2022年10月1日の午前中のこと。
ふとYahooニュースに「アントニオ猪木、死去」の報せが。
嗚呼、ついに来てしまったのか。
ちょっと前、24時間テレビに出た時、舌は回らないがそこそこ元気に見えた。
だから、復活すると思っていた。
なのに・・・

遡れば小学生の頃、たぶん昭和42、3年くらいか。
たいしてプロレスが好きで一生懸命見ていたわけではない。
どちらかと言うと、グループサウンズを歌番組で見る方が好きだった。
が、何かの拍子に、原因は分からない。毎週金曜の夜8時はプロレスを見るようになっていた。

当時の日本プロレスは2m9cmのジャイアント馬場がエース。
そしてそれを支えるのが、いかにも石頭といった風情の「一本足頭突き」の大木金太郎。
力道山時代からの業師ではあるが、そろそろ40歳を超えてお腹ポッコリ体形の吉村道明。
となると、まだ20代でスマートなアントニオ猪木が一番カッコいいに決まっている。

その記憶の中で鮮明に憶えているのが、猪木さんの新必殺技の名称公募だ。
当時、猪木さんの代名詞と言えば「コブラツイスト」。
だったが、ジャイアント馬場なども使い始めたので新しい技が必要だったのかもしれない。
昭和43年だったと思う。
そして、その新必殺技は「卍固め」。
ヨーロッパでは「オクトパスホールド」と言われていたが、当然この技を伝授したのは、当時日本プロレスでゴッチ教室を開いていたカール・ゴッチ氏によるものであるのは言うまでもない。
小学3年生の私は「卍固め」というより「アントニオ・スペシャル」(卍固めの別称)という言い回しの方が好きだった。
この技、小学生の私にはちょっと複雑で興味深かった。
そういえば、当時プロレス雑誌で見た「パロ・スペシャル」(欧州のジャッキー・パロという軽量レスラーの得意技)ほどではないにしろ、プロレスの奥深さを悟ったものである。

テレビ中継は、当然金曜夜8時の日本テレビである。
TBSテレビの水曜夜7時からは国際プロレスもやっていた。
豊登・サンダー杉山組とか欧州帰りのストロング小林とか。

そしてもう一つ。
テレビ東京がまだ「東京12チャンネル」という名称だった頃。
土曜夜の8時からの「プロレス・アワー」だ。
おそらく1950年代から1960年代初期の頃のアメリカの試合だ。
当然、白黒。というか、まだカラーテレビも珍しい時代だった。
どちらかと言うと、私は金曜の夜より、こちらが好きだった。
ルー・テーズVSバーン・ガニア(まだ髪の毛があった!!)のNWA世界タイトル戦とか、バディ・ロジャース、アントニオ・ロッカ等々まだ見ぬ強豪オンパレード。
そして雑誌は「プロレス&ボクシング」、創刊したばかりの「ゴング」を隅から隅まで舐めるように読んだ。
話がどんどん反れるが、そんな中で大のお気に入りがフリッツ・フォン・エリックだった。
実はエリックの来日は1966年秋と1967年春で、私がファンになる直前だったため、このプロレスアワーで初めて遭遇、その馬力の凄さにKOされたのでありました。
(ちなみに、このテレビの頃はまだアイアンクローは使っていなかったようで、ストマッククローが決め技だった)

とりあえず、私は猪木とエリックを信奉する小学4年生になったわけです。
そして、またエリックの話になってしまうが、初のプロレス生観戦が1971年9月4日のこと、日本プロレスの「サマーミステリーシリーズ」である。

田園コロシアムでの馬場VSエリックのインターナショナル選手権試合がメイン。猪木はセミファイナルで大木金太郎とのコンビで、対する相手はザ・スポイラー(ドン・ジャーディン)、ブル・ラモス組。ミル・マスカラスも二度目の来日。
当初はまだ見ぬ強豪であるザ・シークの初来日だったのだが、急遽キャンセルで個人的に待望のフリッツ・フォン・エリックを生で拝めたのであります。ちなみに翌年の夏、同じ田園コロシアムでシークの初来日も観戦、坂口征二のUNタイトルに挑戦した試合です。日本プロレスが崩壊する半年前ですね。中学1年になったので清瀬から一人で観に行った強者(笑)

