2年9か月ぶりのOLD BLUES CIRCUS!
JIROKICHIは丸々3年ぶりです。
一部、SNSに事前投稿しましたが、ドラムの大平幹久氏が海外へ移住するということで(正確には、暫くは行ったり来たり)、これはイカン!演らねば!!と思ったのが5月くらいのことだったでしょうか。
年末前を目途に、と思ったのですが。。。。。
当のご本人が両足の股関節が不調で、歩くのも一苦労。
両肩上がらず、ドラムなんて叩けない!と、来たもんだぁ~
コロナ禍で、しばらく家に籠っていたため、身体が固まってしまったか。
旧友の岡地曙裕さんに相談、トラを引き受けて下さりました!
ホント、感謝感謝です。

これは平さん(大平さん)の送迎会ライブになりそうだな、ということでご当人に所縁のある方をゲストで招こうかと。
やはり個人的には”ブルーヘブン”だな。
ということで、ゲストのラインナップも完了!
あとは平さん本人が、ここまで叩けるのか・・・・・。




そして本番数日前に、ピアノの若山光一郎氏が急遽出演不能に!
理由はご想像にお任せします。
あまり意外性のある回答ではありませんので、敢えて触れません(汗)

フライヤーは「訂正版」です!



が、なぜか店の前のお知らせには「若山光一郎」と書いてあるではないか!
我々に内緒で来るのか??

いや、単なる記載ミスでした。
ライブが始まるころには、名前が消されておりました。。。。。




63歳にして、この日の最年少である私ですが。
大半を仕切る羽目になっています。
猛獣の檻に入れられたウサギみたいなもんです(笑)
途中から勝手に「団長!」とか言われてるし・・・(汗)

まぁ、大役ですので有難く思いながら仕事せねばね。。。

ちなみに、早速この日は、文屋章さんから入手したヒューイ・スミスのTシャツです!!




実は今回のライブは録音されています。
元々プロの「音声さん」であられます吾妻さんが機材持ち込みです!
さぁ!この録音、陽の目を見るのか~!!
「よし!CD出そうっ!」と言ってた方もいらっしゃいましたが(笑)
でも吾妻さん、音声さんの時は前呑みしないのねっ!

ちなみに左の音声さんは、知る人ぞ知る、JIROKICHIで45年以上ミキサーとして活躍するワオさんです!!




リハ風景です。
左から、チャールズ清水・吾妻光良・大平幹久。

おおおっ!
45年前のJIROKICHI、じゃなく「次郎吉」の風景ではないですか!

ブルーヘブンの3名であります!
(御大のお二人は、いらっしゃいませんが。。。)



もう一枚、リハ写真を。

写真では分かりませんが、この日は持込含めて何と7台のギターアンプが並んだのでありました!




さてさて、定刻の19時30分となりましたので、第1部の開幕です。
OLD BLUES CIRCUSの面々に、ドラムは岡地曙裕さんが入ります。

実はこのメンツで事前リハを行っているのですが、3週間前なので記憶も怪しいです(笑)




石川二三夫。

コロナにも負けず(あ、1回負けたか。。汗)地道にライブをこなしています。
ライブの無い日は、ハモニカのメンテに勤しみ、公園の池でカルガモを撮ってSNSにアップする日々です(笑)




岡地曙裕。

今回のイベントはこのお方無しには成立しませんでした。

皆さまご存知のように岡地さんは「超」が付くオイソガ氏で、おまけに4日前には福島で大イベントのクダラナ祭りを隅から隅まで仕切ったばかり。
いろいろと相談にも乗って頂き、ありがとうございました!!



山室俊介。

コロナでバンド活動が危うくなったので、ついにソロデビューを果たしました!
いつもは、ブルースの歴史を紐解くような、とても為になるライブを演っています。




伊藤正純。

録音されているにも関わらず。
イントロの1発目のギターの音を外しました。
ある曲では、歌詞も間違えました。

事前のガソリン補給が足りなかったのかもしれません。。。



中村サトル。

おお~、いいギター持ってるねぇ。
3年前に格安で売った335であります。
フレットを打ち直したり、配線を直したりと、いろいろ手を加えたようですが、もちょい高い値段で売れば良かったなと今更ながら思いました(笑)
この日はボトルネックも披露されましたよ!



