2009年8月の投稿

7月5日の “House Rent Party” から1ヶ月以上経過してしまった。
実は、お世話になった会場、中野の BRIGHT BROWN に、忘れ物を置いたままの状態になっていた。
あんまり長く置きっぱなしも申し訳ないと思いつつ、もうお盆の時期まで引っ張ってしまった。

一念発起して(そんな大げさな話ではないが)、忘れ物回収部隊としてお店に伺ったのは一昨日、8月13日のことである。(なんか昨日といい今日といい、2日遅れのブログとなっております)
この日は、毎週木曜恒例の “Blues Session Day” である。
入店して、ノートに名前を書けば誰でも1,2曲は演奏させてもらえる。
いつだったか、岡地曙裕さんと一緒に行って飛び入りで演奏させてもらったこともあった。


香港亭NG’sの同胞である tom斉藤さんと中野駅で19時待ち合わせ。
21時スタートなので、その前に「香港亭」にて軽く胃袋に入れて行こう。
150円の激安餃子は有名だが、この日はふかひれの醤油煮がナント500円。
生ビールも、290円(だったかな?)のご奉仕価格!

生ビール好きのくどーさん、来れば良かったのにぃ~。


Bright Brown Session DayBRIGHT BROWN も大繁盛。
お盆休みに旅行へ行けないブルース好きが大挙押し寄せた、って感じである。
それにしても・・・・・・・・。
やはり時代は変わって行くのねぇ。知ってる方はごく数名。でもカウンターで楽しく見させていただきやした!

ところで、この写真の一番右にいる方の楽器はいったい???
首からアンプとゲームボーイみたいな楽器をぶらさげて・・・・・・。謎。


斉藤さん、エフェクターボード持参するも、ちと雰囲気的に場違いなため急遽アンプ直結に。
でも、思いっきり爆音で弾いたため、進行役の谷やんに取り押さえられておりました。
この日の歌わせていただいた2曲。
1. I’m gonna move to the outskerts of town.
2. Serchin’ for a woman.

さて、本題の忘れ物回収。
加藤義明さんのシールド、岡地曙裕さんの鳴りモノ、私のチューナー、などなど無事に引き上げましたが、所有者不明物件が数点。
え~ここから業務連絡。下記の写真に見覚えがある方はご一報くださいまし。
ヨロシクです。。。。。


歌詞本歌詞本です。

最初、町田謙介さんのものではないかと言われていましたが違うもよう・・・・・。


シールド束ね?これはいったい?????

どうやら、シールドを束ねる機器のようです。

透明のほうは、ポップスタンドのようだが用途は同じ?


SUE~さん、みきさん、長々と忘れ物を置きっぱなしにしてすみませんでした。
物忘れの激しくなってきた年代の集いでしたので、多めに見てくださいね。

それから、今度NG’sのブッキングもお願いしま~す!!

追記

歌詞本の所有者、発見!!
阿佐ヶ谷の”SOUL玉”、ミスター矢野間でした~!

う~~ん、こりゃちょっとタイトルに偽りありだなぁ。
正確には「高校時代の話 番外編」だなぁ。

一昨日のことである。
毎年の正月とお盆休みに東京へ戻ってくる甲子園在住のS塚氏。
& いつものようにOOE氏とミニミニ同窓会である。
都立K高校の同級生であることは前にも書いたとおり。
今回は東名高速が地震で通行止め。苦労して中央道経由でやってきた。
ちょっと3人の都合がつかなかったので、音出しはなし。居酒屋でのバカ話会となった。

で、今年の正月頃から当ブログのコメントに絡んでき始めた tochi さんも、実は高校の同級生。
というか、小学校から高校まで一緒である。
ちなみに、いい歳して(他人のことは言えないが)シンラインを購入しようとして情報をネットで捜していたら、このブログを発見したという、凄い巡り合わせである。
6月のライブを見に来てくれたときは、おそらく30年ぶりくらいのご対面であった。

私が中学の同窓会で「行方不明リスト」に載っていたのと同様、tochi さんも「行方不明」。
不明者同士で飲むのも悪くないので、今回のミニミニ同窓会に参加してもらった。


4人同窓会場所は、東久留米駅そばの居酒屋。
いやぁ、楽しかった。
一人増えると、話のバリエーションも富んでなかなかにヨロシイ。

tochi さん、某高校の管理職さん。写真にモザイクかけるかい?と尋ねたら「なんか犯罪者みたいでイヤだよなぁ~」。
今回、S塚さんも素顔で登場(覆面レスラーかっ!)。