この年の暮れに猪木さんは日本プロレスを追放されます。その3か月後に「新日本プロレス」を旗揚げさせました。『旗揚げオープニングシリーズ』記念すべきこのシリーズですが、出来たばかりの新参団体で外人レスラーもカール・ゴッチ(最初の3戦で帰国)以外は、ほぼ無名。日本側は急遽参加した豊登以外は山本小鉄、柴田勝久、魁勝司、木戸修、藤波辰巳、そして入ったばかりの新人たち(後のグラン浜田、ミスターポーゴがいたけど!)という具合。1972年4月2日、中学の入学式を向かえる数日前に「所沢日吉町東映跡広場」という会場で観戦です!ここ、今のTOCOTOCO SQUARE(元ダイエー、元イオン)の並びに東映の映画館があってその閉鎖後広場(確か駐車場になっていた)でした。昔懐かしい屋外会場です。ここで間近の猪木さんを観て、なおかつ試合終了後にパンフレットにサインをして頂いた!!(宝物!)この瞬間にもう心はアントニオ猪木命!!

実はこの翌月のこと。
保谷の屋外会場(確か「石泉スポーツセンター」いったいどこだったんだ?野球場みたいな所だった)で日本プロレスを観戦。もちろん猪木さんは居ないわけだが、馬場+坂口の「東京タワーズ」を売り出す頃。外人部隊もジョニー・バレンタイン、ミル・マスカラス(この時、サイン貰った!)、ドン・キング・クロー、ミスター・レスリング(本家ではなくゴードン・ネルソンだったかな)、アール・メイナード、まだ若手だったボビー・ダンカン等々、新日の弱体外人勢とは大違い。
で、試合前の客席後方でリング上の練習風景を暇そうに葉巻をくわえながら見てる馬場さん発見!パンフレットもって「サインください!」、ところがけんもほろろに「あとあと!」と一括されてしまったのだ。
怒った中学1年生(笑)、この一件で私はアンチ馬場になるわけです。皆さんもファンは大切にしましょうね。

翌1973年になると崩壊間近の日本プロレスから坂口征二らが参入、3月から待望のテレビも付いた(NETテレビ=現テレビ朝日)。だが、まだまだ外人ルートのブッキングが弱かったところへ突然のタイガー・ジェット・シン!!
紫のチケットがオープニングシリーズ。カール・ゴッチは帰国していません(笑)でも豊登の名前が無いから、本当に急遽の参加だったのだな。
緑のチケットは1973年の10月。シンが再来日して新宿伊勢丹事件を起こした時だ!左下のチケットはシン初来日の時。これもシンの名前が入っていないので突発参加か。

 さて、私も中学生になり思春期で(笑)、ギターも弾き始めたし、パーマと剃り込みも入ったし(笑)等々で小学生の時ほどプロレス1番では無くなってきたのだが、テレビの中継は欠かさなかったし、やはりストロング小林戦、大木金太郎戦、ビル・ロビンソン戦は痺れたなぁ~!
高校2年の時のモハメッド・アリ戦は確か土曜だったので、学校のすぐそばの喫茶店に入りショートホープを燻らしながら生中継を観た記憶がある(土曜は午前中授業、速攻で帰れば家で観れたのに何故喫茶店??)。

二十歳を過ぎた頃にはタイガーマスクが登場して、大新日本プロレスブーム!
この頃はバンドが一生懸命で1番がBLUES、2番がプロレスになっていたけど(汗)、ミュージシャン仲間に意外とプロレスファンが多かった。
一度、渋谷でバンドリハが終わった後、どうしてもワールドプロレスリングが観たくてメンバーたちといかがわしい個室喫茶のような店に入ったことも(笑)。
ドラマーの某O地氏とは、夜中にお互い東スポを片手に深夜の長電話の毎日。
タッグリーグ戦の星取予想を深夜まで激論するなどしてました(笑)
その頃はビデオデッキを持っていなかったのだが、ゆくゆくは購入するつもりだったので、ベースの某K東氏に頼み込んで第1回IWGPの決勝戦を録画して貰った。生まれて初めてビデオテープを買ったのであります。
前述したO地氏とは、随分と新日の会場に観戦しに行きました。
国技館で一緒にブロディ追いかけられたときは本当に怖かった(笑)
あ、この猪木vsブロディの前に、後楽園ホールで公開スパーリングというのも二人で行ったなぁ。
相当、暇人(笑)
音楽活動を離れた後も、よく一緒に観に行きました。最初のドーム(猪木さんがチョチョシビリにKOされた時)やら最初の1.4(猪木vs馳)も行ってるなぁ。

