カテゴリー「When you got a good friend (友人の項)」への投稿

おっぱい刺しお盆休みである。
昨日の昼間は墓参り。
そして夕方には新宿で高校1年時のクラスで仲が良かった、I田くん、S藤くんとの再会である。

場所は「思い出横丁」の『きくや』
この店も久々。
写真は美味の「おっぱい刺」。
レバ刺し
思えば、私の結婚式以来18年ぶりだ。
この歳になると、無理してでも会っておかないと、二度と会えないような状況もあるわけだし。
この二人の偉いところは、いまだにブラック・サバスやらモントローズの話で無茶苦茶盛り上がっているところだろうか。

卒業から30年以上、それぞれにいろいろと苦労しながらも今がある。

ヒロシS藤くんは「ヒロシ」と呼ばれていた。
実は今でもギターは弾いているそうだ。
が、対バンの申し入れは軽くいなされた。

なぜか「ひし形の男」というニックネームがあったが、いったい何の由来か誰も見当がつかず。

アキちゃんI田くんはだいぶ脱毛のあとが見受けられたが、18年前もかなりきていたので想像はついていた(失礼!)。
彼は女子が羨ましがるようなサラサラヘアーだった。が、本人は堅い髪の毛に憧れ「ゲイリー・セイン(今は亡きユーライアヒープのベーシスト)みたいになりたいと、シャンプーをやめ、日夜普通の石鹸で髪の毛を洗っていたのを思い出す。
実は彼とは小学校からの同級生で、家もすぐそばで良くお互いの家を行き来したもんだ。
以前、彼の逸話は紹介済みであるが(逸話1逸話2)この日もなかなかに話題の中心人物であった。
卒業後はまさに企業戦士ともいうべき姿で30年間多忙に多忙を極める毎日を送っていたが、突如昨年会社をスパッと辞めてしまい、中年ニート生活満喫中である。

きくや前にてI田と出だし、かなり雄弁に色々と語ってくれたI田くんであるが、徐々に過去の暴露話になるうちに(まあ、たいていは女の話だわな)元気がなくなり、酒がまわり、ヒロシが優位に立つ。
が、某個人名を出すと途端にムキになって怒るヒロシの姿など、お互い傷のなめ合いが進む頃には店は2軒目に移り、飲酒7時間目に突入していたわけである。

無事に帰宅できただろうか?
別れた後に送ったメールに返事が来ない・・・・。

1992.5.10.で、おまけ。

ヒロシが「オレが持っていてもしようがないから」と言っていただいた写真とネガ一式。
そう、18年前の私の結婚式の写真だ。

マイクを持ってくれてるのは岡地曙裕さんですね。
紙を持ってるのがLEOさん。
私の後ろで見えないけど、小安田憲司さんや松井仁さんもいます。

紙に書かれた内容通り、 “Ain’t nobody’s business” を歌ってるんだな。

1992.5.10._2そして、二次会の「吉祥寺 のろ」。
吾妻光良さんも牧裕さんもいますね。

あ、かつての「のろ」は閉店したけど、小さな店になって再オープンしましたよっ!

吉祥寺「のろ」HP

正月もそろそろ終わりそうな今日この頃。
実は、ちょっと気になっていた不祝儀な話題を・・・・・。

昨年の暮れのこと、一枚の喪中はがきが届いた。
差出人はY山さんという方。
てっきり、嫁のちょっと遠い親戚筋の方かと思い(同姓の方がいたので)、なんとなく文面もよく読んでいなかった。
で、年末ぎりぎりになって年賀状の作成に着手する際、何通か届いた喪中はがきをチェックして気づいた。
Y山さんとは、全く見ず知らずの方だった(ひょっとしたら数回お会いしてるのかもしれないが)。
「生前は義父がお世話になりました・・・云々・・」とあるが、その義父の方の名は「Y北滋孝さん」であった。
夫婦連名なので、ご主人から見て「義父」なのであろう。
ということは、「Y北さん」の娘さんがY山さんの奥様ということだ。

