土曜日に空振ったバレルハウスに行った。
待ち合わせの面子は土曜日同様。
仕事帰りだったので、着いたのはもう21時半頃だった。
入ると皆でテレビの画面に食い入っていた。
“Old Grey Whistle Test” のベストDVDらしい。秀作から駄作まで、酒の肴には似合う。
しかし更に盛り上がったのは、その後に出てきた “FANIA ALL STARS” のDVD。
1974年だったか、ザイールのキンシャサでの有名なやつ。
いや〜!やはりすごい!!
セリア・クルース、ラリー・ハーロウ、レイ・バレット etc・・・・・。
うん、このベースはもちろんボビー・バレンティーノ。
ヨーモ・トーロのソロがなくて残念。
ウロ憶えの日本公演をちょっとばかり思い出してしまった。
日本にはウイリー・コローンも来たんだよね。

これは日本公演のパンフレット。うわ、もう32年前なのね。
すっかり会社員になった15年ほど前の花見の話。
以前から会社のみんなで「花見」に行きたいね、などと話はしていたのだが、3月末から4月の一週目までは準繁忙期でとても早あがりで桜見物などできる状態ではなかった。
しかし、その年は「よし!なんとか皆で協力し合い、今年こそはお花見決行だ!」と盛り上がった。
当時、私は田無(現西東京市)の営業所長だった。場所は当然「小金井公園」。
決行日は金曜の夜。これは間違いなく混むはずだ。
当日の昼、一番若い社員のO場くんに漫画本数冊と、ゲームボーイを手渡し、「いい場所を確保しろよ!」と場所取りを命じた。
仕事も順調に進み、夜7時頃には全員参加で初の花見が開催された。
最初は慣れない雰囲気に地味な宴会の開始だったが、次第に盛り上がり、野外で開放的なことも手伝ってか酒のピッチはどんどん上がっていく。
酒が切れてしまい、近所の酒屋に焼酎の一升瓶を買いに行かせるも、その一升は10分で空になる始末。
もうこうなると訳がわからない。
それまでの人生70年間、ほとんど酒を飲まなかったという業者のY和さんもへべれけに酔い、K子ちゃんは公衆便所に入ったまま出てこないので、外からがんがん壁を楽しそうに叩くやつら、アルバイトのS訪くんは私の4の字固めの犠牲になり泣き叫ぶ。阿鼻叫喚、ゲ〇の嵐。
泥酔して動けなくなったやつのために、家まで帰って車に乗ってくるやつ(彼も泥酔)まで現れ、一歩間違えばたいへんなことになっていたかもしれない。
眼鏡がなくなったやつ、財布をなくしたやつ、当然ゲームボーイは行方不明。
我ながらよく帰れたものだ。
前出のK子ちゃんは、自宅のトイレで吐きながらタオルを一緒に流して詰まらせ、数万円の修理代を支払ったという。
翌年、また小金井公園の花見は実施されたが、とても地味で寒い宴会に終始した。
そして私は国分寺の営業所へ転勤となり、その後二度と花見は行わなかった。
「命賭け、死ぬ気でのぞむ、小金井公園」
またまた、字余り・・・。
1回だけ盛り上がりに欠けた「花見」があった。
明治通り沿いの「daDA」という喫茶店はたまり場であったが、突然「今年はまだ花見をやっていない!」という事実に、そこにいた4名で急遽「戸山公園お花見ツアー」を開催した。
並びの八百屋からダンボールを調達し、一升瓶500円という極悪ワインを持って一行は戸山公園へ夜桜見物へ。
口の周りに髭をたくわえ、髪の毛はボサボサ気味のK出氏がダンボールを持って歩く姿は、まさに本物の住所不定者だった。
で、公園へ到着するも・・・・・「桜」がない・・・・。厳密に言えば、もう桜は散ってしまっていた。
ここまで来たら後へは引けぬ。花見強行!
むさくるしい汚い男達が、ダンボールを敷いて一升瓶のワインを飲んでいる姿は、花見とは程遠いものが。
すると・・・・突然現れた会社帰りの人たち多数。我々を見て見ぬふりをしながら冷たい目線を落とし横を通り過ぎていく。
こ、ここは、戸山ハイツへの裏道であった!