話は前後しますが、大ブームの後にタイガーマスクの引退、長州軍の脱退、クーデター事件等々のピンチが訪れる新日ですが、巻き返しも凄い。そしてこの頃からプロレス団体が増え始め、そろそろ訳が分からなくなってきた。。。

猪木さんは政治家の道へ進み、イラクの人質解放やら北朝鮮での平和の祭典開催など、普通の政治家には考えも及ばない行動を突き進みます。
やっぱり猪木はスゲーや!
本当にそう思いましたねぇ。
そして1998年4月4日の東京ドーム引退試合。
当時、私は会社の労働組合で中央執行委員長という立場にありました。
その日はちょうど春闘団交の打ち合わせ日(土曜でした)。
通常は昼頃集まって昼食をみんなで昼食をとってから打ち合わせに入りますが、その日は職権乱用(笑)、午前中打ち合わせで昼食とって解散!だって猪木さんの引退試合じゃあないですか!!

そしてこの日を最後に、私はプロレスを断ちました。

プロレスは子供のころから好きだったけど、団体が増えすぎてストーリーを追って行かないと焦点が見えない。以前ほど頻繁に見なくなったこともあり、だんだん流れが見えなくなってきたのが大きいが、やっぱり私は熱狂的な「猪木信者」だったことに気づき、仕事もかなり忙しかったこともありプロレスにサヨナラしたのでした。

まぁ、別にプロレス嫌いになったわけではないので、たまたま中継を観たりはするのだけど、如何せん専門誌も東スポも読まなくなったので、興味は薄れていく。
後年、ザ・グレート・カブキさんの店を紹介してくれた友人たちと、また1.4ドーム大会に行きだしたりしたけど、浦島太郎状態。

そんな中、猪木さんはマイペースで次々と突き進んでいく。
凄いな。
猪木さんも
猪木さんの元を2回も出て行った長州力氏、いまや「会長!会長!!」と絶賛。
UWFに出され(?)袂を分かち、その後の猪木批判を続けた前田日明氏もいまや猪木さんの功績を称える。
結局、みんなアントニオ猪木の掌の上で転がされていたのか?
それだけ、でかい存在なんだな。

  最後に見た「生猪木」さん。
2019年、ゼロワン奉納プロレスの ”1,2,3,ダァーッ!!”

 

退場時の猪木さんを追いかけて至近距離まで。

猪木信者の面目躍如(笑)

この頃、だいぶ体力的に衰えてきていることは目に見えて分かったが、この後、2020年頃に難病である「心アミロイドーシス」であることを吐露。
でも、絶対に完治して戻ってくることを皆が思っていたはず。
だから、本当に残念で仕方がない。
猪木さんでも寿命があるんだな、と思い知らされた。

でもやっぱり、アントニオ猪木は神だ!
俺は死ぬまで「猪木信者」を続けるぞ!!

ちなみに
「元気があれば、何でもできる!」
これは、私の座右の銘にしています。

久々、THE NG’sの音出しである。
そして、またも台風が。。。。。
(先日の台風直撃時のブログはこちら⇒ 8月16日のブログ
私か大江氏のどちらかが「台風男」ということだろうか。
私は、その昔「清瀬の爆弾男」と言われたが(笑)

いや、この日はまだ台風が九州方面だったのでセーフ。



微妙に早く代々木に着いてしまった。
30分早い・・・。
スタジオ近くのやきとん屋で、サクッとサッポロ赤星に串4本。
1,240円也。
やきとん1本¥180は、ちと高いかな。
せめて¥150だな。



リズム隊、吉田氏と大江氏。




ギターのtom斉藤氏と、なんと2年ぶりのご無沙汰です、キーボードの室町氏。

室町っちゃんはコロナになってから初だな(笑)



