カテゴリー「Phonograph Blues(レコード,CD,DVD,映像等の項)」への投稿

タイトルが猟奇的。
でも、亀戸は内臓の町である。
何の話だい?いったい??

ちょっと前の話だが、会社の帰りに亀戸へ行った。
会社から頑張って20分くらい歩けば到着するのである。
亀戸と言えば、「亀戸ホルモン」やら「ホルモン青木」やら、ちょっとした内臓系の宝庫である。

最近、池袋の某ホルモンチェーン店でO157が見つかったが、それでも美味いレバ刺しはやめられないのである。


初代亀戸ホルモン 吉田初代 亀戸ホルモン 吉田

「亀戸ホルモン」の総料理長が独立した店ということで、食材はさすがである。

提灯の「内臓専門店」というのも、凄みがある。


ビッグ!レバ刺しこのレバ刺の分厚いこと!

噛み応え十分!

ホッピーが実に似合うね!

翌日も仕事なんで、軽めに済まそうと思ったのだが・・・・・・。

やはり、ホッピー1:中4 の黄金比(私にとって)は変えることができなかった・・・・・。


燃える!おおおおおっ!!

ファイヤー!!

店員さんが、ちょこっと氷を乗せると無事鎮火。


kidneystew is fineEDDIE “Clean Head” VINSON – Kidney Stew Is Fine.
内臓系から、こじつけるとなると・・・・・・・。

やはり・・・・・・Kidney Stew でしょうね。
身も蓋もない直訳だと「腎臓シチューは旨い」。
ちょっと、いやだ・・・・・。

これは1970年頃の録音。バックにT-BONE WALKER が入っているのがミソ。
CD化されているようだが、どうも曲順が入れ替わっているような・・・・・。

エディ・ヴィンソンの話は、こんな簡単に終わらせちゃいけない。また、次の機会にぜひ。


P.S.
ぎっくり腰発症の、小安田さん
インフルエンザ発症の、すみれ姐さん

もう歳なんで、無理せず養生して週末をお過ごしください。

chicago_showdownこれまた、マニアックな企画のコンサートが年明けに行われる。
題して “Chicago; Blues & Soul Showdown ! “。

どうも仕掛け人は日暮泰文さんと高地明さんらしい。

なんとまあ、フラミンゴス (Flamingos) 初来日ですよっ!
バイザー・スミス (Byther Smith) に、ジョニー・ロウルズ (Johnny Rawls) も。

個人的には、ミッティ・コリア (Mitty Collier) の来日が信じられない!
そういえば、昔は「ミティ・コリア」と言ってましたなあ。



これですよ!これっ!

もうソウルは歌ってないそうですが・・・・・・。

残念。

でも、ゴスペル回帰ですからねぇ~!


shade of mitty collierこれは、必聴盤。


1月21日~1月25日まで、品川プリンスホテル内の「よしもとプリンスシアター」にて。
400席のキャパ。5日間。
ちょっと入場料が・・・・・・とも思うが、4組出演を考えれば・・・・・。

う~む。
どうしますか?

恐ろしいことに、世間には1日で100件とか200件のブログをアップする方がいらっしゃるが、私としては10日連続というのが十分驚異的記録である。
暇なの?
いや、そんなことはない。
いや、そうかも・・・・。
しばらく、中学ネタで稼がせてもらったので。。。。。
稼ぐ?う~ん、ブログで稼げればもっと書くんだがなぁ。
いや、すぐにネタ切れごなることは必至だ。