ちょっと「Y」の字が多くて判りづらいと思う。申し訳ない。

「Y北」さん、もう17年ほどお会いしてない。
西荻窪にあった「おふくろ」という小さな居酒屋のオヤジであった。

話せば長くなる。
まだ私が20代のころ、西荻窪に「Tia Juana (ティア・ホアナ)」という、濃いレコード店があった。
実は、この店でジャンプ、ジャイブ、果てはJUJU Music やリンガラまで洗礼を受けたのである。
あっという間に常連になってしまい、大学の授業を途中で抜け出して毎日のように行ったものである。
店主のI田さんは豪快な方で、店内で宴会になってしまうことも多々あり。
20時の閉店時間と共に客で来ていた者と一緒に、夜の街へ繰り出す毎日であった。

いろんな店を教えてもらったが、一番よく行った店が「おふくろ」。
カウンターに5、6人。テーブルがひとつだったか、ふたつだったか(記憶が曖昧)。
ほとんど使われないような4人席の小上がり。
店名とは裏腹に、カウンターの中を仕切るのは、たぶん当時60歳すぎくらいの白髪のオヤジさん、 Y北さんだった。
まだ若かった私は、飲み屋といえば「安くて量が飲める」というノリだったが、この店ですっかりカルチャーショックを受けてしまう。
旨い日本酒と、旨い料理である。
当時はまだ日本酒ブームなんてなかった。
まだ、特級酒・一級酒・二級酒、の時代だ。

そこで、旨い日本酒をさんざん教えてくれた。
旨い刺身、料理も抜群だった。
忘れもしないよ「牡蠣の柚子釜」。


25年前、「おふくろ」の前で
たぶん25年以上前の写真だ。

よくあったもんだ。

もちろん、若いし・・・・・。

全くブルースやソウルからかけ離れた場所だったが、オヤジさんの昔話やうんちく話を聞くのが、とても楽しくてしようがなかった。
いつしかY北さんのことを、「おとうさん」と呼ぶようになり、私にとっての大切な隠れ家的な店となったのである。

西荻窪は南口の「おふくろ」、北口の「眞砂」が旨さでは双璧だったが、いまは共にない。

ここで教えてもらった、庄内の「栄光富士」という酒蔵の酒は、私にとってフェイヴァリット日本酒である。
「栄光富士」の「古酒屋のひとりよがり」など飲むと、あの頃の「おふくろ」の思い出が溢れ出してくる。
マニアックな旨い酒を、全く自慢することもなくさりげなく飲ませてくれる店。
あんな店は、もう巡り合えないだろうな。

Y北さんには、私の結婚パーティー(これも、もう今は亡き、吉祥寺「のろ」だった)に来てもらった。
最年長者なんで、ステージの上で挨拶してもらったなあ。
最後に「おふくろ」へ行ったのは、うちの嫁と岡地夫妻とだったような記憶がある。
奥の小さな小上がりで飲んだ。

体調を崩して、店をやめたという話は聞いた。
不義理なことに、この十数年は年賀状のやりとりだけ。
それも、ここ2,3年は送るだけになってしまい、少々心配していた。

1年半くらい前のこと、西荻窪界隈ではまさに地酒のオーソリティである「三ツ矢酒店」へ栄光富士を求めに行ったときのこと。
たまたま、大旦那さんが応対してくれたので「おふくろ」の話をしたら、「ああ、Y北さんね、まだ元気だよ。たまに来てくれるしね」とのことでホッとした。
また来たら渡してほしいと、名刺を置いていったのだが、果たしてY北さんの手まで渡っただろうか。


今の「おふくろ」
その時、「おふくろ」の店の前まで行ってみた。

なぜか、まだあの時のまま(住居は別だった)。

まさか、もう一度復帰するつもりだった?
そんなことはないと思うけど・・・・・・。


捕鯨禁止になって、鯨が食べれなくなる、というとき
「よし!うちで鯨パーティーやりましょうか」
と言ってくれた。
確か、7,8人集めて店は貸切。
料理代として一人3,000円しか取らなかった。

