NG’s、深夜リハを敢行いたしました。いい歳をしたオヤジどもの徹夜のスタジオ練習である。
そして、そのまま会社へ出勤する私。バカモノである。
いま、ひと仕事終えたので、反省を込めて眠い目をこすりながらブログを書いている。
昨日の夜22時より、いつも使っている代々木のスタジオのミーティングルームを、その後24時より早朝5時までスタジオの「深夜パック」を予約した。
ベースの大江氏とその前に待合せて軽く一杯。カウンターだけの小さな立ち飲み屋だ。
先に到着していた大江氏、すでに常連のオヤジさんと意気投合している。東村山の方で、当方ひばりヶ丘、清瀬の住人と地元話に花が咲く。
その後、常連さんも二人増え、狭い店はけっこういっぱい。あっという間に常連の一員になった気分。
みんなで3月22日にハーモニカ漫談の青空たのし師匠を浅草の東洋館(昔の浅草フランス座)に見に行く約束までしてしまった(???)。
小さな小さな立ち飲み屋だが、カウンター内の気さくなおかあさんが楽しい。我々を気に入ってくれたらしく、煮物や白菜漬をサービスしてもらい、先ほどのオヤジさんからトマトの差し入れまで。
で、定番の有名人のサインが数枚飾ってあるのだが、一枚だけ外人の色紙が。誰?
え!えっ!!ハービー・ハンコックじゃありませんかっ!
怖ろしや「立呑酒場・一利起(いちりき)」。
代々木駅下車。北参道へ向かって踏み切りを越えたすぐ右側。焼き鳥のボリュームは絶品。
地獄の深夜特訓はNG’sのブログをご参照あれ。
あまり健康に良くないことはわかった。
しかし、勤め人がたっぷり時間をとってスタジオに入るとなると、この時間帯しかないのは事実。
早朝の代々木駅は、どう見ても徹夜組の酔っ払いしか見当たらなかった。
土曜日のリハの最中に、去年退職したTさんから連絡が入った。
「Oさんが亡くなった」と。
Oさんは会社の先輩でとっくの昔に定年で退かれたが、まだ70歳手前だった。
ちょっと変わった人で、しかも夏場に半袖が着れない、と言えばお分かりだろうが、背中には紋紋が入っており言葉遣いもカタギの口調ではない。
「男気」とか「義理人情」といった言葉が大好きで、カラオケで歌うのは当然「兄弟仁義」。
頭に血が上ってお客さんをぶん殴りブタ箱行きになったという武勇伝(?)もある人だ。
もう20年くらい前になるだろうか、同じ支部で組合の委員をやっていたYさんが酒の席で殴られた。
私のことを同じ穴のムジナくらいに思っていたのだろう、その後初めてOさんと酒宴で同席したとき想像通り喧嘩になった。
ただ私は殴られなかった。というか、最後は肩を組み二次会のカラオケスナックで歌い、酔っ払ったOさんを自宅まで送り届けて帰った。
それから年に1,2回一緒に飲むようになった。最後は私がおもりやく。
やってることは少々横暴だが、「思いやり」とか「約束ごと」にはとてもうるさい典型的な昔かたぎのおじさんだった。
ここ数年はすっかり疎遠になってしまっていたが、年に一度は必ず電話がかかってくる。
去年の夏ごろだったか、実は胃がんになって入院していたと電話があった。でも、もう飲めるようになったから大丈夫だとも言っていた。
入院してから手術するまでの経過を面白おかしく語ってくれたOさん。あの時の会話が最後になろうとは。
律儀なOさんだったが、年賀状は駄目だった。正月すぎに来たり、今年は来ないなぁなんて思ってると突然1月の中ごろに電話がかかってきたり。
今年は珍しく元旦に届いた。
しかも印刷ではなく、しっかり自筆で。
胃はほとんど摘出していたそうだったが、癌は直っていなかった。
葬祭場を出る前に、Oさんの顔を拝ませてもらった。
かつてはブイブイ言わせた厳つい表情もなく、とても穏やかな寝顔になっているのを見て思わず泣けてしまった。
お通夜も終わり、数人の先輩達とお清めに。
皆、平均年齢70歳前後。
「伊藤ちゃん、困ったことがあったら何でも相談してくれよ!」。酒も入っているせいか、みんな涙流しながら握手してくる。
こんな気さくな先輩達がいたあの時代は会社が楽しかった。
前日の続き。
会社の元先輩のお父様のお通夜へ言った。
かつて、うちの会社にいた連中がたくさん来ていた。元先輩を慕って、彼の会社へ移った者。去年のリストラ渦の後に彼の会社で再就職した者。
皆、元気そう。懐かしい面子も多く場所柄不謹慎ながらも再会を嬉しく思う。
それに比べて、うちの会社からの参列者は私を含めて2名。
いくらライバル会社といっても、彼と同期の者や世話になった者は相当いるはず。
こんなもんだろう。うちの会社の連中は。
数人で近所の飲み屋で「お清め」。
私は、物心ついた頃から西武池袋線沿線の住人。下町の雰囲気はよくわかっていない。
ここは「曳船」。
下町風情の商店街(元商店街?)の中で見つけた飲み屋さん。
寡黙なお父さんに、渉外担当のお母さん。ありがちなパターン。
「煮込み」美味しかったです。
「いかの珍味焼き」ワタがいい味出してました。
下町の飲み屋さん。いいですね。
