)

う~ん、当時の「B級ブルース業界」狭いなあ・・・。



久々の再会に満足していると、今度は岩手の阿部氏から上京の報が。
ハードスケジュールの中、昨日の6月23日、1時間ちょい時間を作ってもらい上野で一杯。
佐藤氏、高村氏も呼び、ちょっとした同窓会である。
それにしても佐藤さま、すごい記憶力で御座います。
何年の何月にどんなライブがあったか覚えてるって凄いよ。
しかも30年前の話。
(ちなみに昨日、一昨日のことは覚えてないらしい)

阿部氏と一緒のバンドをやっていたのは、意外とみんな知らない。
これは1979年位の話(1970年代っ!!)。
まだ、19とかハタチの頃だ。
う~ん、人に歴史あり!


上野駅で、いい歳のおっさん4名で記念撮影。
ちなみに撮影者は阿部さんの娘さんである。

4人で軽く飲んだが、一晩中でも語り尽くせるねえ。
次回は是非時間を多めにとって上京してちょーだい!

さて、阿部氏と分かれて、向かうは「14週年記念」の中野BRIGHTBROWN へ。
ああ、引っ張り出されて歌うハメに。

それにしても、古いオジサンたち3名は何となく隅っこでひっそりと。
若者(我々に比べて)たちのブルース熱に負けてしまいます。
たまたまテーブルが一緒になったお嬢さんは、どうみても20代前半と思われるものの、黒いORVILLEのレスポールでバリバリに弾いていらっしゃいました。

この後、佐藤・高村両氏もステージに引っ張られ、リハビリ不足の佐藤選手はかなり泣いていたものの、ブランクの割には意外に引けてるじゃん!
てなことで、こりゃ今日の再発見ステージでリハビリは加速するものと思われます。はい。



店主、す~さん交えて記念撮影。
彼も30年前の同窓生(?)。

でも14年も続けるなんて凄い。
しかもマイナーなブルース中心のライブハウスで。
頭が下がります。

無理言っていろんな企画を嫌な顔せずにOKしてくれて、いつもスンマセン。
迷惑ついでに近々リハビリライブでも企画させてもらおうかな。
宜しくお願い申し上げます!

いや、それにしても凄いことを考えついたもんだ。
中央線快速の全駅の店でライブ敢行。
しかも、高尾から順番。
もっと凄いのは、休みが1日もないこと。
昔の女子プロレスの興行も顔負け。
24日連続ライブというのは、相当な体力勝負である。
今回の企画は朝日新聞の東京版にも載ったほど。
話題性も充実である。

初めて町田謙介に会ったのはいつだったろう?
たぶん、複数のブルースバンドが出演するライブハウスで一緒になったのが最初だろう。
だから、間違いなく30年以上前の話だ。
その頃、彼は「ねずみ男」という芸名?を使っていた(何となくわかるよね?)。
彼の名前は「ぴあ」や「シティロード」といった情報誌で知っていたが、生ギター1本の弾き語りということで、おそらく中央線界隈の日本語で歌うフォークブルースみたいな胡散臭い輩であろうと想像していた。
が、違った。
ブッ飛んだ。

出だしにアカペラでゴスペル。
しかもサン・ハウス演るやつなんて、日本人じゃない。

LINDY HOP というバンドをやっていた時、セッションで彼を引っ張り出した。
町田謙介、エレキギター・デビューである。
恐ろしいことに、この時のビデオが残っている。
絶対に公開できない。
何しろ、この時は某A妻さんがサックスを吹くバンドが同時収録されていますので・・・。
ちなみに、この “A妻光良 & CHICKEN SINK” というバンドで私はギターを弾かされておりました。


おっと、話がそれた。
町田謙介の、この無謀なライブツアー、最終日前日の6月7日「神田公演」にお邪魔した。
勤務先、歩いて5分の “OnEdrop cafe”
ちょっとイカしたお店だった。
元々、自動車の修理工場だったというビルの1階を改装したらしく、天井が高い。
中も広々、ソファもゆったり。
昼間、ちょっとコーヒーを飲むのも良いかもしれない。

でも、こんな会社ばかりの場所にこんな店があったなんて、ちょっとした驚きだ。



当日は、まず第1部が “WADA MAMBO”
これは”カセット・コンロス”のワダマコトさんのシンプル編成バージョン。
噂には聞いていたが、いったいどんなチューニングなんだか・・・。
オープンチューニングではない。コードの押さえ方が尋常ではないし。
ギターもグヤトーンのジャパニーズ・ヴィンテージ、楽勝なネックではない。
(終演後、さわらせてもらったら意外に丸太ネックでもなかった)
とてもゆったりしつつも、こ気味の良いステージで楽しませていただいた。


町田謙介、登場である。
とても連続23日目とは思えない。
本人も良くもってると、自分で感心していた。
” Change is gonna come “での高音の伸びは、先日のBobby Womackの感激に近いものがあった。
でも、アンコール2曲目の”Fa-Fa-Fa-Fa-Fa”でかなり飛ばしすぎて、翌日の千秋楽に影響がなかったんだろか?
かなり声がいっちゃってたけど。

ちなみに隣にいる方の楽器、よく見てください。スティール・パンです。
こんな近くで見るのは初めて。これにも感動。


第2部は、ほぼセッションの様相。
今回のマラソンライブ、各店で色々なゲストと組んで演奏されたが、やはり町田謙介というミュージシャンとしての幅の広さ、奥の深さが生かされているに違いない。
同じ曲を演奏しても、いろんな引き出しがあるんだろうな。
さすがである。
さすが、町田謙介である。

やはり、翌日の最終日は、ちょっと喉にきていたらしいが、とにもかくにも完走おめでとう!
また呑みましょ!

