カテゴリー「Blues’n Soul (ブルージーな仲間たちの項)」への投稿

45年くらい前の話なので、記憶が怪しいが。
大学に入って1年間はサークルに忙殺されて好きなことも出来なかったが、サークルも脱会できた翌年からやっとブルースバンドを再開させ、何故か初のライブハウスが思いっきりアウェイな上福岡「のらろば」という店。
あの頃は基本的に機材はバンド持ちこみだったので私も新宿エルク(その頃はもうKEYだったな)の店員だったT氏のツテで1970年代末期最後の銀パネのツインを13万で買った。
お店(のらろば)は細長くて小さなところだったが、当時その店のレギュラーバンドだった「子供バンド」がイーストウエストで優勝した直後で、そんな話をMCで喋った記憶が。
今みたいにインターネットも無い時代だから、お店で優勝の報を聞いたのだろうな。
ライブの日はちょうど台風が来て帰りの志木街道でバンド車が側溝に落ちてえらい目にあったなぁ(笑)

あれから45年、子供バンドのボーカリストと呑んでツーショットに収まるという快挙の昨夜でありました!!









PRETTY THINGSのTシャツってとこが、なかなかに渋いっ!

「はもにかDOJO」
あれ?オレ初めて観に行くかも?
体調もだいぶ良くなったので、実は密かにファンである京都の大野木一彦くんを観にルースターへ。

そういえばルースターは今年の1月6日以来だな。
まったく不義理な私である(汗)
1月は大雪に見舞われ、武蔵境から1時間かけて歩いて帰ったのであった。
我ながら、まだ若い(笑)
ああ、そして寒い日が懐かしい。。。

それにしても、ハープ3人だと恐ろしいほどの重厚サウンド。
ぶっ飛びました。

そして安定のバック陣は小出斉、大西真、松本照夫(敬称略)!




まずは腹ごしらえ。

そういえば、佐藤オーナーの前説が無かったなぁ。




ノリに乗ってる男、Kotezと、かつての天才少年(笑)千賀太郎くんのバトル!

実はKotezちゃん、翌日は苗場でFUJI ROCK FESTIVAL、三宅伸治&The Red Rocksのステージという超ハードスケジュール!!



ぜったいこんな悪役レスラーいますね(笑)

ハモニカが凶器に見える(笑)
レフェリーに見つからないように・・・



さて、そうこうしているうちに、自分のライブもそろそろ画策しなきゃですよね。


先日、ハマちゃんに「新しい店が出来てね、なかなか良いよ」と聞いていたので、今日は金曜日!ってこともあり挑戦。
だいたい場所は覚えていたが、店名がちとアヤフヤだったのでハマちゃんに確認するも、まぁ当然「はい!私も行きますっ!」てなことになりますよね(笑)
「ハマちゃん」と言えば、某芸人より釣りバカ日誌のハマちゃんを思い出す私ですが、今回登場のハマちゃんは本名「大濱」である。
この漢字で、鋭い方は気付くと思うが、”うちなーんちゅう”である。
12年ほど前でしょうか、赤坂のライブハウスで対バンで知り合ったわけだ。
2010年3月8日のブログ
終演後、近所の居酒屋で打上げやってるときに隣に座って仲良くなった。
あの時、パーカッションだったけど、実はブルースハープも吹ける、てな話と、実は石垣島から出てきて暫く清瀬に住んでた、ということで私が幼稚園から40歳くらいまで住んでいた「清瀬の話」で盛り上がったのである。
しかも彼は、我が母校でもある清瀬高校の裏の森で不純異性✖遊(またの名を「アオ✖ン」とも言いますが)していたという不謹慎な男でもある。
その後、なぜか「みやら製麺」で出会うようになり、今に至るというわけだ。




まだハマちゃんが来る前に、こっそり食べた「スパムのチーズ揚げ」。

これは創作料理だな。

スパムの真ん中にクリームチーズか。

オリオンビールが進むなぁ。



ふ~ちゃんぷると請福のロック。

お麩のちゃんぷるーである。
旨いっ!