チャールズ清水。

本来は第2部からの登場でしたが、若山光一郎欠席のために急遽1部の途中から参加して頂きました。
約45年前に発売された「Minor Blues」というソロアルバムが、当初は11月23日に復刻発売の予定でして、ちょうどレコ発イベント兼ねて良かったねぇ!などと言っていたのですが、諸々の事情で2月に発売延期となってしまいました。

とは言え、しばらくぶりのJIROKICHI登場に加え、懐かしいメンツとの再会に大変喜んで頂き、主催者冥利に尽きるってものであります。




さて第2部はこのセットからスタート。
正にごった煮のサーカス団みたいなものです。
そして、お待ちかねの大平幹久登場!!!
当初の、ほぼ叩けないらしいという話から、おおっ!これは問題無しだっ!に。
最悪の状況に備えて岡地さんが待機していましたが、2部は通して叩いてくれました。
そして山室選手はアコギです!



小出斉。

3人目のゲストです。
ツアーに行くと増量して帰ってくることで有名ですが、前日に東北ツアーを終えたばかりで、ギターが腹の上に乗っていました(笑)
昔、よく十八番で唄っていた Seventy Four Blues を事前にリクエストしたのですが、「おおいいよ」と言ってくれたものの「最近も演ってるけどね(笑)」ということで、単なる私の認識不足が露呈した瞬間でした(汗)



森田恭一。

このお方が今回の最年長者!
と言いながら、唯一全曲でベースを弾いて貰いました。
年長者に厳しいOLD BLUES CIRCUSです(笑)
コロナ禍でも一人で関西ツアーを決行したり、ある意味いちばん若いかも!
第1部のラストに、あの夕焼け楽団の「星くず」を唄ってくれました。
「ブレイクダウンでは唄わせて貰えないしね」とのこと。そりゃそうだ!



チャールズセット、その1。
最初はスペンサー・デイヴィス・グループの I’m A Man を予定していたのですが、急遽オリジナル曲を。
はい、当然誰も聞いたことのない曲です。

曲名『秘密のクラブ』、思いっきり妖しそうなタイトル(笑)
サトルちゃんのスライドギター、フィーチャーです。



チャールズセット、その2。
リクエストしちゃいました。
これは絶対に聴きたかった。
“Minor Blues”ですっ!

リイシュー予定のアルバムのタイトル曲ですね。

ちなみに、ここから日本の誇るブルース録音技師、吾妻光良登場であります!



そして吾妻セットです。
なんだかビッグネームの中に私も混ぜて頂く形で、恐縮です。
私以外の皆さまは1970年代中後半から日本のブルースブームの第一人者であられましたが、吾妻・チャールズ両名は未だ二十歳そこそこの若者であったため、かなり苦労されたようです(年功序列の日本ブルース業界 笑)。
吾妻さん、この日は全世界youtube配信でありながらも、かなりバレバレの仮名を駆使して、とてもテレビ局にいた方とは思えない暴露男でありました(笑)




さらに小出さんも加わりました。
このギター3名は、その昔ですが一瞬コーラスユニットをやってまして(1980年代中頃でしょうか)、まぁハモらないこと(笑)
しかも、ライブ前には井之頭公園に集まり、コーラス練習をしてライブに臨むという詐欺まがいなこともやっており、なおかつ内緒ですが、私はそのライブテープも所有していますが、最期の時には棺桶に入れて貰うつもりです(爆)
この日も、一瞬たりともハモりません(笑)



最後の大団円です!
全員集合で、山室さんの唄う This Little Light Of Minneで全員大合唱で終わります。
えーっと、これはコーラスではなく、まぁ軽い阿鼻叫喚といったところでしょうか(笑)
2部は客席でにごり酒を相当呑んで、大平さんに声援を送っていた岡地さんも登場です。

良く見ると、一番右端にこっそりと「ねずみ男」じゃねえや、町田謙介氏も混ざっています(笑)



さてアンコール。
いちおう “Old Blues Circus”のライブですので、若山光一郎欠場ではありますが、オリジナルメンバーにて1曲。

大平さん、むちゃぶりでドラムソロを2コーラスも回してしまいゴメンサイ~。



大平幹久。

来年からは、晴れて外タレ枠に転向です(笑)
満身創痍でも、素晴らしいドラムをありがとうございます。
この日は家族の方もいらっしゃい、「またヨロシクお願いしますね~」と言われた以上は引退は許されません!!



そして After Hours的な感じで、アンコール2.

