Calvin Leavyカルヴィン・リーヴィーと言えば同年代のブルースファンの皆さんは、その青春時代の甘酸っぱい想い出(?)と共にあの名曲が蘇ることであろう。
そう、私も高校2年生だった。彼女とも別れ、毎日のように阿佐ヶ谷の “Cadillac Baby” へ西武バスと中央線を乗り継いで行く毎日。
そんな頃、P-VINE SPECIALが満を持して発表した記念すべき第1作目が “Calvin Leavy – Cummins Prison Farm” だった。

タイトル曲のインパクトにはぶったまげたね!淡々と歌うカルヴィン・リーヴィー(しかも深い!いい声!!)。そして間奏のギターソロのえぐさ!
えーっとロバート・タンナーって言ったっけ。無名どころの無名ギタリスト。その後、他の録音とか出てきたのかな?とにかく、耳をつんざくギターソロってやつだな。
そう言えば、カルヴィンもその後どうしているんだろう。

そのLPに収録され損なった名曲がスタンダードの “It hurts me too”。
そして “Cummins Prison Farm” のアンサーソングが “Free From Cummins Prison Farm”。

調べてみたら、その後のCD化に際してこの2曲は収録されていたんですね。参った参った。
でも、そのCDがネットで引っかからない。廃盤なの?在庫切れなの?
この想い出のカルヴィン・リーヴィーはぜひ孫の代まで残してもらいたいもんじゃ。
いまネットで引っかかったのは “The Best of Calvin Leavy” という輸入盤だけ。
ちょっと選曲がP-Vineとは趣旨が違うと言うか・・・。う〜ん・・・。

ネット検索のついでに、もうちょっと調べたら、なんとリーヴィーさん服役中だと。。。
うーーーん、残念無念。

15
2月

腰痛になる。

   Posted by: Masazumi Ito in Everyday I have the Blues (日記の項)

日曜の急な葬式に始まり、今日まで激務が続いた。
昨日のバレンタインデイも、夜中に日付が変わってから我が家のお手製チョコを淋しく冷蔵庫から出してむさぼる私であった。

もう50歳も手前になると、友人知人らとの会話は「いやぁ、最近血圧が高くてさあ」とか「糖尿の気があって食事制限だよ」とか「通風が痛い」等々体調不良の話題が多くなる。
私は若いときに暴飲暴食、不摂生な生活を謳歌していたにも関わらず、この歳までこれと言った病を患ったことがない。入院はおろか、骨折すらない。
10年ほど前、会社の繁忙期に強烈な胃痛に見舞われ、病院へ行くと「十二指腸潰瘍」と診断されたが、繁忙も収まりみんなで酒を飲みに行ったらピタッと治った(もちろん、薬も飲みましたが)。
頑丈な体に作ってくれた親に感謝である。
両親共に血圧が高いにも関わらず、私は極めて正常値。会社の健康診断でも「太り気味」以外は問題なし。
以前は肝機能の値が「要再検査」だったが最近はだいぶ落ち着いており、この体型にも関わらず「コレステロール値」や「中性脂肪」の値もさほど高くない。
再度、両親に感謝。それと、偏食を直していただいた妻にも感謝。

でも、さすがに年齢には勝てずに最近はあちこちにガタが来始めた。
2,3年前から首〜背骨が痛み出して、大嫌いな「病院」へ行ったら「脊髄ナントカ症」の疑い、と言われた。病院を5軒ほど変えたが原因不明。
レントゲンも問題ないらしい(ただ、骨の付き方が常人と逆だと言われたが)。
この痛みは左肘〜左の指先まで痺れとなり、睡眠の妨げとなった。
しかしながら、この痛みもたまに治まったりするものだから真剣に病院に通わない。これがいけないのだろうが。
あと、痛み慣れっていうのもあるかもしれない。

で、二日ほど前から腰のあたりが痛み出してきた。筋肉痛っぽいのですぐ治ると思った。
これが昨日の朝は痛みが増した。
昨夜はもっと痛くなった。
今朝は起き上がるのに10分かかった。や、やばい・・・。