泡盛は迷ったら「請福」!

琉球ガラス、美しいっ!




沖縄そばの「やきそば」。

みやら製麺の「八重山そば」の麺に慣れてしまっていたので、こちらの沖縄そばも良いですな。
どちらかと言うと、こちらの方がチープかな(笑)

奥に写っているのは、「珊瑚礁」という泡盛。
ハマちゃんのボトルを飲み干しました。
(ちゃんと、もう1本入れて帰りましたよ!)



必ず食べるぞ、ポーク玉子!!



ハマちゃんと記念撮影。

天山広吉に似てるという噂が(笑)




お店をバックに。

大塚駅北口出て、左の線路際の道を歩くと直ぐに着きます。
予約して行った方が無難な人気店でした。

沖縄酒場 波南(なみなみ)
東京都豊島区北大塚2-2-7 ドルメン大塚 1F

https://tabelog.com/tokyo/A1323/A132302/13271394/


有りそうで無かったジョイントライブ。
敦賀隆(ex.Bob’s Fish Market) & 町田謙介である!
梅田亜土ちゃんの「アドー音楽事務所」主催である。
うん、なかなかにいい仕事だ。
ちなみに七夕の夜である。



ライブ会場も下北沢ラウンということで、ナイス。

このフライヤーは、当然だがデザイナーの町田謙介氏の作品である。



町田謙介氏、「ねずみ男」という芸名(?)で活動していた頃からの40年来の友人である。

その彼の大先輩である敦賀氏との共演(これも40年ぶりくらいとか!)ということで、妙に硬い(笑)

コロナもあってか、約3年ぶりの遭遇だね。
2019年5月20日のブログ




こちら、私も大好きな敦賀隆大先輩。

ねずみと違って、全然マイペース。

曲順の構成なんかも行き当たりばったり。
私も共演させて頂いたことがありますが、まぁ、そんな人です(笑)

全てにおいて無頓着というか、終演後に自分のライブくらい宣伝しなさい!とみんなに怒られてました。



最後にジョイント!
でも、事前に一緒に演るなんて想定して無かったもよう。

ということで、予想通り、” WEIGHT “ で〆ます(笑)



最後まで残って呑んでいた、私と増渕英紀さん、そしてこのライブの主催者である梅田亜土ちゃんとステージ上で記念撮影。

この写真だけ、フジヤマカメラマンのスマホ撮影で。




追記。

ライブ前に町田氏と話していた時、今回彼の書いた小説を持ってきたとの事で購入!

しまった、サインしてもらうの忘れてたな~

昨年のニュースで、太宰治ゆかりのスポットの一つである「三鷹跨線(こせん)人道橋」が解体されるとの話があった。
まあ、簡単な話、維持費(耐震補強の費用)がもたない、ということのようであるが、残念に思う。
当時は鉄骨不足のために明治、大正時代の古レールで作られたのだそうだ。
昭和4年に作られたというこの建造物(?)、私は撮り鉄ではないが何十年ぶりかに行ってみた。

ちなみに、まだ撤去予定は決まってないようだ。


西暦にすると1929年、ブラインド・レモン・ジェファーソンが亡くなった年ではないかっ!

そっちの話なら得意だぞ(笑)


チャーリー・パットンの初録音も1929年だ!

i-podで “Pony Blues”でも聴きながら、と思ったが入ってなかった(汗)




これは何だ?
まさかこれは1929年製ではないだろうが。


で、三鷹まで来たら、ここだね。

コロナということもあり、たぶん1年半ぶり。



と、暫く呑んでいると、フラリと一人の男が入ってきた。

なんっつう偶然。

ミスター W.C.カラス!


何とかは何とかを呼ぶと言いますが、この場合「酔っぱらいは酔っぱらいを呼ぶ」ということですな(笑)


山岸潤史さん、帰国直前の緊急参戦ライブ!