私は単独で撮って貰いました。

久々に335を持ってこようと思ったのだが、台風にビビり軽いSGを。
以前にも書きましたが、元々ミニハム2発の1973年製SGスペシャルにザクリを入れて、リアにダンカンのハム搭載。
ただ、セレクターの場所によって、ボリュームがバランサーになったりで操作がちと難しい、っつうか使いこなせてない(涙)



リハも終わり、当然駅前の「つちや」へ。
名物「ナポリタン名古屋風」は一日3台に減ってしまったが、無事にゲット。

タバスコもデカいのでタバコを比較用に置いてみた。




そして継ぎ足し継ぎ足しのNG’sボトル。
もう10年を軽く超える!
ボトルは良く見ると歴史を感じさせるアブラぎった表面に。
1年以上もご無沙汰で、前の店長が辞めた時も、このボトルは捨てられずに残っていたのです。




久々の全員集合なので、帰り際につちやの前でウダウダしていたら、これからつちやへ入るお姉さまが「撮りましょうか?」

ひゃー、ありがとうございました!

21時50分、代々木駅前にて解散っ!



さて、私と言えば・・・あれ?ちゃんと帰って無かったのね?

下北沢ラウン、22時20分着!
先日、WCカラス氏のライブが9月27日にあるとのことで、まぁリハが20時迄なので来ることは無理だなぁ、と思っていたが、まぁ顔だけでも出すか。




ということで、ラストの「軍手の煮びたし」とアンコールをちょいと聴きました。



まあ、こちらはだいぶ出来ていたので、デカホッピーを3杯、かな?
記憶が怪しい。

なんだかこの日は赤Tシャツの会だろうか?(笑)
ちなみに、この直前に帰った増渕英紀さんも真っ赤なJJケイルのTシャツだったな。
残念、4人で撮れなくて。

三鷹に帰る秋山さん(ex. SWEET HOME CHICAGO BLUES BAND = 約48年前のブルースバンド!!)を強引に引き留め、終電で帰りましたとさ。

BLUESを聴き始めたのが中学3年頃だったので、それまではブルースロック少年だった。
その頃、国内でリアルタイムに大活躍だったのが竹田和夫さん、森園勝敏さん、と言った方々。
そして春日博文さんも。
高校1年(1975年)の5月に再来日したグランド・ファンク・レイルロードを武道館で観た。
(AMERICAN BANDを出した後だったので「レイルロード」はバンド名から外れていたかな)
オープニング・アクトのカルメン・マキ&OZを初めて生で観た!
グランド・ファンクはカラオケバンドの域を抜け出せてなかったから、OZの方が印象に残った。
その3か月後に、後楽園球場で「WORLD ROCK FESTIVAL」を観た。
私はフェリックス・パパラルディ観たさだった。
その時、ジェフ・ベックもやってきた。
ドラムがバーナード・パーディで、キーボードはマックス・ミドルトン、ベースがウイルバー・バスコム。
ところが当のベック本人が風邪で不調。
だからか、フェスの2番目に登場した。
そして、その次に出てきたのOZだった。
ある意味、ベックを食っちゃってた。

そんな昔の思い出話だが、話は突然2022年。
いつもお世話になってる下北沢のラウンでハチさん(春日さん)のライブがあるという。
店主の吉田さんから誘われて予約。
吉田達二さんは、その昔カルメン・マキ&MOSESでベースを弾いていたので、マキさん繋がりなのか?
いや、吉田さんとマキさんは麻雀繫がりだ(笑)
ハチさんも麻雀だな(笑)
なんとチャージ2,000円!?ホンマでっか?
ベースは子供バンドにいた勝誠二さんだ!
ドラムのマイク・マリントン、どっかで聞いた名前。。。
ああ!加藤エレナバンドのドラムじゃないか!

ということで、久々にロックの醍醐味を。
マイクはトラだったけど、バッチリ合わせてた、凄い。
こう弾いたらこう返す、こんな感じで弾けばこんな感じで叩く。
この3人、三位一体って感じで、これがロックだよな、と思い出させてくれました。



ホントにチャージが2,000円だ。

あり得ない!




こんなに間近で見られるとは!




ベースの勝さん。

バイオリンベースは軽いと、喜んでいた。



けっこうな爆音でした!