吾妻「伊藤っ!ほ、ほんとにこれを演るのかっ!?」
はい、お願いします。
リハではグダグダでしたが、懐かしい Crying Timeでお開きです。




最後に記念撮影。
豪華版ですね(私以外は)。

岡地さんが持っているのは、山室さんが作ってくれた「平さん写真立て」。
決して「遺●」ではありません。。。



最後は、お楽しみの打上げです!

大人はワイン、、、2本では終わりませんでした・・・・・。




ご来場の皆さま、後売りチケットご購入の皆さま、誠にありがとうございました!

吾妻さんのライブレビューも是非どうぞ!
Swinging Boppers & Other Events

コロナが騒ぎになったのは、2020年の2月初頭でしたね。
大型クルーズ船の騒ぎが、船内だけでなく、あっという間に全国中に。。。
OLD BLUES CIRCUSは2月20日のライブを最後に、その後の3つのライブをキャンセルする羽目になったわけです。
ああ、あれから2年と9か月。
やっと復活であります。
11月30日(水曜) @高円寺 JIROKICHI!
https://jirokichi.net/2022/11/30/20506/

その間、地道に活動を続けたメンバー、全く外に出なくなったメンバー等々。
私と言えば、いちおう会社員という組織に属するものとしては、あまり派手に課外活動も出来ませんので、こそこそと飲み歩く毎日(笑)
その私も、今年の5月に63歳となり会社規定で定年。
いまは半年契約の嘱託社員であります。
給料は60歳の時の6割。
仕事は同じ。。。
嗚呼、また愚痴ってしまったわ。


今回のゲストは、吾妻光良プロ、チャールズ清水さん、小出斉さん、岡地曙裕さん。
吾妻さんとチャールズと言えば、ブルーヘブンに同時期在籍。
今から44,5年くらい前の話か。
それにドラムの大平さんもブルーヘブン!
あの頃は “BLUES BATTLE”と称して「次郎吉」(まだ表記は「JIROKICHI」ではない)で、ブルーヘブン、ブレイクダウンが1部、2部を受け持ち、3部として両方のバンドから選抜でセッションを良く行っていました。
もちろんブレイクダウンのもっちゃんもいますし、1970年代後半あたりの「次郎吉」の再現もあり得るかもですね!
当然、小出さんもブルーヘブン、岡地さんもブレイクダウン。
個人的には懐古的にならざるを得ない面持ちであります。


あとチャールズ清水さんの44年前の名作 “Minor Blues”がリイシューされます!
私の記憶では、これはCD化されていません。
どうやら11月23日発売とのことで、これが正しければレコ発ライブも兼ねてのステージです!
こちらも期待しましょう!
(11月15日加筆:残念ながら、発売延期となり間に合いませんでした・・・)


ライブ当日含め4日間、JIROKICHIのyoutubeでライブ観戦できます。
https://www.youtube.com/c/LiveMusicJIROKICHI
無料で観れますが、後売りチケット(¥2,000)というのもあります。
恵まれないバンドマンとライブハウスの為に、何卒ご協力をお願い致します。
(12月3日の土曜、23時まで視聴可です)

JIROKICHIの予約は下記からどうぞ。
本日(11月2日)の19時予約開始です!
宜しくお願い申し上げます。

https://www.staglee.com/en/events/6906/old-blues-circus?filter_reset=1

なお、整理番号が付かなくても良ければ、私へ予約のご連絡頂いても大丈夫です。
(但し、WEB予約の整理番号の後からの入場順になります)




2022年10月1日の午前中のこと。
ふとYahooニュースに「アントニオ猪木、死去」の報せが。
嗚呼、ついに来てしまったのか。
ちょっと前、24時間テレビに出た時、舌は回らないがそこそこ元気に見えた。
だから、復活すると思っていた。
なのに・・・

遡れば小学生の頃、たぶん昭和42、3年くらいか。
たいしてプロレスが好きで一生懸命見ていたわけではない。
どちらかと言うと、グループサウンズを歌番組で見る方が好きだった。
が、何かの拍子に、原因は分からない。毎週金曜の夜8時はプロレスを見るようになっていた。

当時の日本プロレスは2m9cmのジャイアント馬場がエース。
そしてそれを支えるのが、いかにも石頭といった風情の「一本足頭突き」の大木金太郎。
力道山時代からの業師ではあるが、そろそろ40歳を超えてお腹ポッコリ体形の吉村道明。
となると、まだ20代でスマートなアントニオ猪木が一番カッコいいに決まっている。