「まずい!こんな格好で這いつくばって酒を飲んでいる姿は、ま、まさに本物と間違えられてしまう!」
機転を利かせたA妻氏が、わざと大きな声で
「い、いやぁ、まさか桜が散ってしまっているなんて思わなかったよなぁ!なぁ、なぁ、なぁ、K安田くん!」
「は、は、はい、そうですね、そうですね、そうですね、そうですね」
我々は仕事帰りと思われる通行人が通るたびに、このような会話、というか言い訳を、ちゃんと聞こえるように大きな声で言い続けなければならず疲れてきてしまった。
しかも安物のワイン。
「こんな薄いワインじゃ、酔いもまわらん!」
と、我々も帰宅の徒に着くため立ち上がると・・・・・お、おや?ふらふらふら・・・・。
これが、安酒の悪酔いと知るのはこの後のこと。
なんだか突然に酔いがまわってきて、更にブランコなんざこいでしまったもんだから、インスタント酔っ払いの出来上がりである。
ヨロヨロと歩く4名。
坂道の横の一段高いところに寝そべったK出氏は、約1mほどの高さからドタッと転落。一瞬動かなくなったが、むっくり起き上がり命に別状はなく一安心。
「葉桜の、下で虚しい、ブルースマンたち」
またも字余り・・・。
そろそろ、入学式の時期だ。
入学式といえば「桜」。
私の事務所の席の後ろ窓から、向かいの中学校の正門が見えるが、ここ数日の雨や風で「桜」は半分くらい散ってしまった。
満開の「桜」の木の下で記念撮影できないのは、ちょっと可哀想。
「桜」といえば、当然「花見」。日本人は「桜」を見ながら、という大義名分の下で酒を飲むのが好きだ。
子供の頃はよく多摩湖へ「花見」に行った。
町内会の行事である。
いまでは「町内会」の存在自体が珍しいのかもしれない。
現在住んでいるところも、ごみ集積所の管理を順番に行うだけで、町内会は存在しない。
町内会のみんなで多摩湖まで行って桜を見るなんて、古きよき時代だ。
それから十数年経って、バンド関係の連中10人ほどだったか、千鳥ヶ淵へ2年連続で「花見」に行ったことがある。
たしかA妻氏を筆頭に、早稲田のロッククライミング関係のメンバーだったはず。
まぁ、花見をしているほとんどの人たちがそうであると思われるが、酒を飲んだ記憶はあっても「桜」を満喫した記憶はさらさら残っていない。
それにも懲りず、翌年もこの企画は続いた。
あの人混みの千鳥ヶ淵にも関わらず、前年とまるで同じ場所を確保できたという奇跡は覚えているが、それ以外は外で酒を飲んだという記憶しかない。悲しい・・・。
その翌年か?数年後か?場所を井の頭公園に変えて「花見」を行ったことがある。
この時は「いちおう学生」の私と「職業はドラマー」のO地氏。ほぼ自由人のこの2名で場所取りを行なった。
なかなかの好天に恵まれていたような気がする。
この二人に場所取り係を任せたのは大間違いだった。
昼過ぎに一升瓶数百円の日本酒2本を抱えて到着したが、
「いやぁ、いい天気ですなぁ」
「桜も満開。これは酒が進みますなぁ」
「みなさん集合するまでまだ時間がありますが」
「まあ、軽くちびちびと飲んでますかぁ」
「それはいい。でもあんまり飲んじゃいけませんよ。はっはっはっ」
皆さんが集合し始めた夕方頃には、すっかり2本とも空になってしまい、いったい誰がやってきたのか断片的な記憶しか残っていない。
たしか21時過ぎにはお開きになったはずだが、気づくと豊田駅の寒いベンチに一人。もう23時頃だった。
「酒好きに、花見の場所取り、やらせちゃいかんぞ」
字余り。
NG’sの大江氏と浅草へ行った。
浅草なんて何年ぶりだろう。
先月、ひょんなことでお邪魔した代々木の立ち飲みや「一利起」のおかあさんの推薦で、浅草東洋館へ「青空たのし」師匠の独演会を見るためにやってきた。
数々のコンサートやライブを見てきたが、この手のステージは初めてだ。
「ハーモニカ漫談」というのも惹かれた要因のひとつだが、普段テレビで見るような今風の「お笑い」ではなく、昔ながらの「昭和芸」をぜひ見たいという思いでやって来た。
東洋館は昔の「浅草フランス座」。いわゆるストリップ劇場である。その幕間のコントで渥美清や萩本欽一、ビートたけしらを輩出した老舗としても有名。
待ち合わせ時間より少々早めに到着したので、近所を散策。外人ツアー客などとすれ違いながらも、定番の浅草寺へ。
ぐるりと一周して再び東洋館前へ。
「一利起」のおかあさんと一ヶ月ぶりのご対面。そして券を渡してもらい、いざ館内へ!
見渡すところキャパ数約200席。それが開演の頃には99%満席。すごい!