さて今日は誕生日だった。
facebookやらミクシーやらで、随分とお祝いの言葉をいただいてしまった。
誠にありがとうございます。

にも関わらず、あたしゃ皆さんの誕生日に何のコメントもしていない。
実は、見かけによらず結構ズボラなもんで、不公平がないように一切のお祝いコメントをしないようにしているのである。
でも、これだけお祝いの言葉をかけられると、気持ちも揺らいでくるっつうもんだったりします。優柔不断・・・。

今朝の通勤電車の中でメールをチェックすると、最近さまざまな場で泥酔している姿を目撃されている小安田憲司氏より、
「キャンディ・ステイトン、行けなくなってしまった」との報せが。
まあ、普通は誕生日の人には「俺がチケット代ももつからさあ」などというのが一般常識というものであるが、それは置いといてと。

昨日、今日とアーロン・ネヴィルがビルボード公演を行なっている。
本当に見たかったのだが、自動車税やら、固定資産税やら、誕生日のケーキ代やら(当家4名全員5月生まれにつき)、誕生日の寿司代やら、結婚20周年の記念品代やら・・・。
その他モロモロで涙を飲み、キャンディは必ず行くぞ!と心に決めていながら、まだチケットを買っていなかったのだが、小安田氏の自分のライブとダブルブッキングという素晴らしい離れ業で運が回ってきたというわけである。



当日は日曜日。

レコード持っていったらサイン貰えるでしょうか?

youtubeで、最近も”Stand by your man”歌ってる映像があるけど、やはり”How can I put out the flame”を聴きたいものだ。
関係者の皆様、なんとか事前に手を回してくだされ。



本日、会社から帰宅すると中学2年の次女がプレゼントをくれた。
メガネやサングラスを掛ける置物らしい。

彼女は去年もネクタイをくれた。

ムリすんなよ~。
「肩たたき券」とかでいいのにぃ。

でも無茶苦茶嬉しい!!




ちなみに・・・。

私の財布の中には、彼女が小学校低学年の時にくれた「かたたたき券」&「なんでも券(?)」が入っている。

いつか使ってやろう。

先日の奉納プロレスで、酔っ払っていたので記憶がイマイチだが、確か玉井さん(だったと思う)から「湾岸音響スタジオ」が3月いっぱいで閉まるという話を聞いた。
このスタジオ、まあP-Vineのスタジオ、みたいなもんだから、ここ最近のP-Vineの動向からして、うん、まあそうか、などと一人勝手に納得してはみたものの・・・・。
あれ?そう言えばオレのツイン・リバーブって、あそこに置いてあるんだよなあ。

話、遡ること30年。
昔はライブハウスに出るには楽器だけじゃなく、アンプ類も自前だったんですよ。
ちょうど二十歳くらいの頃、Fenderのツイン・リバーブを購入した。
当時、使っていた荻窪のMistyというスタジオの東海林氏(「しょうじ」ではなく、「とうかいりん」と読む!!)のツテで新宿のELK、いやもうKEYになっていたか、で激安の16万で手に入れた。
ちょうど銀パネの後期の頃で、100Wではなく135Wの爆音バージョンである。

ちょうど20年前、自分の結婚式の二次会を吉祥寺の「のろ」でやるので持ち込んだのが最後だったような気がする。
その後、小出斉さんに貸して、しばらくは高円寺のJIROKICHIに置いてあった。
スピーカーが1発飛んだので、JBLを入れてたいへん重くなったという話を風の噂に聞いた。

それからだいぶ経ってから、「湾岸音響スタジオ」に移り、もう1発のスピーカーもJBLに換装され、もう誰も一人で持てる重さではなくなってしまった、との風の便りも聞いた。



ということで、今回のスタジオ閉鎖の報を聞き小出さんに尋ねてみると、「ええっ!それは知らなかった」と大騒ぎになったものの、スタジオの鷲津さんに連絡を入れてもらい、アンプ回収ということになったのである。
鷲津さん、25年くらいぶりにお会いした。あの頃はFM東京にいらして、たいへんC調な方として有名であった。
河内音頭の布教者?としても有名な方であります。

スタジオはこの倉庫の3階にあったものの、この日は機材は5階のものの見事な倉庫に並べられてあった。



すっかり年季の入ったツインさんと20年ぶりのご対面。
ちょっとお顔が黒くなったわねえ。

今回、私と小出さんのためにマイカーを出して、この重機を運んでくれた田辺のりゅうちゃん、誠にありがとうございました。
小出さんに、味噌ラーメン一杯で騙されちゃダメだよぉ。



そっと後ろにまわってみる。

おおおおおおっ!

