カテゴリー「Blues’n Soul (ブルージーな仲間たちの項)」への投稿

退院後、ぼちぼち自分のライブは演っていますが、まだまだ本調子からは程遠く、友人知人のライブにも足が遠のいている今日この頃です。
まだそこまで余裕がないってとこですな。
が、昨夜は久々に。
SUN ALLEY、久々です。
というか小安田氏に会うのもずいぶんと久しぶりか。
昔は毎日のように一緒に飲み歩いてたのに。
という昔とは35年以上前の話か(笑)

荻窪ルースターのノースサイド。
実は初めて行くのでありました。
杉並公会堂のすぐ先なんですね。
南口のルースター本店より気持ち広いか?
ステージもちょっと大きいな。
あ、音も悪くないな。
3年前、DEW DROPPERSを最初にやるときの候補地だったのですが、佐藤オーナーに「本店でやりたまえ!」と言われた経緯があります(笑)

で、SUN ALLEYですが相変わらず爆音です(笑)
というか、地道に定期的に活動しているにもかかわらず、なぜかYOUTUBEなどにも出てきません。
東京界隈の皆さん、これは必聴のバンドです!
つまりライブ会場に行くしかないのです。
期待は絶対に裏切らないと自信をもってお奨め出来ますので、未だの方は一度足を運んでみてくださいね!



SUN ALLEY

小安田憲司(vcl,gtr)
中道勝彦(kbd)
江口弘史(b)
石田一郎(d)


8
12月

30年ぶりだ!

   Posted by: Masazumi Ito   in Blues'n Soul (ブルージーな仲間たちの項)

先日、徳島から旧友、神東正典氏が仕事で上京した。
彼は鳴門市、金刀比羅神社の宮司である。
若い時は東京でB級ブルースバンド業界のドン(笑)として知られていた。
彼の主催した「ブルースが街にやってくる」(通称「ブル街」)シリーズは東京のブルースバンドが数バンド集まり、ここで横のつながりも発展した。
当時、彼が長くやっていたCALDONIAというバンド(ここには”スーパーハープ島田”という超絶ハーピストがいた)と私がやっていたLITTLE BOY BLUE(小安田憲司、松井仁、岡地曙裕)というバンドが時を同じくして解散したので、その後一緒にバンドをやることになった。
1983年くらいだったか?

で、そこで始めたのが”LINDY HOP”というバンド。
たぶんバンド名は当時JUMPやJIVEをバリバリ聴いていた私が付けたと思う。
でも、演奏内容はほぼブルース(笑)
メンバーは神東氏、私の他に佐藤浩人(gtr)、早崎詩生(pf)、立松裕之(ds)である。
吉祥寺の曼荼羅をホームグラウンドにしていたはず(MANDARA2はまだ無かった時代)。
アンプ等の機材も車で持ち込んでた時代・・・。




19830928
おお、これは記念すべきデビューライブのフライヤー。

対バンはTOMATOESじゃなくて、本当のスペルは”TOMATOS”。
清のセンスも凄い(笑)


で、今回は LINDY HOP全員が中野のブライトブラウンに集まったわけでございます。
皆、ちびちび呑みながら神東氏の登場を待ちわびていると、お!ドアが開いた!
あ、あれ?違う。
既にワイン3本呑み明かした酔っ払いの吾妻光良氏でありました。
会社の役員仲間さんとご一緒とのこと。
4本目注文されました。。。。
明日は役員会とのことですが、果たして(-_-;)




そうこうしているうちに主役の神東氏も到着、なごやかな宴席。

いや、ワイン4本目の方はやや酩酊気味で手先もおぼつかない状況。




ま、クリスマスも近いっつうことで、Merry Christmas Babyの合唱後の姿。




そして、なぜか記念撮影(笑)
あ、一般の方はモザイク入れました。すんません。



で、酔っ払いは帰りましたので、この日ライブが入っていないお店で軽く3曲。
いやあ、30年ぶりとはいえ、全然違和感ないのが凄いもんです。
来年は、ちゃんとライブやりますかね。