この日のヒーローはドラムの Mike Marrington。

ほとんどぶっつけ本番とのことです。



終演後の、おつかれさん飲み会。



何を驚いてるんでしょ!



2ショットも頂きました。

ありがとうございます~!!

お盆休みも終わるころの金曜日。
休みの長いところは、この日まで夏期休暇だろうか?
嗚呼、学生の頃の夏休みは1ケ月以上もあって良かったなぁ。

いま、そんなに休んだら、人間がダメになってしまうだろうなぁ。
いや、ダメな人間が一番のような気もするが、この歳だと廃人まっしぐらになりそうで、ちと怖い。

お盆休み最後の金曜、そして街中コロナってことで、いつもは人の多い新宿西口「小便横丁」、
あ、この表現はいけないんだな、「思い出横丁」に寄ってみた。
『きくや』
思い出横丁の線路際の通りである。
この店は若い時から知っている。
昭和32年創業との事だから、私より2歳先輩である。
「もつ焼き きくや」が正式名。
豚肉はこの店だ!!
マルチョウを初めて食した店も、ここだったかもしれない。
チューハイも「元祖チューハイ」の名前で出している。
最近、お父さん(ご主人)を見ないと思ったら、元気だけど「お店は引退した」とのこと。
時代は変わるのね~
今は息子さんが継いでおります。

話は戻るけど、そんなわけでこの人気店も金曜だというのに、若干空いてる感じ。



いつもは「メンチとコロッケ」が定番だけど、この日はコロッケはやめてメンチとポテトサラダ。
何故って?きくやの名物コロッケの中身は、この特製ポテサラなのだ。
味の濃い、つまみにサイコーなポテサラ。

あと、島ラッキョウも旨し!




おっと、牛刺し!
これは2年近く前に並びに出来た姉妹店「酒処キクヤ」からの出前なのだ!
「酒処キクヤ」は、思い出横丁唯一の地下店舗?
2020年の11月にオープンしたばかり。
こちらと違い、ちょっとダイニングバー的なおしゃれ感。
栄光富士があって大喜びしたことがある。

ちなみに、どちらのきくやも喫煙OK店で、これまた嬉しい!




2時間半ほど呑んで「きくや」を後にする。
そして・・・・・俺ってタフだなぁ、三鷹バイユーゲイトへ河岸を代える。
居たのは、野音のヒーロー、前日に1つ歳を重ねた店主、そしていつも小さなお姐さん。

泡盛を数杯呑んだが、さすがにあまり記憶ないかも(笑)
でもちゃんと写真は残ってる。
前回、ここで呑んだのも、けっこう酔った記憶が。。。
まあ、休みの前の日だから、いいっか。


8月13日、台風直撃である!
が、清瀬高校のお友達4人は所沢のリハスタに集まったのである。
楽器は持ってるが、まぁ同級飲み会である。

思えば45年前だろうか。
そうだよ、1977年のことだった。

私が通っていた都立K高校(あ、既に実名書いてたか。。)というのがちょっと変わったとこで、新設校(私達が入学して3学年揃った)でありながら、どうやら進学校を目指していたっぽい。

ネクタイは無茶苦茶光る黄色(タクアンネクタイと呼ばれていたが)。
「祭り」が嫌いらしく、「体育祭」は「体育大会」。
「文化祭」は無く、その名も恥ずかしい「学芸発表会」。
この学芸発表会とやらをぶっ潰して「文化祭」に変えるために、私は毎年この委員会に立候補、活動していたのである。
クラスで8ミリ映画を作って、合唱コンクールで優勝して、あっけなく高校3年目の学芸発表会は終わってしまった。
最後のファイヤーストームの場で、私は校庭の朝礼台に上がり「アジ演説」を行い、タクアンネクタイを火の中に投じようとして教師に羽交い絞めにされて止められ、文化祭の夢ははかなくも消えたのであった。
9月の秋分の日あたりのこと。

まあ、当然そこからは大学入試を目指す高校最後の半年間が始まるわけだが。。。

どうも、このクラスは団結力が無茶苦茶強くなってしまったのだ。
速攻で次の行事を計画する、正丸へキャンプである。
たぶんクラスの半分近くが参加したような。
ジェイムス・カーのTシャツを着てる私の写真があった。
恥ずかしくて見せられないが。
時期が時期だけに、親に嘘ついて参加した者もいたようだ。
まぁ、当然だが。