左から、私・S塚・tochi・OOE。紹介しても誰も嬉しくないか・・・・・・。


さあ!終電も間近。店を出て駅へ着くと、S塚氏が「おおおおおっ!ダイジだぁっ!!」。
なんと、やはり中学、高校と同級だったN沢ダイジが!!
実は、居酒屋でN沢くんの話題は出ていた。
中学時代、大雪の日にスキーをはいて登校した大物である。

実は去年の秋だったか、私はN沢君を見かけている。
朝のひばりヶ丘駅前にはよくツアーの観光バスが停まっているのだが、そのバスを待っていると思われる人たちの中に、キティちゃんのカチューシャを頭につけた異彩を放つ1名の男性が。。。。。。。。
明らかに同級生のN沢ダイジだ・・・・・・・・・・・・・・。
し、しかし、その時は・・・・・怖くて声をかけられず・・・・・・・・・・・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。N沢くん、tochi さんと改札で記念撮影。

ちょっと凄いでしょ。

ちなみに、これ普段の服装だそうです。
耳にはキティちゃんのピアス。シッポも生えてました。

ただ、別にオカマとか、そういうわけでは絶対にありません。
話をすると、昔とおんなじN沢くんでありました。


白kittyえ~、ひばりヶ丘でスナックやってます。登録商標に配慮してか「白きち」なる店名。
思わず行って2:30まで飲んじゃいました。

ギターもありました。ミニアンプも。
キーボードも2台。

ドラムは・・・・・・ちょっと置けそうもないな・・・・・・残念。

本シリーズ、衝撃的な写真で無事終了!!


こちらもご覧くださいませ ⇒ 「白きち☆ひばりが丘情報発信」

2nd Blues Festival中学3年生も終わろうとする、1975年の3月9日のこと。
もう、高校入試は終わってたんだろうなぁ。
第2回ブルースフェスティバルに行った。

これで人生変わってしまったと言っても過言ではない。

初めて見た、本場の黒人ブルースマン。
まだ30代だったバディ・ガイにやられてしまった。


2nd Blues Festival_21部はジョニー・シャインズの弾き語り。

そして、第2部になると、まずはバックの “Buddy Guy Blues Band” の演奏。
フィリップ・ガイの Don’t throw your love on me so strong やA.C.リードの Goin’ to New York などで盛り上がり、インストで御大バディ・ガイの登場。
そして、1発目がスロー・ブルース。

なんと! First time I met the Blues !!

まさに、私にとっての First time I met the Blues になったのである。


2nd Blues Festival_3後半、Little by little で、ジュニア・ウエルズが登場。
彼もまだ40歳くらいの脂の乗り切った頃だった。

ステージが終わった頃には、もう放心状態。

この日を境に、ブルースを始めブラックミュージックにハマリ込む人生となったのであった。


で、中学校生活はどうかというと・・・・・・。
前にも書いたが、これはちょっと危ない学校で、とても多くを語れない。
授業中に〇ィスキーを回し飲みしたり、当然〇バコなんて当たり前。
放課後の教室は〇ンナー臭く・・・・・・・。
あ、これは、そんな情景を見たことがある、ということでここは何とか・・・・・・。
わ、私は至ってまじめな音楽少年でして・・・・・・・。

で・・・・・、中学の卒業コンサートの写真が公開できないのは・・・・・、後にも先にも、あんな凄い「剃り込み」を入れたことがない、ということで納得していただけますでしょうか。

え~、そんな中学時代の皆さんに再会できる日を心から楽しみにしている所存でございます。


追伸
昨夜、中学・高校の同級生数名と飲んだのだが、なかなかに盛り上がったのでこれは明日「番外編」にてアップさせていただこうと思います。

Live Cream Vol.2ちなみに、当時の愛聴盤はこれ。

Live Cream Vol.2 / CREAM
ロックのLPはほとんど売りつくしてしまったのだが、これはまだ残っていた。


Live Cream Vol.2
B面の2曲目はクラプトンのギターソロが延々と続く名作。

よく楽器屋で、店員のお兄ちゃんが弾いてたものだ。

ホントはSteppin' Outだよしかし、なんでこうも堂々と間違えてクレジットするかねぇ~。

“Hideaway” ではなく “Steppin’ out” が正解。
いくらどっちもフレディ・キングの曲だからって・・・・・・。

クリームの素晴らしき世界「クリームの素晴らしき世界」という邦題で発売されていた、”Wheels Of Fire”。

2枚組みで、1枚がスタジオ録音。もう1枚がフィルモアのライブ録音。

これに名作 “Crossroads”が収録されている。

Wheels of fireこのLP、銀色のジャケットであるのは言うまでもないが、当時国内盤では1枚ずつバラでも売られていた。
私は2枚組みを購入する前に、ライブ盤のみのこのLPを購入していた。

今ではレアな、金色のジャケットである。

と言っても、当ブログの読者様にとっては全然珍しくない話だったりして・・・・・。
当時2枚組みLPが3,000円、1枚ものが2,000円の時代に、これは1,750円。
う~ん、微妙な・・・・・・・。

ジャケット中 見開きジャケットを開けると中は・・・・・・・。
あ~た!「アート・ロック・シリーズ」ですよっ!
邦題の曲名のチープなセンスっ!