その記憶の中で鮮明に憶えているのが、猪木さんの新必殺技の名称公募だ。
当時、猪木さんの代名詞と言えば「コブラツイスト」。
だったが、ジャイアント馬場なども使い始めたので新しい技が必要だったのかもしれない。
昭和43年だったと思う。
そして、その新必殺技は「卍固め」。
ヨーロッパでは「オクトパスホールド」と言われていたが、当然この技を伝授したのは、当時日本プロレスでゴッチ教室を開いていたカール・ゴッチ氏によるものであるのは言うまでもない。
小学3年生の私は「卍固め」というより「アントニオ・スペシャル」(卍固めの別称)という言い回しの方が好きだった。
この技、小学生の私にはちょっと複雑で興味深かった。
そういえば、当時プロレス雑誌で見た「パロ・スペシャル」(欧州のジャッキー・パロという軽量レスラーの得意技)ほどではないにしろ、プロレスの奥深さを悟ったものである。

テレビ中継は、当然金曜夜8時の日本テレビである。
TBSテレビの水曜夜7時からは国際プロレスもやっていた。
豊登・サンダー杉山組とか欧州帰りのストロング小林とか。

そしてもう一つ。
テレビ東京がまだ「東京12チャンネル」という名称だった頃。
土曜夜の8時からの「プロレス・アワー」だ。
おそらく1950年代から1960年代初期の頃のアメリカの試合だ。
当然、白黒。というか、まだカラーテレビも珍しい時代だった。
どちらかと言うと、私は金曜の夜より、こちらが好きだった。
ルー・テーズVSバーン・ガニア(まだ髪の毛があった!!)のNWA世界タイトル戦とか、バディ・ロジャース、アントニオ・ロッカ等々まだ見ぬ強豪オンパレード。
そして雑誌は「プロレス&ボクシング」、創刊したばかりの「ゴング」を隅から隅まで舐めるように読んだ。
話がどんどん反れるが、そんな中で大のお気に入りがフリッツ・フォン・エリックだった。
実はエリックの来日は1966年秋と1967年春で、私がファンになる直前だったため、このプロレスアワーで初めて遭遇、その馬力の凄さにKOされたのでありました。
(ちなみに、このテレビの頃はまだアイアンクローは使っていなかったようで、ストマッククローが決め技だった)

とりあえず、私は猪木とエリックを信奉する小学4年生になったわけです。
そして、またエリックの話になってしまうが、初のプロレス生観戦が1971年9月4日のこと、日本プロレスの「サマーミステリーシリーズ」である。

田園コロシアムでの馬場VSエリックのインターナショナル選手権試合がメイン。猪木はセミファイナルで大木金太郎とのコンビで、対する相手はザ・スポイラー(ドン・ジャーディン)、ブル・ラモス組。ミル・マスカラスも二度目の来日。
当初はまだ見ぬ強豪であるザ・シークの初来日だったのだが、急遽キャンセルで個人的に待望のフリッツ・フォン・エリックを生で拝めたのであります。ちなみに翌年の夏、同じ田園コロシアムでシークの初来日も観戦、坂口征二のUNタイトルに挑戦した試合です。日本プロレスが崩壊する半年前ですね。中学1年になったので清瀬から一人で観に行った強者(笑)

この年の暮れに猪木さんは日本プロレスを追放されます。その3か月後に「新日本プロレス」を旗揚げさせました。『旗揚げオープニングシリーズ』記念すべきこのシリーズですが、出来たばかりの新参団体で外人レスラーもカール・ゴッチ(最初の3戦で帰国)以外は、ほぼ無名。日本側は急遽参加した豊登以外は山本小鉄、柴田勝久、魁勝司、木戸修、藤波辰巳、そして入ったばかりの新人たち(後のグラン浜田、ミスターポーゴがいたけど!)という具合。1972年4月2日、中学の入学式を向かえる数日前に「所沢日吉町東映跡広場」という会場で観戦です!ここ、今のTOCOTOCO SQUARE(元ダイエー、元イオン)の並びに東映の映画館があってその閉鎖後広場(確か駐車場になっていた)でした。昔懐かしい屋外会場です。ここで間近の猪木さんを観て、なおかつ試合終了後にパンフレットにサインをして頂いた!!(宝物!)この瞬間にもう心はアントニオ猪木命!!