そして、「伊藤さん!見てくださいよ、この尾の身のきれいなこと!」
調理場のまな板の上、これからさばかれて刺身となる鯨の尾の身を前にして、嬉しそうに包丁を持つおとうさん。
あんな尾の身はこれからも食べれないと思う。

ありがとう、Y北さんのおかげで楽しい酒を飲めるオヤジになったよ。

毎年、正月と盆の時期に高校時代の同級生とオヤジセッションを行う。
最近、ドラムのE澤が忙しいようで、ドラムレスもしくはスタジオ無しのただの飲み会になることも多かった。

ところが昨年、彗星?のように現れたのが、小学校からの同級生である tochi さんであった。
彼は、ギタリストだったがそのギターを娘さんに譲り、ここ半年ほどドラムの練習に励んでいるとか。

と、いうことで久々のバンド形式になったので、今年の正月は吉祥寺でぱぁーっっと!やることになったのである。


tochi & S @天狗1月3日、早々と14時半に吉祥寺に集まったのは、tochi さん&S塚氏。

「天狗」で昼間から酔っ払う。


私はドラマーですっさてさて、16時にはOoe氏も登場。
おおっ!
tochi さん、ドラマーっぽいじゃないの。


35年ぶりのCREAMマーシャルと335の組み合わせで、CREAM の解散コンサートを意識してみました。

なんと!エフェクターなしで歪ませると、まさにあの音ではないかっ!
思わず Sunshine of your love を35年ぶりに!


T氏登場!そして!私の隣にいる爺さんは、高校の同級生である T船くんだ。
現在、彼は某区役所勤務。区民の皆さんの税金で食わせてもらっている男だ。

ちなみに本当に孫がいる。

しかも、ダジャレのセンスは30年前から変わらない奇特な男だ。
ダジャレ・・・・・質より量で勝負される方である。

ちなみにちなみに数年前、一緒に呑んだあと雨の井の頭公園で泥酔して遭難した男だ。


@つぼ八18時過ぎから、今度は「つぼ八」にて呑む。

酔っ払ってセルフタイマーは、ちと厳しかったか。

懐かしい話に酒はすすむ。
たぶん、720mlのボトルは5本は呑んだと思う。

話題の90%は下ネタであったような気もするが。。。。。

酔っ払いの電話にお付き合いいただいた スミレ姐さん、ご迷惑おかけしました。。。


チャーシュー麺最後の締めはラーメン!

これがいけなかった・・・・・・・・。

もう、とっくに日付は変わりつつあったもよう。

tochi さん、池袋にて遭難、いやいや終電間に合わなかったもよう。
新年早々朝帰りですね。

今頃、家庭争議になっていることかと思われます。


残したチャーシューで、Ooeさん!チャーシュー麺を注文して、チャーシューを残しちゃいかんね。

11/7上野ライブNG’sのくどー隊員と師弟関係(?)であったことが判明した、すみれ姐さんから写真をいただきました。

ありがとうございます!

昨日のブログでは、だいぶモザイク処理も軽くしましたので、素顔のすみれさん登場までカウントダウンでしょうか。


with  くどーちゃん
その、くどーちゃんとのツーショット。

さぞかし出来の悪い工藤少年であったかと思われます。

出来が悪いからって、ボコボコにしてないですよね・・・・・。


with おおえちゃんやはり同級生としては、クラスメイトのツーショットは逃しませんね。

今回、妙に色気づいた大江隊員とのショット。

大江さんは高校時代に、前の席に座っていた Y垣クニコさんの背中のブラ線に欲情していたという有名な話がありますが、これは事実です。

いとう&いとうそして・・・・・・・やはり・・・・・・・イトウさんとのショット。

すみれ姐さんもこの組み合わせショットを狙ってましたね。
Wイトウ、です・・・・・・。

「代々木つちやのナンちゃん」に続き、「上野公園のイトウさん」というアイドルがまた一人誕生してしまいました!