私も佐藤氏も今年は緊急入院しましたが、神東氏も1か月ほど入院されたそう。
早崎くんも身体がボロボロですので、そろそろリユニオンやらないといけませんな。


19840212_manndara
ちなみに当時のフライヤーをもう一枚。

この時はゲストに吾妻さん、石川二三夫氏、町田謙介氏。

対バンに”吾妻光良&CHICKEN SINK”という幻のバンド。

私はこちらのバンドでもギターを担当しましたが、このバンドに関してのコメントは墓場まで持って行かなければならないかもしれません・・・。




いままで何度もお邪魔している、ザ・グレート・カブキさんのお店、「BIG Daddy酒場かぶき うぃずふぁみりぃ」。
実は昨年末に飯田橋のお店を閉め、小石川へ移転したのでありました。
(旧店舗は元女子プロレスラーの元気美佐恵さんが引き継いでおります!)
移転先の場所は後楽園駅を北の方へ10分強といったところでしょうか。

旧店舗はこのブログに何度も登場していますが(ブログ右上の検索窓に「カブキ」と入れてください)、本当にアットホームな素敵なお店。
奥様の安子ママとの絶妙なコンビネーション、そして料理も酒も旨い!
昔のプロレスラーは、たいてい道場でちゃんこなど作らされているので、舌は肥えているのです。

我々、たいてい最初は音楽の話などで盛り上がっているのですが、ほろ酔いくらいになった頃に、いつもカブキさんがやって来て(しかも自分用の焼酎お湯割り持参で)興奮の昭和プロレス話に!
ダラスの頃の話、日本プロレスの頃の話、などは何回聞いても楽しめます。

で、話は戻ります。
6月16日、リニューアルの新店舗に移ってから初めて伺いました。
メンツは・・・・
あ、いつもの・・・ですね(笑)

こちらのお店では厨房の中はカブキさんが仕切ってます。
以前のように料理人さんはおらず、すべてカブキさんが作っているのです!

でも、ラストオーダーも終わり一息ついたころにカブキさんやって来ました!
労働の後の感じで(笑)珍しく生ビール持って。
でも、くいっと呑み干した後はいつものように焼酎お湯割り持ってきた。
今回は毒霧の上手な吹き方のコツなどをお話し頂きつつ、いつものように色々と笑わせて頂きました。


で、「あ、今日は彰俊が泊まりに来るよ」。
ん?あ、あきとし?
あらま、やって来ました齋藤彰俊選手!!
胸板の暑さが半端なし!ぶあつい!!
わたし、誠心会館の頃からのファンです(笑)

宴もたけなわ、恒例の記念撮影は齋藤選手にも入ってもらい。
あ、カウンターの右端にいらっしゃるのは、「バイオリン漫談」のマグナム小林さんだっ!!

BIG Daddy酒場かぶき うぃずふぁみりぃ
文京区小石川1-25-9

予約されてから伺うことをお勧めします(この日も飛び込みで入れなかった方がいました)。
TEL 03-5800-5801


先月、誕生日を迎え良く考えたら、もう還暦まであと3年じゃないか!と今更ながら思う訳です。
そして、昔からの仲間、友人、知人たちが、もう還暦間近とか還暦おめでとう、なんて話がわんさかとあったりして、嗚呼やはり本当なんだと思わずくよくよする今日この頃であります。
もう人生下り坂ですので、元気なうちにバンドに勤しみ、やれることはやっておいた方が悔いなし!と思う訳であります。

会社人生も、もう30年くらいなのだけど、それはそれ。
やはり若い時の音楽仲間に会う時間を作るのが大切。

で、今回は東横線の学芸大駅へ遠征しました。




6月9日、下準備済みで場所も把握済み。
学芸大駅から5分も歩きません。

牛タンの店です。
高級です!
ちょっと私には似合いません。



近場で再アップ画像。

ちょっと一見では入れなさそうな小さな居酒屋風情。
絶対に中はカウンターしかなさそうな。
しかし、事前に予約済みです。
根回しだけは得意です(笑)
「お邪魔しまーす」



やはり店内はカウンターのみの10人も入れるかどうか。
既に6人いらっしゃいましたので、席はこれでいっぱいの感じ。
マスター一人で切り盛りされております。
お酒の品揃いは大したもの、たまたまカウンター上の焼酎「佐藤」黒・白・麦。
料理も牛タンだけではなく、居酒屋風な品揃えも。




ふと後ろの壁を見ると、おお!年季の入ったポスターが!!