今朝、うちの小学三年生と洗面所で並んで歯磨きしているときに
(私、腰をかがめる)
私「あ、痛てててて」
娘「どったの〜?」
私「いやぁ腰が痛くてね・・・」
娘「ビックリ腰!!」
私「そ、それを言うならギックリ腰でしょ」
娘「〇〇ちゃんのおかあさんもビックリ腰だって」
私「い、いやギックリ腰・・・」
娘「あのね、Wiiやってたら突然グキッてなったんだって」
私「お父さんのは突然じゃないからねぇ・・・」
娘「でねぇ、恥ずかしいから病院では『頑張ったらなっちゃった』って言ったんだって」
私「「(おいおい主語がないよ、何を頑張ったんだ?余計恥ずかしい話じゃないか?)」
娘「じゃあねぇ〜」

学校で「ウチのお父さん、頑張らないのにビックリ腰になったよぉ〜」と吹聴していないだろうか。

この腰痛をおして、明日は22時から朝5時までNG’sの深夜リハーサル&ミーティング。
そして恐ろしいことに、そのまま仕事へ直行になりそうだ ( ̄□ ̄|||)がーーん!

お清め
土曜日のリハの最中に、去年退職したTさんから連絡が入った。
「Oさんが亡くなった」と。

Oさんは会社の先輩でとっくの昔に定年で退かれたが、まだ70歳手前だった。
ちょっと変わった人で、しかも夏場に半袖が着れない、と言えばお分かりだろうが、背中には紋紋が入っており言葉遣いもカタギの口調ではない。
「男気」とか「義理人情」といった言葉が大好きで、カラオケで歌うのは当然「兄弟仁義」。
頭に血が上ってお客さんをぶん殴りブタ箱行きになったという武勇伝(?)もある人だ。

もう20年くらい前になるだろうか、同じ支部で組合の委員をやっていたYさんが酒の席で殴られた。
私のことを同じ穴のムジナくらいに思っていたのだろう、その後初めてOさんと酒宴で同席したとき想像通り喧嘩になった。
ただ私は殴られなかった。というか、最後は肩を組み二次会のカラオケスナックで歌い、酔っ払ったOさんを自宅まで送り届けて帰った。
それから年に1,2回一緒に飲むようになった。最後は私がおもりやく。
やってることは少々横暴だが、「思いやり」とか「約束ごと」にはとてもうるさい典型的な昔かたぎのおじさんだった。

ここ数年はすっかり疎遠になってしまっていたが、年に一度は必ず電話がかかってくる。
去年の夏ごろだったか、実は胃がんになって入院していたと電話があった。でも、もう飲めるようになったから大丈夫だとも言っていた。
入院してから手術するまでの経過を面白おかしく語ってくれたOさん。あの時の会話が最後になろうとは。

律儀なOさんだったが、年賀状は駄目だった。正月すぎに来たり、今年は来ないなぁなんて思ってると突然1月の中ごろに電話がかかってきたり。
今年は珍しく元旦に届いた。
しかも印刷ではなく、しっかり自筆で。

胃はほとんど摘出していたそうだったが、癌は直っていなかった。
葬祭場を出る前に、Oさんの顔を拝ませてもらった。
かつてはブイブイ言わせた厳つい表情もなく、とても穏やかな寝顔になっているのを見て思わず泣けてしまった。

お通夜も終わり、数人の先輩達とお清めに。
皆、平均年齢70歳前後。
「伊藤ちゃん、困ったことがあったら何でも相談してくれよ!」。酒も入っているせいか、みんな涙流しながら握手してくる。
こんな気さくな先輩達がいたあの時代は会社が楽しかった。

また雪だ先週に続き昨日はまた雪だ。
こともあろうに、NG’sのリハーサル日だ。リハが終わって外へ出ると、代々木は一面の銀世界。
最近どうもリハの日は悪天候。雨ぐらいならかわいいが、台風や大雪までやってくるのはたまらない。
この辺の考察は、NG’sのブログをご参照ください。

来月(3/1)のライブまで残りのリハはあと1回。
新曲をしこたま詰め込んだのにこれではマズイ!ということで、急遽来週は24時〜5時の深夜リハ敢行。
夜中の練習に中年バンドマン達は耐えられるのでしょうか。