中学3年の5月、初めて外タレ(死語?)のチケットを購入した。
結局、来日中止になったのだが、 “TRAFFIC” である。
スティーヴィー・ウインウッドが大の飛行機嫌い、というのが来日中止の真相だ、などと言われていたのだが事実は?
しかし半年後にはエリック・クラプトンが初来日を果たす。
初めて行った武道館。ラストの Layla では思わず泣けてしまった。

この年、クラプトンはヤク中から驚異的な復活を遂げていた。
461 Ocean Boulevard” はレイドバックしすぎだ、とか賛否両論あったが、いいレコードだと思う。
よくレコードを注文していた清瀬南口のワルツ堂で、発売日前日に無理言って売ってもらったのが懐かしい。

この頃、私は本物の黒人ブルースを初めて聴いている。
クラプトンがコピーしたと言われる ビッグ・ビル・ブルーンジーだ。
クラプトンのルーツの音楽を聴きたい一念であった。

結果は・・・・・・・。
たまたま御茶ノ水の〇ィスクユニオンで見つけたLPは、知っている “Key to the highway”という曲が収録されているというだけの購入理由であった。
Folkwaysのインタビューレコードだった。当時、LP片面20分が常識だったが、これは片面30分はあり、そのほとんどがわけのわからない英語のインタビューが延々と続く・・・・・・・。
失敗だった・・・・・・。
クラプトンの初来日の数日後に、歴史的なイベント「第1回ブルースフェスティバル」が開催された。
私がこれを見逃したのは、ビッグ・ビルのレコードのせいなのか、高校受験を間近にした環境だったためか、今となっては記憶にない。

この項、さらに続く

すっかり世間はお盆休みの様相で、今朝の通勤ラッシュは多少緩和されていて嬉しい。

さて、昨日の続き。
成毛滋論を読んで、なんだかすっかり感化されてしまった中学1年生。
「日本の音楽は聴いちゃいけないんだっ!」
と真剣に思ってしまうところがこれまたスゴイ。
テレビは見なくなるわ、学校の音楽の時間で歌わないわ、もうヒドイもんだ。
だから、私は1973年頃から後の歌謡曲をほとんど知らない。
高校の頃には、そんな意固地な気持ちはなかったが、もうBLUES一色で歌謡曲の類を聞こうとも思わなかった。
山口百恵なんて同年代では大ヒットしたのだろうが、曲も満足に知らない。


goodbye fliedegg中学2年になる頃に、成毛滋の在籍していたフライドエッグの「Good bye」を購入。これが私が買った初めてのロックのLPだ。
高中正義がベース、つのだひろがドラムという凄いバンドだった。

残念ながら、このLPは処分してしまったようでレコード棚を捜しまくったが見つからなかった・・・・。

ちなみに、一緒に音楽を聴き始めたW林君は山内テツのソロLPを買ってベーシストを目指し始めた。


前述の成毛滋の記事にある、CREAM。
日本編集の「パーフェクト クリーム」というLPを次に購入した。
これに、あの “Crossroads” が入っていた。
いやぁ、やられましたねぇ・・・・・・・。完璧なギターソロだった。
寝ても覚めてもエリック・クラプトン一筋になってしまい、ついにエレキギターを購入するのである。


AlvinLeeギャランという国産メーカーの ギブソンES335モデル。
正価¥35,000を値引き後¥28,000にて購入。御茶ノ水の石橋楽器だったかな?

なぜ335モデル?

クリーム解散コンサートでのクラプトンの姿。というより TEN YEARS AFTER のアルヴィン・リーだったかもしれない。
うん、そうだ。 WOODSTOCK のアルヴィン・リーのかっこ良さにやられたんだと思う。

ちなみに、まだ本物のブルースに到達するのはもうちょっと先。


周りは Highway Star や Smoke on the water 一色だったのに、私が好んで聴いたのは、ブルース色の濃いロック。
Johnny Winter And のライブはお気に入りだったなぁ。
Savoy Brown とか、Chicken Shuck とか、Paul Butterfield 、Rory Gallagher・・・・・・・・。
要は、ちょっとアマノジャクだったってことかな?
Traffic、 Mountain、Allman Brothers・・・・・・・わはははは!懐かしい~~!!