O.V.Wright & Little Eddie Wrightだ!
おおおおっ!Magic Sam & Shaky Jakeもっ!!

や、やはり、ここは彼の店に違いない!




カウンター側の壁にはCarter Brothers!
レーベルまでよく見えないが、壁には7インチ盤も数枚飾ってある。

そ、そしてこの横顔は!!
ま、まぁ入った瞬間に顔を見て間違いないと確信はしたのですが(笑)




牛タンのお店なので「炭焼き牛タン」をオーダー。

おお、旨いね!
下味も良い感じで、お酒もご飯も進みそう。

牛タンなんて久しぶりだし(笑)




これがマスターお奨め一品「ゆでたん」。
おお、とろけますねぇ。

他のお客さんが頼んでいた、タンシチューや馬刺しも旨そう。
次回かな。



そんなこんなで、お客様も2組帰られひと息ついた感じなので、ここはチャンスとばかりに

「あ、マスター。私ね。その昔、居酒屋で『つまみのお新香が少ない』と言って、カウンターの上で素っ裸になって踊っちゃった平尾雅和って人、知ってるんですが」
「え、ええ~!?」

いや、今回は居酒屋で裸踊りをしたことで有名な人を探しに来たわけはありません(笑)



ここで暫し回顧録を。

30年以上前のことです。
現在の「BLUES & SOUL RECORDS」誌の前身とも言える「THE BLUES」誌が「BLACK MUSIC REVUE」誌に衣替えした頃の、ブルース・インターアクション社にいた平尾雅和さん発掘の巻、なのであります。

当時、私は小安田憲司さん、岡地曙裕さん、松井仁さん(故人)、と LITTLE BOY BLUE というB級ブルースバンド(笑)をやっていました。
で、今は亡き下北沢の「スーパーマーケット」というライブハウス(永井隆&ブルーヘブンとブレイクダウンがライブレコーディングした所)で催された “We Must Play The BLUES” という企画ライブに出たのですが、その時のレポートをBLACK MUSIC REVUE誌に書いたのが平尾さんでした。

確かその頃に 永井隆&ブルーヘブン のマネージャーをやっていた(昨年亡くなった正井芳幸さんと一緒に)中根義之さんが取り仕切っていたような気が。
これがご縁で、その後に何回か下北沢スーパーマーケットには出演させていただきました。

で、話は平尾さんに戻りますが、当時のブルースインターアクションズは、日暮泰文さんや高地明さんといった大御所がいて、平尾さんは見事ないじられキャラ。
ひょうひょうとした態度に朴訥な喋り。そして髪型は白菜みたいな(笑)、ん~なんて言うんだろ、刈り上げで毛が逆立ってるような。
わたしは今でもStuff Smithの”Sam The Vegetable Man”を聴くと、彼の事を思い出すのであります。

で、年齢も近いので「平尾クン、平尾クン」なんて、気やすく呼んでいたわけです。
このお店では「マスター!」と呼ばれてましたので、「平尾クンなんて呼ばれるの久しぶりだ」と笑っておりました。

彼はその後、アルバムジャケットのデザインなどを40歳頃まで続け(と言ってもデザインの仕事の中の一割程度だったとか)、突如牛タン屋のオヤジとしてデビューしたそうです。
そして今では隠れた牛タンの名店に!!




恒例の記念撮影です。

30年の時を経て!




「そう、あの時はねぇ~」
居酒屋裸踊り事件について語る、平尾容疑者(笑)

お新香が少なくて暴れた、というのは尾ひれ(高地さん→吾妻さん?)らしいですが、裸になって踊ったのは事実らしいです(笑)

舌雅 (たんまさ)
東京都目黒区鷹番3-19-11 (18:00-24:00)日曜休業
03-5704-8262
(電話予約されることをお奨めします)




で、ここからはおまけです。

1982年のブラックミュージックレビュー誌(NO.58)を引っ張り出しました。

表紙はジミー・ジョンソンですね。
1975年、オーティス・ラッシュ初来日のバックでの悪印象が40年経っても抜けきらない狭量な私です(-_-;)




これが例の記事。

6ページにわたる大作です!