本日、ちょっと遅い墓参りに。
土日は同窓会で飲みすぎて棒に振ってしまったので・・・・・・反省・・・・・・。


バッタを追う小学5年生お盆も明けてしまったことだし、空いてて楽だ。
お盆真っ盛りに行けば、車を停めるスペースすら確保が怪しい。

墓参りは関係ない。
バッタを追いかける娘。


「墓」なんて言えば、今の時期「怪談」とか・・・・・。
子供のころは、よく四谷怪談の映画とかテレビでやってたもんだが、最近はその手の映画やドラマはテレビで見ないなぁ。
BLUESの歌詞にもよく「墓」という単語が出てくる。
そう、”grave” ね。
”grave”は出てこないが、この手の歌では リロイ・カー(Leroy Carr)の “Six cold feet in the ground” という曲を思い出す。
リロイ・カーは1935年に酒の飲みすぎが祟り、まだ30歳ぐらいで命を落とすのだが、その死ぬ前のラストレコーディングだ。
まさに「俺が死んだら6フィートの地下に俺を埋めてくれ」という、結構凄い歌詞。
カーといえば、スクラッパー・ブラックウエルのギターとの絶妙な絡みも素晴らしいが、この曲はなぜかピアノだけ。一説には金銭トラブルでコンビ解消した後の録音との噂も。
親友も去り、酒に浸る毎日。そんな悲しい状況を思い浮かべてしまう。


Blues before sunriseちょっと暗い話で恐縮です。
ただ、リロイ・カーは素晴らしいブルース・ピアニスト。

上記の曲は、かの有名な「RCAブルースの古典」に収録されていたが、私が初めて聴いたのは、日本盤の「Blues before sunrise」。

選曲も良く、35年前の高校生も感動して聴いたものだ(変な高校生?)。


leroy carr 1928後年、ヨーロッパでリイシューされたこのLPは初期の(1928年ころ)コンプリート盤だ。
スタンダードナンバーの “How long, how long Blues” はリロイ・カーがオリジナルなのである。

今日は、真面目な音楽ブログだな。ふふ。

本日は中学ネタの集大成。
この度の中学時代の盛り上がりは、8月9日のブログに発端が記されてあるのだが、6月に行われた同窓会を知らなかった者としては大変ラッキーなことに昨夜(8月15日)、その続編同窓会が行われたのであった。
先日30年ぶりの再会を果たした tochi さんと会の1時間前に待ち合わせ。ちょっと軽く喉を潤すことにした。
tochi さん、用意周到に中学と高校の卒業アルバムを持参。事前に幹事のカヨちゃんことH田さんから出席者を聞いていたので、写真を見ながら予習である。
今と違って、当時は1学年約320名である。
しかし、何となく名前と顔が繋がってきた。でも、これから会うのは35年ぶりだし、果たしてどこまで役に立つのやら・・・・・・・。


清瀬南口商店街、とかつては呼ばれておりました実は tochi さんに会う前に、少々早めに清瀬へ着いてしまったため、なつかしの南口商店街を散策してみた。
14年前まで住んでいたのに、あっという間に風景は変わってしまっていた。
再開発が進んだ北口に人を取られてしまったのか、少々寂しい風情ではあった。

あれっ!?肝心の宴会場である「百味」も無くなっちゃってるし・・・。
移転していたようで、これはちと焦ったりもした。


当初、10名程度の小さい宴を予定していたようだが、実際には30名を越す大盛況ぶり。
いやいやいや・・・・全く変わらない顔や、どこが同一人物なんだ、と思わせる方々まで、本当に楽しい一夜を過ごさせて頂いた。
すっかり写真を撮るのも途中まで忘れてたし・・・・・。
「ブログ載せちゃっていい?」「やぁだぁ~恥ずかしい~」
なんて会話もあったので、皆さんのお顔はぼかそうと思ったのだが、そうするとモザイクだらけになって、どうにもいやらしい雰囲気になってしまう。
代案ということで、写真のサイズを小さくして掲載してみた。
これで如何でしょう?