キャンプも終わった、さてどうしよう。と思った私。
クラスでバンドでも作るか(笑)

出来てしまった。。。

まるで素人をドラマーに。
生ギターをポロンと弾くことしかできなかった男をベースに。
今でも三味線のようなギターを弾く男。
体育会系女子にキーボード。

バンド名は「BOBO」。
コーラスに女子3名を入れてこちらのグループ名は「BRAZILS」。
そう!ボボ&ブラジルズ。
往年のプロレスラーである!!

クリスマスコンサートもやった。
クラスの半分以上は来てくれた!

翌年、もう一人のギタリストとベーシストは一浪となった。
人生の階段を一段踏み外したのであった。




コロナで一度は閉店した「百味」。
ファンの要望で再開!
親父さんは、もう店に出てないみたい。
(経営が代わったとか?)
昭和の大箱居酒屋は生き残ってもらいたい!!




大瓶が、なんと破格の480円!!
採算取れるのか?

チューハイ類は10円値上げして、230円になってました。
大瓶は以前は460円だったかな?

そして土砂降りの中、スタジオへ



背後霊のような男はドラマーのE澤氏。
英語力を生かして仕事をしていたが、なんと今はタクシードライバーに転身!

私は所沢ということで、松坂大輔メモリアルTシャツ!!
ちなみにマスクもライオンズマスクです。




THE NG’sでも同僚の、ベーシストO江氏。

まだ下の子は高校生。
お父さん、頑張らなきゃね。


前呑みが効いて、すっかり演奏の記憶が無い。

そして、ちょっと雨風も収まってきたので、スタジオ終了後に飽きもせず、また「百味」に。

いい夏休みでした(笑)


45年くらい前の話なので、記憶が怪しいが。
大学に入って1年間はサークルに忙殺されて好きなことも出来なかったが、サークルも脱会できた翌年からやっとブルースバンドを再開させ、何故か初のライブハウスが思いっきりアウェイな上福岡「のらろば」という店。
あの頃は基本的に機材はバンド持ちこみだったので私も新宿エルク(その頃はもうKEYだったな)の店員だったT氏のツテで1970年代末期最後の銀パネのツインを13万で買った。
お店(のらろば)は細長くて小さなところだったが、当時その店のレギュラーバンドだった「子供バンド」がイーストウエストで優勝した直後で、そんな話をMCで喋った記憶が。
今みたいにインターネットも無い時代だから、お店で優勝の報を聞いたのだろうな。
ライブの日はちょうど台風が来て帰りの志木街道でバンド車が側溝に落ちてえらい目にあったなぁ(笑)

あれから45年、子供バンドのボーカリストと呑んでツーショットに収まるという快挙の昨夜でありました!!









PRETTY THINGSのTシャツってとこが、なかなかに渋いっ!

「はもにかDOJO」
あれ?オレ初めて観に行くかも?
体調もだいぶ良くなったので、実は密かにファンである京都の大野木一彦くんを観にルースターへ。

そういえばルースターは今年の1月6日以来だな。
まったく不義理な私である(汗)
1月は大雪に見舞われ、武蔵境から1時間かけて歩いて帰ったのであった。
我ながら、まだ若い(笑)
ああ、そして寒い日が懐かしい。。。

それにしても、ハープ3人だと恐ろしいほどの重厚サウンド。
ぶっ飛びました。

そして安定のバック陣は小出斉、大西真、松本照夫(敬称略)!




まずは腹ごしらえ。

そういえば、佐藤オーナーの前説が無かったなぁ。




ノリに乗ってる男、Kotezと、かつての天才少年(笑)千賀太郎くんのバトル!

実はKotezちゃん、翌日は苗場でFUJI ROCK FESTIVAL、三宅伸治&The Red Rocksのステージという超ハードスケジュール!!



ぜったいこんな悪役レスラーいますね(笑)

ハモニカが凶器に見える(笑)
レフェリーに見つからないように・・・



さて、そうこうしているうちに、自分のライブもそろそろ画策しなきゃですよね。