懐かしい写真です。
左から、わたし、岡地氏、松井氏、小安田氏。

右の写真は CALDONIA のスーパーハープ島田さんですねぇ~




おまけのおまけ

同誌をパラパラとめくっていたら、吾妻さんの連載物”BLUES IS MY BUSINESS”の内容が「ブルースグッズ」。
当時、ブルースTシャツ着用の第一人者(笑)であった私の話が載っていました!

あの頃は「プレイヤー」誌も含め、よく飲み屋で原稿ネタに協力したものだったなぁ~

で、今回のブログはFACEBOOKをやっていない吾妻さんに捧げましたっ!


「総集編シリーズ」復活です!

5月といえば・・・
そう、誕生日です。
思えば長く生き延びたものです(笑)
もう数えきれません・・・

何回か書いてますが、当家の4名はみんな5月生まれでして、私の誕生日は一番影が薄いと思われます。
そして今年も誕生日会は1日に集約されるのですが、たまたま日曜の5月15日、つまり私の誕生日に行われました。
寿司とケーキとビールとワインです。
これはこれで良しとします(笑)




5月4日
NG’sのリハであります。

久々のライブ(5/14)を前にして、今回は1977年の335で突入します。
ディマジオのスーパーディストーション搭載ですので、NG’s向きですね。

最近、指弾きが多くなってしまい、実はピックの使い方が下手になって来ております(-_-;)



5月8日

出禁から早や一年(笑)
阿佐ヶ谷のOILCITYにこの日はお客で行ってまいりました。
N原さんから招待券あるよ、と言われ・・・
最近、けっこう貧しいので「ただ」とか「招待」とか「奢り」という言葉にたいへん弱くなっています。
久々のローラーコースターでありました。
あ、写真がねえや、すんまへん・・・

で、5月21日のライブの対バンも決まってないので、「小出さん、ゲストにどお~」「あ、その日は空いてるわ!」ということで小出斉さんも釣ってきたので有意義なライブ観戦でありましたね(笑)



5月14日
そして誕生日を目前に控え、NG’sの8か月ぶりのライブは新橋の ZZ であります。

知る人ぞ知る、「ダディ竹千代&東京おとぼけCats」のダディさんのお店であります!!
そしてPAはボーン助谷さんではないですかっ!

リハ終わってもまだまだ時間が余っており、やはり新橋のホッピーへ走ってしまいますね。




この日のベストショットですね。

最近入ったキーボードの水谷君はこのライブを最後に去っていきました。
南無。
一説にはベースの某大江公一氏の陰湿ないじめが原因とも言われております。
彼は別名「人切の大江」とも呼ばれ、今まで数多くの人たちが辛酸をなめてきたとの噂も(笑)




ライブも大盛況で終了、ダディさんと2ショットです。

ダディさんの入れたホッピーのナカは、カウンターの中をのぞくと宝焼酎をグラスにドボドボと入れており、ただの焼酎ロック状態でありました。
ホッピー外がほとんど入りません(涙)

そして翌日、私は自分の誕生日を二日酔いの寝たきりで過ごすことになったわけあります・・・




5月21日

はい、釣り上げてきた小出斉さんとのライブの日ですね(笑)
第1部の対バンは何と初遭遇のフレンチジャズのコンビ!
ちょっとビックリ(笑)

フライヤーはNICK澤野、渾身の初作品です。
次回から宜しくお願い申し上げます!

実はこのライブ直前から兆候があったのですが、翌々日に一大事件が勃発しました。
この件は、また別の機会に。。。。。



先日、リペアから戻ってきた GIBSON L-10 のデビュー戦。
思えばアコギなんて中学1年の時に合唱コンクール(笑)で伴奏した「戦争を知らない子供たち」以来!

うわ!弦が太いわ!3弦が巻き弦やんけ!指折れますがな!
アンプを通していることもあり、次回からは0.10のエレキ弦セットに替えようと、心に強く誓ったのでありました。

あ、あとストラップはブラインド・レモン・ジェファーソンのようなロープみたいなのにしようかな。


5月24日
ビルボードです!Don Bryant です!!
バックがちょっとウザかったですが(笑)本人、バリバリ!
ご本人の名曲はI’ll Go Crazyだけでちと残念でしたが、バックもアレなんでローカルSOULショー仕立てってとこでしょうか。
アン・ピーブルズ来てたのかなぁ・・・・
そういえば、アンコールは何故かDixie Chicken。で、なんとベースの方はLITTLE FEAT のケニー・グラッドリーさんでありましたっ!!



