2011年1月16日の投稿

本日は、今は亡き知人の七周忌の墓参に行って参りました。
その人の名は、田村光太郎さん。
「天才ドラマー」という以前に「天才ミュージシャン」でした。
正式な録音があまりないので、広く知られた存在ではありませんが、知る人ぞ知る、といったところでしょうか。
そう言えば、「永井隆とブルーヘブン」の初代ドラマーだった、なんて話、何人付いてこれるんでしょうか?


20110116(1)_Rたいへん寒い日でした。

場所は、東京都下の「多磨霊園」。

駅前に有名人の埋葬されている地図があります。

え~、右に写っている方はあまり気にされないようにお願いします。


20110116 (2)_Rあんまり寒いんで、公衆電話ボックスに陣取る方もいらっしゃいます。

電話してるふり、ってやつですね。

日本の数少ない、ブルース文筆業の方によく似ている気もしますが。


20110116 (3)_R徒歩にて「多磨霊園」到着。

お願いですから、右に写っている方は気にしないでください。


20110116 (4)_R寒いはずです。

水汲み場は凍っています。

で、頼むから、左の人は気にしないでください。


20110116 (5)_RA高校の同窓の方が多数を占めていましたが、30名近い皆さんが集まりました。

右端の方、ちょっと静かですね。


20110116 (6)_R墓参も終わり、二次会の場所に移動です。

武蔵境駅にて、参列者を手招きで誘導する者あり。

日曜の日中にしては、かなり恥ずかしい光景。


20110116 (7)_R二次会会場へ誘導する者あり。

法要の席として有名な(?)、中野 “BRIGHT BROWN” です。

この後、つまみ買い出し部隊の人選に失敗し、「油モノ系」と「でんぷん質系」のみ入ったレジ袋を持つ6名の男たちが、中野の街で目撃されました。


20110116 (8)_R「困った時の”大地”頼み」

セッション請負人、井上大地クンも合流。

ツェッペリンの”ロックンロール”に合わせて弾くGIBSON ES-125のサウンドは後世に語り継がれるであろう名演でありました。


20110116 (9)_R3時間近いセッションの仕切り人はこの方。

今回のほぼ全部の写真に強引に入って来たこの方。

ストラトがに合わないこのお方。


20110116 (10)_R中野駅前の「香港亭」の軽い二次会もかなり重めの二次会となり、阿佐ヶ谷でお別れのポーズです。

お疲れ様でした。

だんだん、何の話だかわけが分からなくなってしまいました。

あ~、昼間の酒は効くわい。。。。。。