すっかり熱燗でいい気分。2時間強でおいとまする。
いかん、前日の睡眠時間は3時間半だった。
また、電車の乗り過ごしの危機が。
やっぱり寝た・・・。
目が覚めた。ちょうど「ひばりヶ丘」。
おぉっ!今日はセーフ。
良かった。
5日前に飲んだばかりなのに、また集まってしまった小安田氏、岡地氏と私のLittle Boy Blue残党3人衆。
私は仕事の関係で20時頃に合流。彼らはすでに2時間ほど前から飲んでいるもよう。特に小安田氏は王様になる一歩手前の状態。
本日はもう一人のゲスト、稲田浩三氏(漢字、間違ってないかな)も登場。
彼は当時の東京B級ブルース界の中でも、”キング・オブ・ロウダウン”というか”キング・オブ・いなたい”というか、とってもいい感じのギタリストだった。
地元の豊橋にいるという話は聞いていたが、何やら3月まで研修があってその間こちらに滞在しているらしい。
この日はいったん豊橋に戻る予定とのことで1時間ほどの再会だったが、全く風貌が変わっていない浩三氏に頭が下がってしまった。
ところで、この日の「飲み会場」は中野の”Bright Brown“。
やはり当時の仲間である”すーさん”が仕切っているお店。すーさんと言えば浩三氏以上にミスター・ロウダウン。
“Caldonia”というバンドで、いぶし銀のギターを何度も拝ませていただいた。
たぶん、すーさんとも20年以上のご無沙汰か。
途中から記憶が飛んだ小安田氏(後日談による)も退場。日付も替わってしまったので途中参加の谷やん氏に記念写真を撮ってもらい、終電を諦めた岡地氏を残し店を出た。
先日の失敗を繰り返さないために電車も座らずに頑張ったのだが、何も食べずに飲み続けたのがいけなかったらしく、どうやら立ったまま寝ていたようだ。気づくと西国分寺。
ま、まただ・・・・・。
17時に会社を飛び出し新宿へ向かった。
久々に小安田憲司氏、岡地曙裕氏と3人で飲んだ。
かつて、25年以上前になるが「東京で一番音のでかいブルースバンド」”Little Boy Blue” の盟友である。
当時はみんな20歳代前半、ある意味怖いものなしだったし、毎日が楽しかった。懐かしい話題は次から次へと沸いてくる。
今日4人揃っていれば、もう一度ライブやるか!なんて話しになったかも・・・。
天気予報が外れて雪は降らなかったが、いささか日本酒を飲みすぎて暖かい帰りの電車の中で座ってしまったものだから、少々寝過ごしてしまった。
そして、帰り道はやはり寒かった。
本日、”Little Boy Blue” 封印。
山形の地酒専門店、木川屋さんの宣伝をちょっとしたら、早速お礼のメールがきた。
右下にリンクもしてあります。
限定販売のお酒なんて出たら、すぐ紹介されます。
見るだけでも品数豊富で、日本酒好きにはたまらないサイトです。
日本酒といえば新潟が有名ですが(私も〆張鶴なんか大好きです)、山形のお酒もかなりいいですよ。
お奨めの「栄光富士」以外にも個人的には「初孫」や「出羽桜」なんて最高ですね。
本日は写真が無く、ちょっと淋しい投稿。
私がやっているオヤジ・バンド “BOOKER O. & THE NG’s” も、もう少しで結成1年だ。この日は本年お初のスタジオ入り。
10月からハープ吹きの工藤ちゃんが加入してから、リハの日が雨に祟られることが多い。傘さしてギター担いで歩くのも辛いもんだ。
彼は「NG’sの雨男」の称号を与えられている。風貌は「テルテル坊主」なんだが・・・・・。
このバンド、オヤジバンドには間違いないが、結構まじめにやっている。
バンドブログ作ったり、強制的にライブをやったり、もう後戻りできない環境を作っている。
そもそも、オールマン・ブラザース・バンドあたりが接点で始めたバンドなのだが、最近ブルース色の濃い選曲が増え始め、私の謀略ではないかとバレつつある状況である。
本年初リハということは、当然のごとく新年会も開催。というか、毎回スタジオの後は「反省会」と称して代々木駅前の「つちや」で飲むので、最初の乾杯が「今年もヨロシク〜」になっただけである。
そして、話の内容と言うのは変わりばえもしない「ヤフオク談義」。しかしながら、”巨匠”大江先生の「ヤフオク・ベース鑑定」はちょっとしたもの。
携帯でネット接続し、いろいろな出品されたベースを次々と鑑定する。
「うん、これは状態がいいね。あ、このロゴは70年代前半だね。いや、ペグがオリジナルじゃないなぁ。まぁ1万5千円ってとこかな」などなど、次から次へと予想落札額を推定する。すばらしい特技だ。
今まで、いろいろと痛い目に遭いながら培った能力と見た。
いやいや、人間どこに才能が隠れているかわからんものである。この勢いで、ばっちりベースの練習もしてもらいたいものだが、暇になるとついつい配線の半田付けにいそしむ癖は直らないようだ。
結構バッチリ飲んだ翌日の出勤は、非常に厳しいものである。
ほどほどの酒量にと思っても、やはり思いっきり飲む。
私はこれが直らない。