実はこの翌月のこと。
保谷の屋外会場(確か「石泉スポーツセンター」いったいどこだったんだ?野球場みたいな所だった)で日本プロレスを観戦。もちろん猪木さんは居ないわけだが、馬場+坂口の「東京タワーズ」を売り出す頃。外人部隊もジョニー・バレンタイン、ミル・マスカラス(この時、サイン貰った!)、ドン・キング・クロー、ミスター・レスリング(本家ではなくゴードン・ネルソンだったかな)、アール・メイナード、まだ若手だったボビー・ダンカン等々、新日の弱体外人勢とは大違い。
で、試合前の客席後方でリング上の練習風景を暇そうに葉巻をくわえながら見てる馬場さん発見!パンフレットもって「サインください!」、ところがけんもほろろに「あとあと!」と一括されてしまったのだ。
怒った中学1年生(笑)、この一件で私はアンチ馬場になるわけです。皆さんもファンは大切にしましょうね。

翌1973年になると崩壊間近の日本プロレスから坂口征二らが参入、3月から待望のテレビも付いた(NETテレビ=現テレビ朝日)。だが、まだまだ外人ルートのブッキングが弱かったところへ突然のタイガー・ジェット・シン!!
紫のチケットがオープニングシリーズ。カール・ゴッチは帰国していません(笑)でも豊登の名前が無いから、本当に急遽の参加だったのだな。
緑のチケットは1973年の10月。シンが再来日して新宿伊勢丹事件を起こした時だ!左下のチケットはシン初来日の時。これもシンの名前が入っていないので突発参加か。

 さて、私も中学生になり思春期で(笑)、ギターも弾き始めたし、パーマと剃り込みも入ったし(笑)等々で小学生の時ほどプロレス1番では無くなってきたのだが、テレビの中継は欠かさなかったし、やはりストロング小林戦、大木金太郎戦、ビル・ロビンソン戦は痺れたなぁ~!
高校2年の時のモハメッド・アリ戦は確か土曜だったので、学校のすぐそばの喫茶店に入りショートホープを燻らしながら生中継を観た記憶がある(土曜は午前中授業、速攻で帰れば家で観れたのに何故喫茶店??)。

二十歳を過ぎた頃にはタイガーマスクが登場して、大新日本プロレスブーム!
この頃はバンドが一生懸命で1番がBLUES、2番がプロレスになっていたけど(汗)、ミュージシャン仲間に意外とプロレスファンが多かった。
一度、渋谷でバンドリハが終わった後、どうしてもワールドプロレスリングが観たくてメンバーたちといかがわしい個室喫茶のような店に入ったことも(笑)。
ドラマーの某O地氏とは、夜中にお互い東スポを片手に深夜の長電話の毎日。
タッグリーグ戦の星取予想を深夜まで激論するなどしてました(笑)
その頃はビデオデッキを持っていなかったのだが、ゆくゆくは購入するつもりだったので、ベースの某K東氏に頼み込んで第1回IWGPの決勝戦を録画して貰った。生まれて初めてビデオテープを買ったのであります。
前述したO地氏とは、随分と新日の会場に観戦しに行きました。
国技館で一緒にブロディ追いかけられたときは本当に怖かった(笑)
あ、この猪木vsブロディの前に、後楽園ホールで公開スパーリングというのも二人で行ったなぁ。
相当、暇人(笑)
音楽活動を離れた後も、よく一緒に観に行きました。最初のドーム(猪木さんがチョチョシビリにKOされた時)やら最初の1.4(猪木vs馳)も行ってるなぁ。

話は前後しますが、大ブームの後にタイガーマスクの引退、長州軍の脱退、クーデター事件等々のピンチが訪れる新日ですが、巻き返しも凄い。そしてこの頃からプロレス団体が増え始め、そろそろ訳が分からなくなってきた。。。

猪木さんは政治家の道へ進み、イラクの人質解放やら北朝鮮での平和の祭典開催など、普通の政治家には考えも及ばない行動を突き進みます。
やっぱり猪木はスゲーや!
本当にそう思いましたねぇ。
そして1998年4月4日の東京ドーム引退試合。
当時、私は会社の労働組合で中央執行委員長という立場にありました。
その日はちょうど春闘団交の打ち合わせ日(土曜でした)。
通常は昼頃集まって昼食をみんなで昼食をとってから打ち合わせに入りますが、その日は職権乱用(笑)、午前中打ち合わせで昼食とって解散!だって猪木さんの引退試合じゃあないですか!!