清瀬二中同窓会

【写真左上】左から、tochi さん、 野球少年だったS野くん、そして典子さん。S野は小学校の副校長先生。典子さんはK分寺高校へ行った才女でありました。
【写真右上】やはり才女であった、あれちゃん(左)とアイドル的存在だったシノブちゃん。シノブちゃん、あいかわらず甘~い声でしたね。
【写真左下】ここにも美女2名。実は高校も一緒だったM田さん(左)とS久間さん。今、M田さんの写真を一番感激して眺めているのは、やはりK高校同級のOOEさんではないでしょうか?S久間さんと、何年生の時同じクラスだった?と二人で考えたのだがわからない。小学校から同じ学校、だけど担任の先生の名前を小学1年から挙げていっても共通項がない。う~ん・・・・、あっ!!もみ〇幼稚園の「きく組」で一緒だった~!!
【写真右下】tochi さん乱入。ここだけK高校同窓会?ちなみにこの女性陣2名とも高校の同級生と結婚されていました。

清瀬二中同窓会
【写真左上】遥々京都からやってきたI川さん。ちなみに、本会の最初の主旨は彼女のための集いだったのが、この大人数に。かつてはご近所さんでしたね。ちなみに彼女も同じ高校。
【写真右上】またも登場!ダイジくん!!「キティ好きなのではない!オレがキティなのだっ!」
【写真左下】1軒目のの会場「103」。昔は「百味」。最初は冗談かと思ったが。所沢店もなくなっちゃったかな?ひばりヶ丘店は、まだ昭和風情で営業中!
【写真右下】2軒目はカラオケ会場。話に花が咲いて、誰も歌わず(笑)。仕切るはケンジくん。「オレ小学校の頃、ケンジにいじめられた記憶があるんだけどさぁ」と言うと「うん、みんなに言われる・・・・」とのこと。ちょっと陰険そうな(失礼)無口なケンジもすっかり饒舌なオジサンに!
右の手前に見えるM田くんは中学1年の時にいっしょにフォークギターを弾いた仲。

清瀬二中同窓会
【写真左上】豊子さん登場!ちょ、ちょっと大きくなられました・・・・・?山ちゃん、変わんないねぇ~!
【写真右上】誰かの持って来たアルバムが回って来た。戦前の写真ではありません。念のため。でも、ここは私の家の裏にあった保育園だな。いまはシルバー人材センターと公園になってるはず。
【写真左下】今回の功労者。彼女がいなかったらこの愉しい一夜はありませんでした。カヨちゃんです。生徒会副会長!ホント、お疲れ様でした。
【写真右下】憧れのマドンナ、シノブちゃんとツーショット。これでもう、人生に思い残すことはありません、

今回、お話し出来ずに終わってしまった方も何名かいらっしゃいます。次回、また宜しくお願い申し上げます。


LAYLAで、そのシノブちゃんが、一年間(中学3年の同級生だった)私のことを呼び続けたニックネームが「チェリーちゃん」。
なんて、可愛らしいニックネームなんでしょう。
結局由来は思い出せず。しかも、この異様なニックネームを使うのは、ほぼ彼女だけだったような気がする。
昨夜も会った早々「あら~!チェリーちゃん~!!」。
むむむ・・・・いちおう50歳です。
「チェリーちゃんで思い出すのが、エリック・クラプトン。テープ録ってもらったりしたよねぇ~」
むむむ・・・・下心ありか・・・・・。



そして・・・・2次会も解散。
やはり、家に帰る途中に行かなきゃならない店が・・・・・。
ひばりヶ丘駅北口「白きち」・・・・・。


ダイジのシッポ次女の強い要望にて、ダイジのシッポを激写!


京都からシッポをゲットに!ダイジのシッポを奪いとったI川さん(from 京都)。

シッポがないと、どうもバランスがわるいなぁ(byダイジ)。


サンダルもkitty特別付録

サンダルもキティちゃん。

2nd Blues Festival中学3年生も終わろうとする、1975年の3月9日のこと。
もう、高校入試は終わってたんだろうなぁ。
第2回ブルースフェスティバルに行った。

これで人生変わってしまったと言っても過言ではない。

初めて見た、本場の黒人ブルースマン。
まだ30代だったバディ・ガイにやられてしまった。


2nd Blues Festival_21部はジョニー・シャインズの弾き語り。

そして、第2部になると、まずはバックの “Buddy Guy Blues Band” の演奏。
フィリップ・ガイの Don’t throw your love on me so strong やA.C.リードの Goin’ to New York などで盛り上がり、インストで御大バディ・ガイの登場。
そして、1発目がスロー・ブルース。

なんと! First time I met the Blues !!