家に帰る頃には雪はやんでいたが、うちの車に覆いかぶさった雪や、路面の状況は写真のとおり。

しかし翌日に会社へ行くと、なんと江戸川区はほとんど降っていないようで、道路はきれいなもんだ。
同じ都内でこんなに違うとは。

from 徳島その昔、いっしょにやっていたバンド”Lindy Hop” でベースを弾いていた神東正典さん。
今は故郷の徳島で家業(?)の神社を継いでいる。すばらしいことに、まだベースも弾いている。
悪魔の音楽を演奏する神主さんである。

先日、あるお願いをしていたのだが、昨日頼んでいたモノが届いた。
それこそメール便で充分こと足りるものを依頼したのだが、写真のでかい箱が到着していた。

え〜と、犬は箱の大きさの比較対象というやつで。

Crossroad Guitar Festival 2007でかいダンボールの中には、お神酒やら撤下品の数々と一緒に、お願いしたもの、そしておや?DVDも入っている。
1枚は現在神東氏のやっているバンド「黒神(こくじん=良く考えたら凄いバンド名だな)」の徳島でのライブ映像(フューチャーリング服田洋一郎!!)、そしてもう1枚が「クロスロード・ギター・フェスティヴァル 2007」。
昔、この手のものは東京から地方へ「送ってあげる」という感じだったが、今やネットにつながったパソコンと宅急便があれば、日本全国同じモノが手に入る時代。
ありがたく頂戴した。

もう夜中だったので全部見ていないが、とりあえず2枚目の方を軽くチェック。
ジェフ・ベック、うわぁ久しぶりに見たなぁ。右手が白いのは滑り止めの粉?ベースの20代前半のお姉さんは何者?
ロビー・ロバートソン、ふ、太っちゃったね。クラプトンは一昨年の暮れに見に行ったのでまぁ分かってはいたが、スティーヴィー・ウインウッドとの「ブラインド・フェイス」ナンバー3連発にはしびれちゃったね。
バディ・ガイは相変わらず元気。ヒューバート・サムリンも少々痩せたみたいだが元気。でもジョニー・ウインターが老けちゃってちょっと心配。

神東氏は私以上にモノモチが良い。
私の若かりし頃の「かなり恥ずかしい写真」をお持ちらしい。
いま、それをネタに脅されている最中・・・(/_;。) ウッウッウッ・・・・・

ニューミュージックマガジンvs音楽全書日本で最初のいわゆる「ブルース・ブーム」があったのは1974年秋の頃。
ちょうど「第1回ブルースフェスティバル」が開催された時期だ。
チェスやデルマークといったところが、日本のレコード会社から続々と発売された。
残念ながら中学生の私は、ロックウッドより初来日のクラプトンを選択し、ニューミュージック・マガジン(現ミュージック・マガジン誌)の増刊号である「ブルースのすべて」(写真左)も買いそびれていた。

その半年後にバディ・ガイの来日公演に接して、どっぷりとブルース漬になるのだが、いくら古本屋を捜してもこの本を見つけることができなかった。
1年半後に、「音楽全書」(写真右)という雑誌が発刊され、その創刊号のサブタイトルが「ブルースの世界」とあり、全編ブルースを特集した内容だった。
私にとって、この1冊がブルースのバイブル代わりとなる。表紙のスレを見てもらっても一目瞭然。

で、NMMの増刊はそれから10年以上経ってやっと入手の運びとなる。しかしながら充実度の高い内容の濃さはわかるのだが、すでにブルースの知識は格段に向上しており、物足りない存在になってしまっていた。
発売のときに買っていれば、ボロボロになるまで読み漁っていただろうに・・・。
その本は誰かに貸したままなのか、家の中には見当たらなくなってしまった。

先日、ひょんなことから再度入手した。
とても美品で、前の持ち主にとってこの本はブルースのバイブルには成り得なかったのだなぁ、と思いながらページをめくっている。
それにしても、あの頃のニューミュージック・マガジンって凄い雑誌だったんだなぁ。

昨日、長女がスキーから帰ってきた。
初めての経験に充分楽しめたようだ。

「雪が降って高速道路が通行止めだったから、行きのバスはずっと一般道を走ったんだろ?」
「えぇ?よくわかんないや」

そうだよな。
バスの中で友だちと遊んでて、外なんて見てないよな。

まぁ、親の心配なんてそんなもの。

ああ、東京はまた雪だ・・・。