そしてこの日を最後に、私はプロレスを断ちました。

プロレスは子供のころから好きだったけど、団体が増えすぎてストーリーを追って行かないと焦点が見えない。以前ほど頻繁に見なくなったこともあり、だんだん流れが見えなくなってきたのが大きいが、やっぱり私は熱狂的な「猪木信者」だったことに気づき、仕事もかなり忙しかったこともありプロレスにサヨナラしたのでした。

まぁ、別にプロレス嫌いになったわけではないので、たまたま中継を観たりはするのだけど、如何せん専門誌も東スポも読まなくなったので、興味は薄れていく。
後年、ザ・グレート・カブキさんの店を紹介してくれた友人たちと、また1.4ドーム大会に行きだしたりしたけど、浦島太郎状態。

そんな中、猪木さんはマイペースで次々と突き進んでいく。
凄いな。
猪木さんも
猪木さんの元を2回も出て行った長州力氏、いまや「会長!会長!!」と絶賛。
UWFに出され(?)袂を分かち、その後の猪木批判を続けた前田日明氏もいまや猪木さんの功績を称える。
結局、みんなアントニオ猪木の掌の上で転がされていたのか?
それだけ、でかい存在なんだな。

  最後に見た「生猪木」さん。
2019年、ゼロワン奉納プロレスの ”1,2,3,ダァーッ!!”

 

退場時の猪木さんを追いかけて至近距離まで。

猪木信者の面目躍如(笑)

この頃、だいぶ体力的に衰えてきていることは目に見えて分かったが、この後、2020年頃に難病である「心アミロイドーシス」であることを吐露。
でも、絶対に完治して戻ってくることを皆が思っていたはず。
だから、本当に残念で仕方がない。
猪木さんでも寿命があるんだな、と思い知らされた。

でもやっぱり、アントニオ猪木は神だ!
俺は死ぬまで「猪木信者」を続けるぞ!!

ちなみに
「元気があれば、何でもできる!」
これは、私の座右の銘にしています。

久々、THE NG’sの音出しである。
そして、またも台風が。。。。。
(先日の台風直撃時のブログはこちら⇒ 8月16日のブログ)
私か大江氏のどちらかが「台風男」ということだろうか。
私は、その昔「清瀬の爆弾男」と言われたが(笑)

いや、この日はまだ台風が九州方面だったのでセーフ。



微妙に早く代々木に着いてしまった。
30分早い・・・。
スタジオ近くのやきとん屋で、サクッとサッポロ赤星に串4本。
1,240円也。
やきとん1本¥180は、ちと高いかな。
せめて¥150だな。



リズム隊、吉田氏と大江氏。




ギターのtom斉藤氏と、なんと2年ぶりのご無沙汰です、キーボードの室町氏。

室町っちゃんはコロナになってから初だな(笑)



私は単独で撮って貰いました。

久々に335を持ってこようと思ったのだが、台風にビビり軽いSGを。
以前にも書きましたが、元々ミニハム2発の1973年製SGスペシャルにザクリを入れて、リアにダンカンのハム搭載。
ただ、セレクターの場所によって、ボリュームがバランサーになったりで操作がちと難しい、っつうか使いこなせてない(涙)



リハも終わり、当然駅前の「つちや」へ。
名物「ナポリタン名古屋風」は一日3台に減ってしまったが、無事にゲット。

タバスコもデカいのでタバコを比較用に置いてみた。




そして継ぎ足し継ぎ足しのNG’sボトル。
もう10年を軽く超える!
ボトルは良く見ると歴史を感じさせるアブラぎった表面に。
1年以上もご無沙汰で、前の店長が辞めた時も、このボトルは捨てられずに残っていたのです。




久々の全員集合なので、帰り際につちやの前でウダウダしていたら、これからつちやへ入るお姉さまが「撮りましょうか?」

ひゃー、ありがとうございました!

21時50分、代々木駅前にて解散っ!



さて、私と言えば・・・あれ?ちゃんと帰って無かったのね?

