昨年のニュースで、太宰治ゆかりのスポットの一つである「三鷹跨線(こせん)人道橋」が解体されるとの話があった。
まあ、簡単な話、維持費(耐震補強の費用)がもたない、ということのようであるが、残念に思う。
当時は鉄骨不足のために明治、大正時代の古レールで作られたのだそうだ。
昭和4年に作られたというこの建造物(?)、私は撮り鉄ではないが何十年ぶりかに行ってみた。
西暦にすると1929年、ブラインド・レモン・ジェファーソンが亡くなった年ではないかっ!
チャーリー・パットンの初録音も1929年だ!
i-podで “Pony Blues”でも聴きながら、と思ったが入ってなかった(汗)
で、三鷹まで来たら、ここだね。
コロナということもあり、たぶん1年半ぶり。
と、暫く呑んでいると、フラリと一人の男が入ってきた。
なんっつう偶然。
何とかは何とかを呼ぶと言いますが、この場合「酔っぱらいは酔っぱらいを呼ぶ」ということですな(笑)