まさに、私にとっての First time I met the Blues になったのである。


2nd Blues Festival_3後半、Little by little で、ジュニア・ウエルズが登場。
彼もまだ40歳くらいの脂の乗り切った頃だった。

ステージが終わった頃には、もう放心状態。

この日を境に、ブルースを始めブラックミュージックにハマリ込む人生となったのであった。


で、中学校生活はどうかというと・・・・・・。
前にも書いたが、これはちょっと危ない学校で、とても多くを語れない。
授業中に〇ィスキーを回し飲みしたり、当然〇バコなんて当たり前。
放課後の教室は〇ンナー臭く・・・・・・・。
あ、これは、そんな情景を見たことがある、ということでここは何とか・・・・・・。
わ、私は至ってまじめな音楽少年でして・・・・・・・。

で・・・・・、中学の卒業コンサートの写真が公開できないのは・・・・・、後にも先にも、あんな凄い「剃り込み」を入れたことがない、ということで納得していただけますでしょうか。

え~、そんな中学時代の皆さんに再会できる日を心から楽しみにしている所存でございます。


追伸
昨夜、中学・高校の同級生数名と飲んだのだが、なかなかに盛り上がったのでこれは明日「番外編」にてアップさせていただこうと思います。

Live Cream Vol.2ちなみに、当時の愛聴盤はこれ。

Live Cream Vol.2 / CREAM
ロックのLPはほとんど売りつくしてしまったのだが、これはまだ残っていた。


Live Cream Vol.2
B面の2曲目はクラプトンのギターソロが延々と続く名作。

よく楽器屋で、店員のお兄ちゃんが弾いてたものだ。

ホントはSteppin' Outだよしかし、なんでこうも堂々と間違えてクレジットするかねぇ~。

“Hideaway” ではなく “Steppin’ out” が正解。
いくらどっちもフレディ・キングの曲だからって・・・・・・。

クリームの素晴らしき世界「クリームの素晴らしき世界」という邦題で発売されていた、”Wheels Of Fire”。

2枚組みで、1枚がスタジオ録音。もう1枚がフィルモアのライブ録音。

これに名作 “Crossroads”が収録されている。

Wheels of fireこのLP、銀色のジャケットであるのは言うまでもないが、当時国内盤では1枚ずつバラでも売られていた。
私は2枚組みを購入する前に、ライブ盤のみのこのLPを購入していた。

今ではレアな、金色のジャケットである。

と言っても、当ブログの読者様にとっては全然珍しくない話だったりして・・・・・。
当時2枚組みLPが3,000円、1枚ものが2,000円の時代に、これは1,750円。
う~ん、微妙な・・・・・・・。

ジャケット中 見開きジャケットを開けると中は・・・・・・・。
あ~た!「アート・ロック・シリーズ」ですよっ!
邦題の曲名のチープなセンスっ!

中学3年の5月、初めて外タレ(死語?)のチケットを購入した。
結局、来日中止になったのだが、 “TRAFFIC” である。
スティーヴィー・ウインウッドが大の飛行機嫌い、というのが来日中止の真相だ、などと言われていたのだが事実は?
しかし半年後にはエリック・クラプトンが初来日を果たす。
初めて行った武道館。ラストの Layla では思わず泣けてしまった。

この年、クラプトンはヤク中から驚異的な復活を遂げていた。
461 Ocean Boulevard” はレイドバックしすぎだ、とか賛否両論あったが、いいレコードだと思う。
よくレコードを注文していた清瀬南口のワルツ堂で、発売日前日に無理言って売ってもらったのが懐かしい。

この頃、私は本物の黒人ブルースを初めて聴いている。
クラプトンがコピーしたと言われる ビッグ・ビル・ブルーンジーだ。
クラプトンのルーツの音楽を聴きたい一念であった。