下北沢ラウン、22時20分着!
先日、WCカラス氏のライブが9月27日にあるとのことで、まぁリハが20時迄なので来ることは無理だなぁ、と思っていたが、まぁ顔だけでも出すか。




ということで、ラストの「軍手の煮びたし」とアンコールをちょいと聴きました。



まあ、こちらはだいぶ出来ていたので、デカホッピーを3杯、かな?
記憶が怪しい。

なんだかこの日は赤Tシャツの会だろうか?(笑)
ちなみに、この直前に帰った増渕英紀さんも真っ赤なJJケイルのTシャツだったな。
残念、4人で撮れなくて。

三鷹に帰る秋山さん(ex. SWEET HOME CHICAGO BLUES BAND = 約48年前のブルースバンド!!)を強引に引き留め、終電で帰りましたとさ。

BLUESを聴き始めたのが中学3年頃だったので、それまではブルースロック少年だった。
その頃、国内でリアルタイムに大活躍だったのが竹田和夫さん、森園勝敏さん、と言った方々。
そして春日博文さんも。
高校1年(1975年)の5月に再来日したグランド・ファンク・レイルロードを武道館で観た。
(AMERICAN BANDを出した後だったので「レイルロード」はバンド名から外れていたかな)
オープニング・アクトのカルメン・マキ&OZを初めて生で観た!
グランド・ファンクはカラオケバンドの域を抜け出せてなかったから、OZの方が印象に残った。
その3か月後に、後楽園球場で「WORLD ROCK FESTIVAL」を観た。
私はフェリックス・パパラルディ観たさだった。
その時、ジェフ・ベックもやってきた。
ドラムがバーナード・パーディで、キーボードはマックス・ミドルトン、ベースがウイルバー・バスコム。
ところが当のベック本人が風邪で不調。
だからか、フェスの2番目に登場した。
そして、その次に出てきたのOZだった。
ある意味、ベックを食っちゃってた。

そんな昔の思い出話だが、話は突然2022年。
いつもお世話になってる下北沢のラウンでハチさん(春日さん)のライブがあるという。
店主の吉田さんから誘われて予約。
吉田達二さんは、その昔カルメン・マキ&MOSESでベースを弾いていたので、マキさん繋がりなのか?
いや、吉田さんとマキさんは麻雀繫がりだ(笑)
ハチさんも麻雀だな(笑)
なんとチャージ2,000円!?ホンマでっか?
ベースは子供バンドにいた勝誠二さんだ!
ドラムのマイク・マリントン、どっかで聞いた名前。。。
ああ!加藤エレナバンドのドラムじゃないか!

ということで、久々にロックの醍醐味を。
マイクはトラだったけど、バッチリ合わせてた、凄い。
こう弾いたらこう返す、こんな感じで弾けばこんな感じで叩く。
この3人、三位一体って感じで、これがロックだよな、と思い出させてくれました。



ホントにチャージが2,000円だ。

あり得ない!




こんなに間近で見られるとは!




ベースの勝さん。

バイオリンベースは軽いと、喜んでいた。



けっこうな爆音でした!



この日のヒーローはドラムの Mike Marrington。

ほとんどぶっつけ本番とのことです。



終演後の、おつかれさん飲み会。



何を驚いてるんでしょ!



2ショットも頂きました。

ありがとうございます~!!

お盆休みも終わるころの金曜日。
休みの長いところは、この日まで夏期休暇だろうか?
嗚呼、学生の頃の夏休みは1ケ月以上もあって良かったなぁ。

いま、そんなに休んだら、人間がダメになってしまうだろうなぁ。
いや、ダメな人間が一番のような気もするが、この歳だと廃人まっしぐらになりそうで、ちと怖い。

お盆休み最後の金曜、そして街中コロナってことで、いつもは人の多い新宿西口「小便横丁」、
あ、この表現はいけないんだな、「思い出横丁」に寄ってみた。
『きくや』
思い出横丁の線路際の通りである。
この店は若い時から知っている。
昭和32年創業との事だから、私より2歳先輩である。
「もつ焼き きくや」が正式名。
豚肉はこの店だ!!
マルチョウを初めて食した店も、ここだったかもしれない。
チューハイも「元祖チューハイ」の名前で出している。
最近、お父さん(ご主人)を見ないと思ったら、元気だけど「お店は引退した」とのこと。
時代は変わるのね~
今は息子さんが継いでおります。

話は戻るけど、そんなわけでこの人気店も金曜だというのに、若干空いてる感じ。



いつもは「メンチとコロッケ」が定番だけど、この日はコロッケはやめてメンチとポテトサラダ。
何故って?きくやの名物コロッケの中身は、この特製ポテサラなのだ。
味の濃い、つまみにサイコーなポテサラ。

あと、島ラッキョウも旨し!




