カテゴリー「When you got a good friend (友人の項)」への投稿

Rooster@荻窪昨夜は旧友、小安田憲司氏のバンド “SUN ALLEY” のライブを見に行った。
久々に見た68年製のES345(335仕様)。すっかり塗装も剥げ落ち貫禄充分。維持するためのメンテナンスにだいぶお金もかかっているらしい。
小安田氏自身も貫禄充分。考えてみれば、この道30年のベテランですからね。
25年ぶりに生で聞いた “Don’t touch me, baby”。感慨深いですね。
いつか “Gamblers blues” やらないかな。むふふ。
このバンド、厳密にはベースの江口弘史氏がリーダーらしい。
その江口氏とは飲み屋で数回お会いしただけで、プレイは初めてお目にかかった。

Sun Alley黒いジャズベースをストラップ短めにしてハイポジションに構えるスタイル。
いやぁ〜、ちょっとびっくり。日本人のベーシストもこんなに高いレベルになったんだなあ。というか、ちょっと日本人離れだ。
それもそのはずで、15年くらいアメリカでプレイを続け、あのメイビス・ステイプルズのバンドメンバーとして来日(?)してるくらいだからね。
これほどのオールラウンドプレイヤーでありながら、きちんとしたシャッフルを弾ける人はなかなかいません。
ステージ上から「伊藤さん、たばこ1本ちょうだい」と客にたばこをせがむプレイヤーもなかなかいませんw


Sun Alley 2 山崎美樹さんは日本のブルースドラマーの重鎮。30年以上続く “ローラーコースター” で活躍を続けている。
その昔、小安田氏と組んでいた”Little Boy Blue” で岡地曙裕氏のトラをやってもらったこともある。
当然、ご記憶にはないでしょうが。
相変わらずシャッフルの切れ味は他の追随を許さない。脱帽。
須川光さんも初めてだが、かつて “めんたんぴん” のキーボードプレイヤーとして活躍されていた方。
8割オルガン、2割ピアノ、といった感じ。ジャズ的な要素や、ファンキーなエッセンスもあり、すばらしいです。
1曲、アップテンポ気味の “Many rivers to cross” をいい感じで歌ってくれました。


メンバー各人の力量は文句無し。
バンドのグルーブ感もハイテンション。
まだの方は一度ご覧ください。決して損はいたしません。

バンドブログ(NG’s)もご覧ください。

ピンクの象@西荻窪高校〜大学時代と、阿佐ヶ谷、西荻窪はよく通いよく飲んだ。
久しく行っていないと当然街並みも変わり、よく行った飲み屋も消えていたりして淋しい。
久々に訪れてみた。
西荻窪で岡地曙裕氏と待ち合わせ。ちょっと早めに着いたので南口の小さなアーケードへ。
まだあった。ピンクの象。20数年前から間違いなくあった。
老朽化に伴い何度も上塗りを重ねたのか少々厚化粧の風情であり、更には電飾を体に巻き派手めな姿で吊るされていた。
東京オリンピック誘致に一役買っているようだ。

焼き鳥 よね田合流後、ここは安くて美味いぞと勧められ入った店は小さな焼き鳥や。
よね田」というお店。
狭いほうのカウンターへ座ってしまったヘビー級2名。
引き戸の入口を開け閉めするたびに椅子を引かなければならず、座り位置の選択に失敗。
ただ、本当に安くて美味い。
つくね、はつすじ、これは本日の大収穫。
いまどき焼き鳥80円〜という店も少なくなった。
そして酒も安い。
「京舞妓」一合280円也。
安酒のくせに、さっぱりしていてクイクイ入ってしまう。

うねり亭さて、軽く気持ちよくなってきたので小安田憲司氏に電話。
うたた寝していた小安田氏を起こし、阿佐ヶ谷で待ち合わせる。
行った店が沖縄料理の「うねり亭」。
噂は聞いていたが、初めて入る。
沖縄ファンの私ではあるが、なかなかこの手の店に入ることも少ない。
あぁ!久々のジーマーミ豆腐!
途中からベーシストの江口弘史氏も加わり盛り上がる。
そして帰宅する電車の時間も危うくなってきたところで解散。
本当はバレルハウスへ行こうと思っていたのだが、運悪くお休み。
残念だが、次回のお楽しみにとっておこう。