ベースのW林くん、そして「金物屋の伸ちゃん」ことW辺くんをドラマーに仕立て、ついにバンド結成したのは中学3年生の頃。
クリームのコピーバンド、その名も “BLUES POWER”。
自慢じゃないが、たぶんアドリブのソロを弾けたのは他には誰もいなかったと思う(かなり稚拙なソロであったのだが)。
当時はスケールなんて誰も知らなくて、その手の教則本すら満足になかった時代だ。

中学の卒業コンサートに出演。
その時の写真と音源があるが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
出演者の意図に反して、笑いをとってしまった我々・・・・・・・・・・。
写真すら、公開できるものではございません。

10
8月

中学生時代の話

   Posted by: Masazumi Ito   in When you got a good friend (友人の項)

昨日、中学時代の友人たちからメールをいただき、懐かしい想いをしたことを書いたが、その後、旧姓H野さんともやりとりがあったり・・・・たぶん35年ぶりだなぁ。
当時のK二中、なかなかにスゴイ中学だった。
何がスゴイって?
ちょっと公には文章にしにくいな・・・・・。
とりあえず、高校入学してK二中出身と言えば、たいていの連中はビビってくれた。そんな中学だった。

さて、私の音楽履歴の本格的な始まりは中学からだったと思う。
たしか小学校の終わり頃にフォークソングを聞き始めた。
で、中学に入った頃、吉田拓郎の「結婚しようよ」が大ヒットしたのである。それまでの歌謡曲とチガイ、とても身近な内容や、含蓄のある歌詞に魅せられた。
拓郎のエレック・レコードのLPは3,4枚購入したはずだ。
深夜放送の「拓郎パック(TBSのパックインミュージック)」は眠い目をこすりながら毎週聞いた。
中一の夏休みには日比谷野音に大きなフォークコンサートを一人で見に行ったりもした。
で、親の友人から生ギターを借りて弾きはじめた。
「ガッツ」とか「新譜ジャーナル」なんて雑誌を見てコードを憶えたりしたもんだ。
髪の毛も伸ばしはじめたりした。

人間なんてところが、薄情なものでフォーク熱は1年間であっさり醒めてしまった。
今は亡き、成毛滋さんの手記をある雑誌で読んでからである。
これは、あるサイトに原文のままに載っているので、読んで頂きたい。
下記のリンクである。

「成毛滋の体験的リズムマスター論」

 

この項、続く

一週間ほど前のこと、高校の同窓会サイト経由で旧姓T崎さんより連絡が来た。卒業以来なんで31年ぶりってところだろうか。
彼女とは中学も同じだった。地元のK第2中学校から都立K高校に進学したのは1クラス分(40名ほど)くらいいたはずだ。
で、突然のお便りはその中学のこと。
6月の下旬に中学の同窓会があったらしいのだが、どうやら私は「行方不明リスト」に入っていたようで、それを知らせてくれたというわけだ。
3年ほど前の高校クラス会開催の時は、行方不明者を必死に探していた自分が、中学の同窓会では捜される方だったという笑い話である。
その数日後には、やはり中学時代の数少ない年賀状をやり取りしている「金物屋の伸ちゃん」からも同様のメールをいただいた。
彼は、中学の時に初めて組んだバンドのドラマーなのである。

T崎さん経由で、幹事の旧姓H田さんから連絡がきた。
彼女は携帯のメールから。
その返信の速さときたら女子高生並みのスピードである。
かなり鍛え抜かれた指裁きと見た。

盛大な同窓会は終わってしまったようだが、内輪の飲み会には呼んで貰おう。
ちなみに、このブログのURLもアドレスのわかる方たちに配布済みのよう。こりゃ、これから変なことは書けない・・・・。
伊藤はいい歳してして、こんなバカな毎日を過ごしている・・・・・・。
も、もう遅いな、こりゃ。

さて、本日は久々に個人練習。
近所の “Studio Page” さんで、2時間みっちりと。
6月の下旬から、どうも喉の調子が悪く咳がとまらなかったりする。
今日は荒治療で目一杯歌ってきた。
最近の個人練習でよく使うギターは、年代モノの HARMONY のフルアコ
このギター、デュアルモンドのピックアップ搭載で、そのままでもきれいに歪む。フルアコなのでちょっとハウるが果たしてどの程度の音量まで対応可能なんだろうか?
小さい音量のライブでは使ってみたい。
ちょっとネックが太いのと、ネックサイドのポジションマークがないのが、ちと辛い。娘の白いマニュキュアでポジションのシルシを付けてみた。
が・・・・・汚い・・・・・。
HARMONY Rocket

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