30年前の座席表【驚愕の事実が!!】

そして・・・・・・やはり・・・・・・。
昨日のコメント欄にもあったように、すみれ姐さんの教育実習に行った中学に、くどーちゃんがマセたガキとして在籍していたという証拠品が!

物持ちの良いすみれ姐さん。記念に持っていたのでしょうか?
30年前の某中学3年1組の座席表だっ!

くどーさん、間違いなくいました。前から4番目に。

すみれさん、これからは「くどーっ!!」て、呼び捨てOKです。


昨日は高校時代の同級生、卓くんこと鈴木卓さんの指揮するコンサートへ。
場所は武蔵境の「スイングホール」。
うん、これは近くて良い!
同級生の、すみれ姐さん(仮名)、マッチさん(仮名)と、武蔵境駅の北口にて待ち合わせとのことだが・・・だれもいない・・・。
ちょっと、携帯のメールをやり取りしてみる。

す「あのね、妹が先に改札に着いてるはずだから」
私「は?い、妹?」
す「あ、私みたいな顔してる人」
私「え?私みたいな顔??い、いないよ・・・」

どうやら中央線高架工事で、南口に行ってしまったそう。
後ほど合流しましたが・・・・・たしかに似てます。
そして、すみれ姐さんのご主人とも初顔合わせ。
噂では、かみさんに内緒で次々とバイクを購入、私の安物のギター集めをはるかに超越するご主人だ。
なんだかとっても気が合うかもしれない。。。。。

会場に行くと、高校当時コーラス部であった3年のクラスメイト、S崎さん(仮名)とまさに32年ぶりのご対面。
「あ、伊藤君のブログ見てるよ~!」
おおおおお、伊藤ブログ、密かに蔓延しているもよう。

BRAZILSの、現在とても大きくなったチカミさん(本名)も息子さん同伴で。
2年の時の同級生、Y野さん(仮名)も娘さん同伴で。懐かしい~。

S崎さんの話しでは、私が1年生の時の担任、K原・・・ま、いいか、神原先生が、洗足学園の短期大学で学科長をされているとのこと。
学科長といっても、短大は学部が1つしかないようなので、学長みたいなものではなかろうか。
ネットで調べたら、お元気そうな写真があった。
神原先生、やんちゃな新入生に手を焼いたことだと思います。
でも、とてもいい先生でした。
「伊藤、お前は入試で〇番の成績だったんだぞ~、どうしたんだ!」
どうも、私は入試でベスト5に入る成績だったそうなのだが、入学した途端「わっはっは!一度最下位まで落ちればあとは楽なもんだ!」と勝手に思い、最初の中間試験の朝からホワイトの小瓶を飲みつつ、適当に答えを書いていったら、学年で恐ろしく下位になり、神原先生の嘆きを聞かされたのである。
(ただ、目標全科目最下位だったのに、私より下位がまだ数名いたのには、ちと驚いた)
ちなみに、一度落ちると這い上がるのはたいへんで、この後の3年間で中の上程度がいいところであった。人生甘くない・・・・・。
あと、神原先生から本を借りたことがあった。
「対位法」の専門書である。
クラシックは正直好きではなかったが、フェリックス・ババラルディが「対位法」の理論を用いて、Cream や Mountain などの曲作りを行ったり、初期のディープパープルなどはモロにバッハの手法を用いていたりしたので、少々勉強する気になった。
結果・・・・・勉強しなかった・・・・・。
友人に「たいいほう」と言っても「体位」という文字を想像するらしく、私の研究熱心さは誰にも知られることは無かったのである。
高校1年で「四十八手」とか研究してどうするっ!!