5月28日
先ほど触れましたが5/21のライブ後の一大事件。
R-50のリーダーである佐藤氏が脳梗塞で救急車にて緊急入院!
幸い軽く済んだとのことで、ほっと一安心。ですが左顔面に麻痺が残っておりまして、この日のお見舞い品は黒の海賊眼帯。
翌日、無事に退院されましたが、もうちょっと処置が遅かったらヤバかった!
前日の兆候の様子やら、やばいと思ったら大丈夫と思わずにすぐ救急車!等々、脳梗塞を後世に伝える語り部と化し熱弁されておりました。
勉強になりました。明日からオニオンスライスがかかせません。



そして、お見舞い終わって場所がら亀戸が近いとあって、天下の「亀戸餃子」突入であります。
ストップをかけないと、延々と餃子が運ばれるという「わんこ餃子」状態。
そして、満腹になりすぎ消化のために錦糸町まで散歩して入った純喫茶のテレビゲーム卓!
更には下町のモツも食わんとな・・・(笑)
(おいおい、見舞いに来たんじゃないんかい!)




結局最後は、日本橋の裏道路上に椅子とワインを出し、「鳥和可」休業日営業で終わった一日でございました。

2階の窓に「計ちゃん」(ダルメシアン)が見えます(笑)




5月30日
久々の荻窪ルースターへ、ミーターズ・セッションです。
病み上がりの加藤エレナちゃん、だいぶ復活です!
ジョージ・ポーター・jr先生を見習ってか、江口弘史さんチョッパー封印の2ステージ。

やはりニューオリンズは最高ですね~
ちなみに、この日に入れた焼酎のボトルは当日中に呑みきってしまいましたとさ・・・



さあて、6月のライブは1本。
6月5日の日曜日、中野ブライトブラウンにて R-50 BLUES PROJECT
18時30分開演の19時スタートです。

ピアノにウシャコダのオリジナルメンバーである若山光一郎氏をお呼びしました。
佐藤浩人、復活ステージです!!
宜しくお願い申し上げます!!!




3月も終了しました!
毎年この時期はDEW DROPPERSのライブや、花見プロレスなど定例宴会が目白押し(笑)でした。
とは言いつつも、DEW DROPPERSライブの後は、やや自粛気味。
そう!金欠です(笑)
最近は他の皆さんのライブに行く回数も減り申し訳ありません。
むかしはライブ行っても1杯くらいしか呑まなかったのに、最近はガバガバ呑むので結構な消費なのです(-_-;)



3月5日

“BERRY伊藤 & DEW DROPPERS”3回目のライブです。

っつうことは、もう3年目ってことか!人生早いなぁ~

衣装も初回にもどってシルバーのキンキラキン。



すっかり年一のツチノコバンドっぽくなってきました(笑)

今回もたくさんのお客様にいらして頂き、感謝感謝でございます。



3月の風物詩のようになってしまいましたが、できれば年に2回は演りたいものですね~

今年も、鳥和可Shawや小町祭り笛コーナーなどバラエティな一夜でございました。

そして昨年に続き、ライブ終演後にLEOさんのバースデイを祝い、小堀正さんの乱入で宴会化したアフターアワーズ(笑)
DEW DROPPERS のライブの時は朝帰り必至であります・・・・



3月12日

R-50 BLUES PROJECTのリハが神田でありました。

まあ、リハの写真なんて無いんですがね・・・。
終了後の反省会会場の写真です。

最近、当バンドのリーダーであるS藤浩人さん(仮名)がヤクを打ってるとの情報がありまして、おお~、佐T浩人さん(仮名)も清原並みになってきたな~、などと思っていましたら、なんと注射針を見せて頂きました!
写真はモザイクかけないと捕まっちゃうので悪しからず。


そして、おもむろに腹を出してぶすっ!と。
ふふふ、腹なら注射痕が見えんから好都合やろ、へへへ。
ああ~~、気持ちようなってきたわ~

昔から酒を呑まない佐藤H人さん(仮名)は、こうして快楽をむさぼっているのありました。
おれは酒のほうがいいや。。。



3月13日
3月は”R-50 SMALL BLUES PROJECT”で2本のライブ。
まずは、出禁と思われていた(汗)阿佐ヶ谷のOILCITY。

2015年6月7日のブログ

喉元過ぎれば何とやら・・・
いつの間にか、ライブ前ホッピー禁止令などすっかり忘れております。
が、「ナカ3杯まで」を厳守!