ほぼ私の親も同然の年齢層の方々で埋めつくされている。
定刻の夜7時。まず第一部は「ハーモニカで綴る昭和歌謡」。
青空たのし師匠の登場。
えっ!?昭和6年生まれの77歳?わ、若い。
更に驚かされたのが、ハモニカ暦3年だと!
ステージの台に置いた24本のハーモニカを情緒豊かに吹き上げる姿は、とてもハモニカ3年生には見えん!
失礼ながら、このお歳でここまで上達されるには並大抵の努力ではないはず。
左足のかかとでリズムをとりながら熱演する姿は十分お若い。
ステージは昭和初期から40年頃までの歌謡曲の変遷を、リクエストに応えながら、コミカルな喋りをはさみながらの演奏で十分満喫させていただいた。
子供の頃によく見た、Wけんじ、てんやわんや、いとしこいし・・・・、うーん昭和の香りを思い出すなぁ。
高峰三枝子が好きだったおふくろの影響で、子供の頃から「なつかしの歌声」のような番組はよく見ていたので、違和感なく入り込めた。
たのし師匠、漫才をやる前には岡晴夫や松山恵子の専属司会を長く務めていたそう。「憧れのハワイ航路」のSP持ってまっせ。
あっという間の1時間。
さて第二部は若手の講談師、田辺駿之輔さんの創作講談。
たのし師匠の半生をおもしろおかしく語ってくれた。
そうそう、友情出演の司会は町田陽介さん。
この方の喋りもいい感じ。かなりの笑いを取ってました。
よくよく聞くと「ギャグメッセンジャー」にいた方らしい。若い人は知らんよね。
あの頃は、てんぷくトリオ、トリオスカイライン、ナンセンストリオ・・・トリオ漫談全盛期。
あ、大阪にはかしまし娘も。いいギター持ってました。
第三部は「ギターとハーモニカのコラボレーション」と題して、ギタリストの藤井弘文さんという方との競演。
この藤井さんという方、演歌専門のバイショウ系ギタリストだろう、程度にしか想像していなかったのだが、きれいな響きのクラッシックギターにいい気持ちになってしまい、帰宅して調べたらこんなホームページを発見してしまった。
さっそく、この日のステージもブログに。
第三部も凝った進行で楽しませていただいた。
アンコール2発。
1回目はむずかしい「月の砂漠」のソロ。
2回目は岡晴夫の「青春のパラダイス」を歌ってくれた。歌もなかなかなもの。
超満員の拍手喝采を浴びていた。
最初にハーモニカ暦の話を書いたが、このホームページも自作されているとのこと。
たのし師匠、たぶん100歳まで生きると思う。
2時間のステージを楽しみ、終演後に「一利起」ご一行約15名で近所の居酒屋へ。
すっかり諸先輩方と飲み食いさせていただき、楽しい一夜が終了。
たまには日本の芸能にいそしむのもいいもの。
久々にトニー谷のレコードでも聞こうかな。
最後は宝蔵寺前の記念写真で。
あ!バンドのブログも見てくださいね。
新宿で飲む。小安田憲司氏と岡地曙裕氏と。最近、この面子でよく飲む。
うーむ、オレ交友関係乏しいのかな〜。
いや、楽しく飲めるというのは一番です。気兼ねなく、昔話から諸々の話題までいい感じで付き合ってもらえる友人は宝である。
宝を失って、初めて気づく試練も最近味わった。いや、味わっている。
人を敬い、自らも成長する。この歳になっても前向きに生きなきゃ楽しみもなくなる。
ちょっと愚痴ってしまったが・・・。
彼らは私にとって大きな存在である。元気にさせてくれる両名に感謝。
3名で居酒屋に入る前に、元気にさせてくれるもう一人の旧友と会った。
ファビュラス・ソウル・シンガー、LEOさん。
ノリは昔と変わらないねぇ。若いよ、うん。
でも話題は「物忘れ」。う〜〜〜ん・・・。
先週、京都のライブでお転婆したらしい。
捻挫したのも気づかずステージをこなし、打ち上げも大暴れ、ホテルに戻って「象の足になった右足」に気づき激痛に耐えつつ帰京したらしい。この日もまだ痛々しく足を引きずる。
喫茶店の階段を辛そうに降りる姿に感動した私は、思わずデジカメでパチリ!
「はっはっはっ!撮ってやったぞ!はっはっは!ブログネタだ!!」
「げっ!や、やられた・・・」
悪いことはできません。写真の出来は失敗でした。
象の足になったLEOさんの後ろ姿、撮り損ないました・・・。次回はよろしくお願いします。