見事にJBL入ってるよ。



で、こいつを自宅へ持って来ようかと思ったのだが、家で使うにはちとデカすぎる。
家族の冷たい目線に晒されるのは明白。さて・・・・と思ったところに、最近プライベート・スタジオを作ったという、私の仲間内では一番の出世頭であるT垣氏のことを思い出した。
「夜中でもマーシャル轟音可能です」という言葉を思い出し、それならツインの1台や2台、どおってことはなかろう。
と、勝手に思い込み、T垣スタジオに置く段取りをつけてしまったのである。

で、そこで真空管交換をする小出師匠の図。


このプライベート・スタジオも凄い。
土足で入っていいの?くらいな感じ。
近いうちに遊びに来てレポートしましょう。

で、T垣氏のバーニー・ケッセル・モデルで試奏する小出師匠。
このギター、後期のT-Boneも持ってたレアものである。


いやぁ、やっぱツインのリバーブはサイコーやね。
このギターとの相性もバッチシ。

あ、あれ?音がブチブチ言ってるよ。
ああ、真空管の接触だったのね。

あ、あれ?フットスイッチ無くなってるよ?
トレモロだめじゃん。

とは、言いつつも無事に引越し終了でメデタシメデタシ。

ちょいと遅いご報告ですが、去年に続いて今年も「奉納プロレス」に行ってまいりました。
先日、3月25日の日曜です。

まだまだ寒い中、桜が2本だけ咲いておりました。

そう言えば去年は、まだ震災の半月後だったんですよねえ。
(去年のブログ)

13時開始。

さっそうと酒やツマミをもって集まるいい歳の大人たち。

12人分の場所取りをしてくれた、ヨシエちゃん、ヤシオちゃん、ありがとう。

夜にライブを控えながらも参戦した岡地さん、玉井さん、KOTETZさん、たいしたもんです。



そんなにでかく書かなくてもわかるよね。

曙選手もだいぶプロレスラーらしくなりましたよね。



トイレ前での場外乱闘。

広い屋外なので、ファンサービスの場外戦は広範囲に渡ります。



この日のベストショット!は KAMIKAZEのアニキ。

トイレの上からのラ・ケブラーダ。

高さ3メートルはあると思われます。

しかも、下はコンクリート。


メインは橋本大地選手が大谷晋二郎選手に臨むシングルマッチ。
いかんせん、この頃はだいぶ酔いがまわって、試合内容がいまひとつ記憶に・・・・・。

終了後、一行は九段下の「○くら水産」へ。昨年と同じ。

そこで再びホッピーを。


気づくと、荻窪のROOSTERに。
八潮姐さんに引っ張られてきたもよう。
この日のライブは先ほどまで会場で一緒だった岡地曙裕さんも出演する”BluesTime”。
でも、藤井さんの影で見えません。。。。。

他のメンツは藤井康一さん、石川二三夫さん、恵福浩司さん、

あ、そういえば去年の今頃にも見に来ましたっけ。

2011年4月17日のブログ



そして、この日も会場をくまなく徘徊する小出斉先生。

ちなみに私は、昼間の深酒が祟り、最後は撃沈。
でも、岡地さんにご馳走になったトマチューで復活!
結局、ほぼ12時間呑み通しという状況でありました。

が、翌日は月曜日。出勤・・・。
ボロボロ・・・・。

「日曜は深酒するな」今後肝に銘じます。

半年ほど前に、 “come from Hawaii” というタイトルで書いたが、今度は Hong Kong である。

ワールドワイドな伊藤ブログ・・・・まぁ、言ってみたかっただけ・・・。

まずは、ちょうど1年前のお話を見て欲しい。

2011年2月8日のブログ。

はい、ちゃんと読みましたか?
読まなきゃ話が始まらないよー。


昨夜の話、1年ぶりのK藤さん(左)、そして・・・右にいるのが香港で私のブログを見ていたという奇特な方。
Umezuさんである。

お二人は10代後半の頃から一緒にロックバンドを始め、いつの間にかブルースにどっぷり浸かっていたという、まぁありがちな、いや、ありがちなマイノリティというか、まぁそういうこと。。。

しかし、元々ネットが取り持つ仲、とは言うもののこうやってリアルなお付き合いが出来るというのは良いものだ。
狭い世界、結局どっかで繋がっちゃうのだが(笑)


Umezuさんの来日、じゃねえや、日本出張に合わせて鳥和可でお会いしたので、店主若山氏も記念撮影に収まる。
Umezuさんは香港に渡って17年。あちらでバンドをやっていらっしゃる。
香港へ行かれる方、ご紹介しますよ。
そしてK藤さんは中野のBrightBrownにちょくちょく出没。
若山さんはもちろん鳥和可で弾きまくり。

ま、負けるもんか~!

こういう仲間の輪って最高ですね。

また呑みましょう!!