お店の方に平謝りの中、なんとかステージ終了。

前回は立っていることすら難しかったのですが、今回は最初から座っているので大丈夫です(笑)

二回連続でやっちまったら、抹殺ですよね・・・。


3月19日
この日は吉祥寺「のろ」の40周年記念コンサート@武蔵野公会堂
ここ半年いろいろありましたが、店は小さくなっても老舗には頑張ってもらいたい!

と言いつつ、この日は自分のライブもあったので前半で退場。
加藤マスターの唄が聴けず残念無念・・・



3月19日 その弐
そして速攻で荻窪へ。
19:30からChrlie’s SpotにてR-50 SMALL BLUES PROJECTで出演。
開演ギリギリの到着でした。

今回は1部が私・佐藤浩人・NICK澤野のいつもの3人で。



2部はリボルバー直子ちゃんのボーカルをフューチャー、ドラムにはいからぼーいずの金さんも。
リハなしぶっつけだったのでトラブルも多々ありましたが(笑)なんとかなりましたね~
また企画するのも面白いかもです。



3月20日
そして翌日は六本木のビルボードTOKYO。
外タレではないよ。吾妻光良&Swingin’ Boppersでありました!
去年は私のワイヤレスシステムを吾妻さんに貸したのですが、今回は自前の1万円の中国製で登場っ!
あ、1万1千円だって言ってたか(笑)
ここではアンケートの記載は鉄則!タダ券が当たる可能性大!!ウイリアム・ベル当たりましたし(笑)



開演前の図。

よーく見ると、ステージ真ん中にY川さんの姿が。

さしずめ「Y川治往ビルボードライブ!」ってな感じ。

あ、別に仮名にする必要なかったか(笑)



3月21日
春分の日の振り替え休日。
お彼岸です!墓参りです!。
小平霊園でお参り終了し、嫁と次女はそのまま車でお買い物へ。
私は降ろしてもらい、電車で所沢。
そう!「百味」で1時間だけ呑んで帰宅です。
ささやかな休日の午後の楽しみでした~


3月26日
THE NG’sのリハであります。
何と久々のライブが決まりました!5月14日です!私の誕生日前夜祭です!
パソコンでご覧の方は右のサイドメニューからご確認を!
上部メニューの”Schedule”にも載ってます。

さてこの日のギターも久々のFender Thinline。
JAPAN Fenderですが、ハムバッキング1基とシングルのテキサススペシャル2基搭載で、いろいろなバリエーションが出せます。

ただ・・・Fenderのフレットって、ちょっと長いよな・・・(-_-;)



3月27日
今年もやってまいりました、「奉納プロレス」!
恒例、リングをバックに集合写真。

今年は初参加者も数名。

毎年増殖の一途。



奉納プロレスの風物詩になってしまいました、「”アニキ”KAMIKAZE選手のトイレ上からのムーンソルト」発進前。

缶チューハイはプシュ!っと開けて「いくぞー!」と叫んで飛びます(笑)

4年前のブログではナイスショットがあります!
2012年3月28日のブログ



そしてこれも恒例「試合後のさくら水産」。

今年はザ・グレート・カブキさんも試合出場!
何枚か招待券も頂きありがとうございました!