結果は・・・・・・・。
たまたま御茶ノ水の〇ィスクユニオンで見つけたLPは、知っている “Key to the highway”という曲が収録されているというだけの購入理由であった。
Folkwaysのインタビューレコードだった。当時、LP片面20分が常識だったが、これは片面30分はあり、そのほとんどがわけのわからない英語のインタビューが延々と続く・・・・・・・。
失敗だった・・・・・・。
クラプトンの初来日の数日後に、歴史的なイベント「第1回ブルースフェスティバル」が開催された。
私がこれを見逃したのは、ビッグ・ビルのレコードのせいなのか、高校受験を間近にした環境だったためか、今となっては記憶にない。

この項、さらに続く

すっかり世間はお盆休みの様相で、今朝の通勤ラッシュは多少緩和されていて嬉しい。

さて、昨日の続き。
成毛滋論を読んで、なんだかすっかり感化されてしまった中学1年生。
「日本の音楽は聴いちゃいけないんだっ!」
と真剣に思ってしまうところがこれまたスゴイ。
テレビは見なくなるわ、学校の音楽の時間で歌わないわ、もうヒドイもんだ。
だから、私は1973年頃から後の歌謡曲をほとんど知らない。
高校の頃には、そんな意固地な気持ちはなかったが、もうBLUES一色で歌謡曲の類を聞こうとも思わなかった。
山口百恵なんて同年代では大ヒットしたのだろうが、曲も満足に知らない。


goodbye fliedegg中学2年になる頃に、成毛滋の在籍していたフライドエッグの「Good bye」を購入。これが私が買った初めてのロックのLPだ。
高中正義がベース、つのだひろがドラムという凄いバンドだった。

残念ながら、このLPは処分してしまったようでレコード棚を捜しまくったが見つからなかった・・・・。

ちなみに、一緒に音楽を聴き始めたW林君は山内テツのソロLPを買ってベーシストを目指し始めた。


前述の成毛滋の記事にある、CREAM。
日本編集の「パーフェクト クリーム」というLPを次に購入した。
これに、あの “Crossroads” が入っていた。
いやぁ、やられましたねぇ・・・・・・・。完璧なギターソロだった。
寝ても覚めてもエリック・クラプトン一筋になってしまい、ついにエレキギターを購入するのである。


AlvinLeeギャランという国産メーカーの ギブソンES335モデル。
正価¥35,000を値引き後¥28,000にて購入。御茶ノ水の石橋楽器だったかな?

なぜ335モデル?

クリーム解散コンサートでのクラプトンの姿。というより TEN YEARS AFTER のアルヴィン・リーだったかもしれない。
うん、そうだ。 WOODSTOCK のアルヴィン・リーのかっこ良さにやられたんだと思う。

ちなみに、まだ本物のブルースに到達するのはもうちょっと先。


周りは Highway Star や Smoke on the water 一色だったのに、私が好んで聴いたのは、ブルース色の濃いロック。
Johnny Winter And のライブはお気に入りだったなぁ。
Savoy Brown とか、Chicken Shuck とか、Paul Butterfield 、Rory Gallagher・・・・・・・・。
要は、ちょっとアマノジャクだったってことかな?
Traffic、 Mountain、Allman Brothers・・・・・・・わはははは!懐かしい~~!!

ベースのW林くん、そして「金物屋の伸ちゃん」ことW辺くんをドラマーに仕立て、ついにバンド結成したのは中学3年生の頃。
クリームのコピーバンド、その名も “BLUES POWER”。
自慢じゃないが、たぶんアドリブのソロを弾けたのは他には誰もいなかったと思う(かなり稚拙なソロであったのだが)。
当時はスケールなんて誰も知らなくて、その手の教則本すら満足になかった時代だ。

中学の卒業コンサートに出演。
その時の写真と音源があるが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
出演者の意図に反して、笑いをとってしまった我々・・・・・・・・・・。
写真すら、公開できるものではございません。