おっと、牛刺し!
これは2年近く前に並びに出来た姉妹店「酒処キクヤ」からの出前なのだ!
「酒処キクヤ」は、思い出横丁唯一の地下店舗?
2020年の11月にオープンしたばかり。
こちらと違い、ちょっとダイニングバー的なおしゃれ感。
栄光富士があって大喜びしたことがある。

ちなみに、どちらのきくやも喫煙OK店で、これまた嬉しい!




2時間半ほど呑んで「きくや」を後にする。
そして・・・・・俺ってタフだなぁ、三鷹バイユーゲイトへ河岸を代える。
居たのは、野音のヒーロー、前日に1つ歳を重ねた店主、そしていつも小さなお姐さん。

泡盛を数杯呑んだが、さすがにあまり記憶ないかも(笑)
でもちゃんと写真は残ってる。
前回、ここで呑んだのも、けっこう酔った記憶が。。。
まあ、休みの前の日だから、いいっか。


8月13日、台風直撃である!
が、清瀬高校のお友達4人は所沢のリハスタに集まったのである。
楽器は持ってるが、まぁ同級飲み会である。

思えば45年前だろうか。
そうだよ、1977年のことだった。

私が通っていた都立K高校(あ、既に実名書いてたか。。)というのがちょっと変わったとこで、新設校(私達が入学して3学年揃った)でありながら、どうやら進学校を目指していたっぽい。

ネクタイは無茶苦茶光る黄色(タクアンネクタイと呼ばれていたが)。
「祭り」が嫌いらしく、「体育祭」は「体育大会」。
「文化祭」は無く、その名も恥ずかしい「学芸発表会」。
この学芸発表会とやらをぶっ潰して「文化祭」に変えるために、私は毎年この委員会に立候補、活動していたのである。
クラスで8ミリ映画を作って、合唱コンクールで優勝して、あっけなく高校3年目の学芸発表会は終わってしまった。
最後のファイヤーストームの場で、私は校庭の朝礼台に上がり「アジ演説」を行い、タクアンネクタイを火の中に投じようとして教師に羽交い絞めにされて止められ、文化祭の夢ははかなくも消えたのであった。
9月の秋分の日あたりのこと。

まあ、当然そこからは大学入試を目指す高校最後の半年間が始まるわけだが。。。

どうも、このクラスは団結力が無茶苦茶強くなってしまったのだ。
速攻で次の行事を計画する、正丸へキャンプである。
たぶんクラスの半分近くが参加したような。
ジェイムス・カーのTシャツを着てる私の写真があった。
恥ずかしくて見せられないが。
時期が時期だけに、親に嘘ついて参加した者もいたようだ。
まぁ、当然だが。

キャンプも終わった、さてどうしよう。と思った私。
クラスでバンドでも作るか(笑)

出来てしまった。。。

まるで素人をドラマーに。
生ギターをポロンと弾くことしかできなかった男をベースに。
今でも三味線のようなギターを弾く男。
体育会系女子にキーボード。

バンド名は「BOBO」。
コーラスに女子3名を入れてこちらのグループ名は「BRAZILS」。
そう!ボボ&ブラジルズ。
往年のプロレスラーである!!

クリスマスコンサートもやった。
クラスの半分以上は来てくれた!

翌年、もう一人のギタリストとベーシストは一浪となった。
人生の階段を一段踏み外したのであった。




コロナで一度は閉店した「百味」。
ファンの要望で再開!
親父さんは、もう店に出てないみたい。
(経営が代わったとか?)
昭和の大箱居酒屋は生き残ってもらいたい!!




大瓶が、なんと破格の480円!!
採算取れるのか?

チューハイ類は10円値上げして、230円になってました。
大瓶は以前は460円だったかな?

そして土砂降りの中、スタジオへ



背後霊のような男はドラマーのE澤氏。
英語力を生かして仕事をしていたが、なんと今はタクシードライバーに転身!

私は所沢ということで、松坂大輔メモリアルTシャツ!!
ちなみにマスクもライオンズマスクです。




THE NG’sでも同僚の、ベーシストO江氏。

まだ下の子は高校生。
お父さん、頑張らなきゃね。


前呑みが効いて、すっかり演奏の記憶が無い。

そして、ちょっと雨風も収まってきたので、スタジオ終了後に飽きもせず、また「百味」に。

いい夏休みでした(笑)