すっかり会社員になった15年ほど前の花見の話。
以前から会社のみんなで「花見」に行きたいね、などと話はしていたのだが、3月末から4月の一週目までは準繁忙期でとても早あがりで桜見物などできる状態ではなかった。
しかし、その年は「よし!なんとか皆で協力し合い、今年こそはお花見決行だ!」と盛り上がった。

当時、私は田無(現西東京市)の営業所長だった。場所は当然「小金井公園」。
決行日は金曜の夜。これは間違いなく混むはずだ。
当日の昼、一番若い社員のO場くんに漫画本数冊と、ゲームボーイを手渡し、「いい場所を確保しろよ!」と場所取りを命じた。

仕事も順調に進み、夜7時頃には全員参加で初の花見が開催された。
最初は慣れない雰囲気に地味な宴会の開始だったが、次第に盛り上がり、野外で開放的なことも手伝ってか酒のピッチはどんどん上がっていく。
酒が切れてしまい、近所の酒屋に焼酎の一升瓶を買いに行かせるも、その一升は10分で空になる始末。

もうこうなると訳がわからない。
それまでの人生70年間、ほとんど酒を飲まなかったという業者のY和さんもへべれけに酔い、K子ちゃんは公衆便所に入ったまま出てこないので、外からがんがん壁を楽しそうに叩くやつら、アルバイトのS訪くんは私の4の字固めの犠牲になり泣き叫ぶ。阿鼻叫喚、ゲ〇の嵐。
泥酔して動けなくなったやつのために、家まで帰って車に乗ってくるやつ(彼も泥酔)まで現れ、一歩間違えばたいへんなことになっていたかもしれない。

眼鏡がなくなったやつ、財布をなくしたやつ、当然ゲームボーイは行方不明。
我ながらよく帰れたものだ。

前出のK子ちゃんは、自宅のトイレで吐きながらタオルを一緒に流して詰まらせ、数万円の修理代を支払ったという。

翌年、また小金井公園の花見は実施されたが、とても地味で寒い宴会に終始した。
そして私は国分寺の営業所へ転勤となり、その後二度と花見は行わなかった。

「命賭け、死ぬ気でのぞむ、小金井公園」
またまた、字余り・・・。

1回だけ盛り上がりに欠けた「花見」があった。

明治通り沿いの「daDA」という喫茶店はたまり場であったが、突然「今年はまだ花見をやっていない!」という事実に、そこにいた4名で急遽「戸山公園お花見ツアー」を開催した。
並びの八百屋からダンボールを調達し、一升瓶500円という極悪ワインを持って一行は戸山公園へ夜桜見物へ。
口の周りに髭をたくわえ、髪の毛はボサボサ気味のK出氏がダンボールを持って歩く姿は、まさに本物の住所不定者だった。

で、公園へ到着するも・・・・・「桜」がない・・・・。厳密に言えば、もう桜は散ってしまっていた。
ここまで来たら後へは引けぬ。花見強行!
むさくるしい汚い男達が、ダンボールを敷いて一升瓶のワインを飲んでいる姿は、花見とは程遠いものが。

すると・・・・突然現れた会社帰りの人たち多数。我々を見て見ぬふりをしながら冷たい目線を落とし横を通り過ぎていく。
こ、ここは、戸山ハイツへの裏道であった!
「まずい!こんな格好で這いつくばって酒を飲んでいる姿は、ま、まさに本物と間違えられてしまう!」
機転を利かせたA妻氏が、わざと大きな声で
「い、いやぁ、まさか桜が散ってしまっているなんて思わなかったよなぁ!なぁ、なぁ、なぁ、K安田くん!」
「は、は、はい、そうですね、そうですね、そうですね、そうですね」

我々は仕事帰りと思われる通行人が通るたびに、このような会話、というか言い訳を、ちゃんと聞こえるように大きな声で言い続けなければならず疲れてきてしまった。
しかも安物のワイン。
「こんな薄いワインじゃ、酔いもまわらん!」

と、我々も帰宅の徒に着くため立ち上がると・・・・・お、おや?ふらふらふら・・・・。
これが、安酒の悪酔いと知るのはこの後のこと。
なんだか突然に酔いがまわってきて、更にブランコなんざこいでしまったもんだから、インスタント酔っ払いの出来上がりである。