いつもお世話になってる、グレート・カブキさん、安子さんにも会えた。
なんと長い年月ご無沙汰だった森田義信氏とは今月3回目の遭遇!!



ふだん、すっかり不義理にしてるのに、2ケ月連チャンでジロキチにブッチャーを観に来てしまった(笑)




スリーショット記念撮影!

本来なら山岸さんが真ん中に入らなきゃいけないのに「真ん中は早死にするからアカンのや」ということで、役割が回ってきた(汗)



今回は短編でした!(笑)

そして、久々に月間8本も投稿したっ!!



おまけ。

フジヤマカメラマンがウエストロードの3人の写真(今となっては貴重かも!)を撮っていたので、こっそり私も脇からパシャリ!(笑)


ドクター・ジョンの自伝フードゥー・ムーンの下でという本をご存知だろうか?
実は私は持っていない。。。。。
1994年の刊行で¥3,600、ちょっと高かったのでやり過ごしていたら、30年近く経ってしまった(笑)
で、どうやら絶版になっているようでアマゾンで見てみると、一番安くても¥35,000以上(10倍!!)。
最高値は、なんと!¥75,000でありました。
古本でも、と思ったのが大間違いである。

実は、この書の日本語翻訳をしたのが、40年来の友人である森田義信氏である。
その昔、ティア・ホアナという西荻窪にあったレコード店を中心にその界隈でよく呑んだりしたのであるが、彼はその頃からの友人である。
ちなみに年齢も同い年である。
その頃、二人はまだ学生だし。
酒の呑めない彼ではあるが、行きつけの「おふくろ」というサイコーな小料理屋にも良く行ったものだ。
【2010年1月28日のブログ】
そうそう、何曲か歌詞の聞き取りもやってもらったっけ!
その節は、ありがとうーございました!!

私が西荻界隈で頻繁に遊んでいたのが20代の半ば過ぎあたりまでなので、かれこれ35年ぶり以上の再会だろうか。
が、実は違う。
2014年の夏、(おおっともう8年前なのか!)ビルボードでシル・ジョンソンを観に行ったときにバッタリ遭遇したのである。
【2014年8月1日のブログ】
終演後、喫煙所に入ると、どうも似ている人がいるではないか!
勇気を振り絞って声をかけると森田君であったのだ。
その時に名刺を渡したのだが、それっきりになってしまった(実は後日談あり)。

で、話は2022年に舞い戻る。
5月29日の東京ブルースカーニバルの翌日、JIROKICHIでプロレス同好会のKOTETZ達のライブがあったのだが、ドラムの岡地曙裕氏から「森田さんが来てくれたよ!」と連絡が入ったのである。
ありがたいことに、電話番号を聞いていてくれたので、早速ショートメールを入れてみた。

ということで、岡地さんが参加できる15日に会おうということになったのである。
いやぁ、30年以上ぶりにゆっくり話が出来るのは嬉しいねえ。
奇特な音楽を愛好する輩たちにとって、30年の年月は関係なく楽しすぎる夜でありました。
話の内容は、墓まで持って行かなきゃいけないようなのが沢山あったけど(笑)
出来れば、朝まで呑み語りたいところだったけど、まだ水曜だし残念無念。。。。。




東京ブルースカーニバルで大活躍だったフジヤマ・カメラマン撮影の記念写真!

ご近所さんの妹尾みえちゃんも特別参加で、1970~80年代の日本のブルースの話題盛りだくさん!




お店は下北沢ルーデンス。

カウンターの中からの写真は、お店の長谷川ちゃん(実は彼も同級生以!)のFacebookから盗んできました(笑)



で、シル・ジョンソンの時に渡した名刺は速攻で無くしてしまい、結局連絡が出来なかったとのこと(笑)

で、6月7日のブログにも書きましたが、実は6日のJIROKICHIでバッタリ会っていたのでありました(驚)