話がそれました。。。。。。


すみれ姐さん
会場前の看板を撮影するすみれ姐さん。

けっこうデジカメに凝っているようだ。

こんな人がブログ書いたりすると、ちと怖いかも。

Mr.Taku
コンサート開始!

K高校ご一行様で、客席最前列を占めてしまった。

たっくん、プレッシャーに全く臆することなく。
さすが!

Mr.Taku_2
なんだか、とてもカッコいいんですが。

Mr.Taku_3
やっぱ指揮者は、背中で見せますね。

少ないリハで、ここまで持って来たのはさすがです、

Mr.Taku_4
タクトもしなっております!

Mr. Taku_5
ちょっとアップに。

意外と動きが早いので、撮るのもたいへんなのよ!

Mr.Taku_6
お疲れ様でした。
1時間半以上のステージ、予想に反して全く眠くなることはありませんでした(失礼!)。

やはり、生はいいですね!

Mr. Taku_7
この清々しい姿を見よ!

お見それしました。

記念撮影最後は、K高校同窓会よろしく記念撮影。
モザイクは・・・・えーーーい!今回はサムネイル拡大せずの大盤振る舞い!!
クレームはお早めに・・・・・・・・。

卓くんの右隣の奥様。。。。20歳年下の奥様。。。。。。
今回、これが一番の目的だったりして・・・・・。
い、いかんよっ!我々が高校卒業する頃、まだ生まれてなかったのよっ!!

え~、なんとも羨ましい男である。


コンサートも終わり、向かいの〇イヤルホストにて軽食、ならびにミニ同窓会。
強引に、たっくん夫婦もお誘いした楽しい一夜であった。

また、呼んでください。
ちなみに、今年は3年ぶりの同窓会やりましょうね。


プログラム
それでは、本日の演目でございます。

先日、中学3年生の長女がビジュアル系のバンドのコンサートに出かけた。
父親と、この趣味の違いは一体なんだ!?
で、彼女が出かける前に洗面所から出てきたその姿にビックリ!
おっ!おっ!おまえ、いつから金髪になったーーーーーーーぁ!!!

真っ白のドレス、ロリィタファッションっていうんですか?
おまけに、まさか、カツラまで被るとは・・・・・・・・。
しかも、その服を夜鍋して縫い上げたのは女房だ。

う~ん・・・・・と思いながらも、
8cmヒール、バギーパンツ、パーマ、剃り込み入り、ショートホープくわえてサンシャイン・オブ・ユア・ラブを演奏していた私も中学3年生だった。
あまり人のことは言えない。
と言うか、普段は全然マジメな中学生なんで、余計に言えない。

で、その剃り込み入り写真はまだまだ公開しない。
長女の金髪写真は、親子の縁を切られること間違いなしなので、絶対に公開はしない。

ちょいと歳をくって、高校3年生の時の話。
さて、前回のブログに登場した “BOBO & BRAZILS” なるバンド。
ちなみに私は小学生からの大のプロレスファンである。
クリスマスコンサートの写真がある。
スキャナーが調子悪く、写真をデジカメで撮影したため少々写りが悪いのはご勘弁を。
ちなみに、32年前。
現在は見る影もない別人なので、モザイクなしだ!


BOBO & BRAZILS場所は所沢のヤマハのリハスタジオ。
かなり広い部屋だったので、おそらくクラスの30人くらいは集まったのではないだろうか?

左の女性、いや女子3名が BRAZILS です。
(左より、クニコ姐さん、ムラコ姐さん、チカミ姐さん)
ちと、影になってますが、そのうしろに、すみれ姐さんのお姿が。


BOBO & BRAZILS 2なんて若いのでしょうねぇ~。
左は涙ながらにベースに転向させられたOoeさん。
ストラトを弾くのは、どんなギターも三味線のような音色に変えてしまうS塚さん。
後ろのドラムは、興奮すると鼻血を噴出するE澤さん。

今は亡き、ギャランのチェリーレッドの335モデルを弾くのは私。
あ、この時もオフクロのブラウスを勝手に着てるわ。


Ooe shout可哀想な Ooe氏のために彼のソロボーカルをフューチャーした・・・・・・・・・2度と弾くことはないと思うが、スモーク・オンザ・ウォーター。

ちょっと・・・・個人的には人生の汚点だ・・・・・・。

ちなみにオープニングは、ブルース・プロジェクトのライブバージョンで”Louisiana Blues”。
違いましたっけ?