ヨロヨロと歩く4名。
坂道の横の一段高いところに寝そべったK出氏は、約1mほどの高さからドタッと転落。一瞬動かなくなったが、むっくり起き上がり命に別状はなく一安心。

「葉桜の、下で虚しい、ブルースマンたち」
またも字余り・・・。

そろそろ、入学式の時期だ。
入学式といえば「桜」。
私の事務所の席の後ろ窓から、向かいの中学校の正門が見えるが、ここ数日の雨や風で「桜」は半分くらい散ってしまった。
満開の「桜」の木の下で記念撮影できないのは、ちょっと可哀想。

「桜」といえば、当然「花見」。日本人は「桜」を見ながら、という大義名分の下で酒を飲むのが好きだ。

子供の頃はよく多摩湖へ「花見」に行った。
町内会の行事である。
いまでは「町内会」の存在自体が珍しいのかもしれない。
現在住んでいるところも、ごみ集積所の管理を順番に行うだけで、町内会は存在しない。
町内会のみんなで多摩湖まで行って桜を見るなんて、古きよき時代だ。

それから十数年経って、バンド関係の連中10人ほどだったか、千鳥ヶ淵へ2年連続で「花見」に行ったことがある。
たしかA妻氏を筆頭に、早稲田のロッククライミング関係のメンバーだったはず。
まぁ、花見をしているほとんどの人たちがそうであると思われるが、酒を飲んだ記憶はあっても「桜」を満喫した記憶はさらさら残っていない。
それにも懲りず、翌年もこの企画は続いた。
あの人混みの千鳥ヶ淵にも関わらず、前年とまるで同じ場所を確保できたという奇跡は覚えているが、それ以外は外で酒を飲んだという記憶しかない。悲しい・・・。

その翌年か?数年後か?場所を井の頭公園に変えて「花見」を行ったことがある。
この時は「いちおう学生」の私と「職業はドラマー」のO地氏。ほぼ自由人のこの2名で場所取りを行なった。
なかなかの好天に恵まれていたような気がする。
この二人に場所取り係を任せたのは大間違いだった。
昼過ぎに一升瓶数百円の日本酒2本を抱えて到着したが、

「いやぁ、いい天気ですなぁ」
「桜も満開。これは酒が進みますなぁ」
「みなさん集合するまでまだ時間がありますが」
「まあ、軽くちびちびと飲んでますかぁ」
「それはいい。でもあんまり飲んじゃいけませんよ。はっはっはっ」

皆さんが集合し始めた夕方頃には、すっかり2本とも空になってしまい、いったい誰がやってきたのか断片的な記憶しか残っていない。
たしか21時過ぎにはお開きになったはずだが、気づくと豊田駅の寒いベンチに一人。もう23時頃だった。

「酒好きに、花見の場所取り、やらせちゃいかんぞ」
字余り。

28
2月

義太夫の部屋

   Posted by: Masazumi Ito   in When you got a good friend (友人の項)

ネットというのはやはり凄いもので、平気で何十年も会っていない友人、知人とバッタリ出くわしたりして、なかなか驚かされる。

昨日、あるコミュニティ、というか mixi なんだけど、その中で「義太夫」なるホントにわかりやすいハンドルネームで書き込んでいる人を発見した。
思わず、
「ぎ、義太夫さんだぁ!私、大学のサークル時代、義太夫さんの1年後輩で随分といじめられました。」と書いたら
「うおおお!凄い人来ちゃったな」と早速コメントが帰ってきた。

義太夫の部屋「グレート義太夫」氏。たけしさんが命名されたんだろうが、言い得て妙な芸名だ。
プロレスファンの私としては、往年のグレート・アントニオ、グレート・東郷、などを思い出す。義太夫さん、最近は糖尿病でだいぶスマートになられたが、かつての風貌は、やはり「グレート義太夫」だ。
芸名は凄いが本名はすごくかんたん(失礼)な名前で、私としては「S木さん」と言ったほうが馴染んでしまう。
大学のサークルの1年先輩で、元々ギタリストだったらしいが私が入部したときはドラマーだった。右腕をタメを効かせながら振り下ろす、その独特のドラミングは今でも覚えている。私はどうしてもブルースがやりたくて、1年で退部、その後あちこちの大学のサークルに顔を出しながら腕を磨くようになり、すっかり母校に行くことが少なくなってしまったが、あるとき荻窪のスタジオで義太夫さん、MABOさん達とセッションしたのは今でもテープが残っている。その後、水道橋あたりのスタジオでバッタリ会ったのが最後。たぶん25年は軽く過ぎていると思う。
お昼のテレビ番組(たぶん「笑ってる場合ですよ」)で、ビートたけしさんがバンドを引き連れて歌っているのを見て、「あ、妹尾さんがハープ吹いてるよ。え、えぇ〜っ!このドラムはS木さんじゃあねぇかぁ〜?」と驚いた。そのうちS木さんは、あっという間に「グレート義太夫」になっていた。