人がたくさんいて見ずらいですが、私の対面にカブキさんも打ち上げ参加です。


本当に久々ですが、2月はライブがありませんでした。
3月に向けての充電月間というところでしょうか。
最近は疲れが抜けないですしねぇ・・・(-_-;)


2月1日~7日
何もありません・・・
風邪で絶不調でした。
先月末に次女がインフルエンザにかかり、うわっ!やられたかっ!と思ったのですが、熱はおそらく微熱程度。
(測って熱があると、途端に元気がなくなるので基本的に測りません。。。)
毎日早めに帰宅して、家で呑む酒が旨くありません・・・。
従いまして、たいした写真もございません・・・。



2月11日

この日は父親の命日であります。
小平霊園の先に昔からお世話になっている「シャーウッド・ギターワークショップ」があります。
けっこう森の中なんですが、今回はじめて徒歩にて伺いました(笑)




8年前のブログは下記から。
2007年12月9日のブログ
2008年4月20日のブログ
2007年10月15日のブログ
元々、30年以上前にまだ田無のご自宅庭に作業場があった頃に伺ったのが最初。
335は2回出してるし、Rivieraのフレット交換やピックアップ交換等、箱モノの信頼度は絶大です。
この項は久々に単独ブログ書く予定です(笑)



2月13日
毎年恒例の田村光太郎さんの墓参り兼セッションです。
毎年1月ですが、今年はちょっとずれて2月開催で気候もやや温暖。
基本的に A布高校の同窓の方がメインですので、写真はややぼかし気味に・・・
(が、直接の知り合いはノーモザイクっす)




そして恒例の中野ブライトブラウン貸切の会。
無礼講セッションが続きます。
若手の部類に属する(笑)わたしはトップバッター。
最若手の井上大地くんとの2トップ。
小町さん、”E-cHANG”池間さん、上阪さん、というありがちな布陣。

(Photo by 田辺龍ちゃん)



そして後半は怪物セットに駆り出されました・・・

(Photo by 田辺龍ちゃん)



嗚呼、早く2軒目の香港亭へ行きたいよう~

(Photo by 田辺龍ちゃん)



二次会も19時には終了、中央線に乗って阿佐ヶ谷へ帰るA妻さん。
が、そんなに甘くはありません。
私とK町氏、K阪氏、I上D地氏、用もないのに阿佐ヶ谷下車(笑)
「お、おれはもう帰るんだ~」と叫ぶA妻氏を無視するかのように
「さ、呑み行きましょ、行きましょ」
「お~っ!これは呑みのパワハラじゃないか~!!」
で、まぁ呑んじゃう訳ですね(笑)
翌日、たいへんな二日酔いに悩まされたという話を後日聞かされました。。。




K町氏&K阪氏、阿佐ヶ谷下車で呑みに行ったものの、ほとんど口をつけずに突っ伏してしまいました。

K町氏はその前の香港亭でも既に前兆が見受けられておりましたが、その証拠写真です。




2月19日
3月5日のライブのために、パーカッションをオークションで落札しました(100円也)。
おそらく1930~40年代くらいのヴィンテージです!
しかしながら、でかくて重いのと玉の滑りが悪く、爪が破損しそうなので、残念ながら今回は昨年購入した小さ目のもので乗り切る決心をした次第。
あ、このパーカッションですが、計算も出来るらしいです(笑)




2月20日
そのDEW DROPPERS のスタジオリハでした。
終了後、岡地さんはJIROKICHIのライブに出演。
吾妻光良さん還暦手前の記念ライブであります。
我々もリハが始まる前のJIROKICHIへ行って、ちとご挨拶するもその後は高円寺の居酒屋へ。
ライブが終わった頃にまたJIROKICHIへ呑みに行くという、友達がいの全くない酷い奴らであります。




2月21日
こんどはおふくろの墓参りで、またも小平霊園へ。

またしても、遠回りの帰宅。
吸い寄せられるように、所沢の「百味」にて軽く一杯でございます。
ウーロンハイ、¥220の魅力に勝てず。。。


2月27日
三鷹バイユーゲートの10周年記念コンサート観戦。
隣の焼肉屋のもらい火で半壊状態から、ついに復帰!めでたしめでたし&再出発の門出です。
会場は吉祥寺のCLUB SEATA。
いつも北口いせやで呑みながら、むかいのハコは何なんだろう?と思ってた場所でした。
そして、閉演後なんとなくズルズルと参加してしまった打ち上げ会場の写真です。
ちなみに隣にいる岡地曙裕さんは、このあと中野の漫画喫茶へ向かいましたとさ。
ちなみにその隣にいる吾妻光良さんは、50歳代最後のライブでありましたとさ。。。