1回きりの BOBO & BRAZILS の晴れ姿である。
このとき、他にもA沢くんとT船くんのフォークデュオが登場。
鈴木卓くんもフルート吹いたっけ?
BRAZILSのクニコさんと、T村さんのピンクレディーが実現できなかったのが残念。
“WANTED” コピーしたのにぃ。。。

大学入試直前にこんなことやってりゃ、桜散っちゃう人が出てもおかしくはないよなぁ。

本日のおまけ

人の写真を見て、クスクス笑っていると思われる tochi さんのために。
この1年前、田無市民会館でのキミの勇姿だ!!
Mr.tochi 

昨日、高校の同級生、S塚氏がまたも上京した。
彼のことは、こちらのブログにて再度ご確認ください。
先月のお盆休みに上京(帰郷)したばかりなのに、会社の会議で再びやって来たのである。


Mr.S塚@東京フロム尼崎のマクヴァウティ大和氏と飲むときも東京駅の八重洲近辺だが、S塚氏とも前回同様「紅とん・日本橋本店」である。
やはり「やきとん」&「ホッピー」というのが、手ごろに早く酔えて良い。
前回からモザイクなしになったS塚氏。
「高校の同級生たちにメールを送る」の図。
ちなみに手さばきは、かなり遅い。。。。。。
相変わらず、神戸界隈で怪しいオヤヂたちとセッションを繰り広げているそうだ。


高校3年の時、クラスでバンドを作った。
もう、10月頃だったと思う。受験目前である。
クラス内バンドなのに、よく楽器のパートが揃ったものだ。
というか、生ギター派のOOEさんは強引にベースに転向させられたと言っても過言ではなかったか・・・・・。
いまでは、すっかりベース暦30年超であるが。あそこで、人生狂ったな。。。。。
ドラムも間違いなく初心者であった。「リズムの止まるドラマー」という凄いニックネームだった。

当然、ブルースバンドではない。
クラプトンあたりを楽しむって感じだ。

S塚氏は私同様ギターを弾いていた。

そもそも、なぜバンドを?

夏休みに、9月の文化祭(当時、母校は「文化祭」ではなく「学芸発表会」という陳腐な名称であった)にむけてのクラスの出し物である、8ミリビデオの映画作成で盛り上がった。
あ、8ミリと言っても、今の8ミリビデオではない。映写機と言ったほうがわかりやすいか?
これが終わって、さぁ!受験勉強だ!と、ならずに、なぜかキャンプに行った。
そこで盛り上がって、バンド作ろう!という話になったと記憶している。


32年前の高校生これが証拠写真。
左から、S塚・私・OOE。
OOE氏、数少ないギターを弾く写真でもある。

ちなみに、場所は正丸峠。


この3名に、ドラム初心者のE。
キーボードに、スミレ姐さん(仮名)。

バンド名は、 “BOBO”。

コーラスに女性陣3名を入れて、この3名が”BRAZILS” 。
彼女たちの怒声、いや、さわやかな歌声が、なかなかに耳に突き刺さったものである。

都立K高校3年7組に、 “BOBO & BRAZILS” というバンド誕生である。

単純に、クリスマスコンサートをやろう!という集まりであったような気もするが。

ちなみに、翌年の春、S塚氏とOOE氏に届いた便りは、「桜散る」。
当然と言えば、当然か・・・・・・・・。

追記
そういえば、マクヴァウティ大和氏、最近静かですね。
金欠のため、大阪へとんぼ帰りなのでしょうか?

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