最初の話に戻るが、mixi のコメントのあとに非公開でメッセージをやり取りさせていただいた。
当時の私の同期の名前を並べて、「みんな元気かなぁ」と。
「ボケちゃう前に一度みんなで会いたいですね」と返信した。

ついでに義太夫さんのホームページのリンク許可をいただいたので、右のリンク集に加えさせていただきました。
このブログの写真はそのホームページから勝手に盗んできたものです。ミュージシャンですね!

岡地曙裕氏と軽く飲んだ。二人で飲むなんて、20数年ぶりじゃないかな。
かつてはよく飲んだ。いや、「よく」という表現は当らない。毎日のように飲んだ。
朝まで飲んで、彼の家でそのまま寝る。起きて飲む。あっという間に終電はなくなる。また、家で飲み続ける。そんなことを一週間も続け最後は「もうお前の顔なんか見たくないぞ!」と捨て台詞を吐いて別れるのだが、たまたまその日の夕方に新宿のレコード屋でばったり会ってしまい、その日からまた数日・・・・。なんてこともあった。二人で飲むと、音楽の話題はもちろんだが、プロレスの話、B級映画の話、下ネタ等々で止めどもない。
年月は経ち、私は江戸川区勤務、彼は江東区在住となり、下町あたりで飲む機会がなかったほうがおかしいくらいだ。


山利喜私の通勤経路の沿線まで来てもらえることになり、江東区の森下で落ちあった。
彼が事前にリサーチしていた「山利喜」に入る。私が来るだいぶ前から、店の前に並んでいてくれたようだ。
さすが行列ができる飲み屋。グルメ気分を満喫してしまった。
大正13年創業という、下町の老舗酒場である。
詳細は「山利喜」のホームページをご覧ください。近所にもう一店舗あるとは知らなかった。
我々は本館のほうにお邪魔した。でかい赤提灯にちょっと古めかしい昭和の雰囲気。
まずは生ビールでスタート。岡地氏は最初から日本酒。
最初に頼んだ刺身盛合わせは、まあこんな感じかな、という程度。
しかし、次に出てきた「やきとん」は旨い。塩で子袋、レバーとかしらはタレで。このタレが何十年も継ぎ足されてきたという秘法のタレらしく、深い味わいがある。
皿の隅に色の薄いからしが載っていて、岡地氏の「おぉ、酢味噌か」という言葉に騙され、思いっきり舐めたら死んだ。
日本酒も厳選されており、私は山形の「うきたむ」という酒を頼んだ。初めて飲む銘柄だが「なめらかでいて、切れのある軽快な味わい。香らず香る、軽いが軽すぎず」という謳い文句どおり。値段も安いし、これはちょっと要チェックだ。


山利喜の煮込みそして、なんといっても「煮込み」!朝から6時間以上煮込むというから、牛シロはもうトロトロ状態。そして味の濃厚なこと。病みつきになります。
たまごを入れてもらったが、これもしっかり味の染み込んだゆでたまご。
隣で、赤ワインを飲んでいる人がいたが、やっと意味がわかった。「煮込み」というより「ビーフシチュー」に近い感覚かもしれない。ちなみに「ガーリックトースト」なんてメニューもあり、まさしくこれで皿に残った煮込みをすくい取るということらしい。どうやら、この煮込みには「赤ワイン」もブレンドされているようだ。

この次は事前にホームページでつまみ類をチェックしてから行きたいものだ。
それにしても、岡地さん相変わらず「飲み屋グルメ」だねぇ。また下町ツアー行きましょう。

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