2011年7月23日の投稿

木曜の夜、仕事も何とか終わり事務所を出る間際に、ちとwebを閲覧。
すると・・・中村とうようさんの死亡記事が。
しかも、自殺・・・・・。

いい意味でも、悪い意味でも、たいへん影響を受けた方だ。

中学、高校の多感な時期に、歯に衣を着せぬ音楽評はちょっとした凄みを感じた。

ブルースだけでなく、ジャンプやジャイブがこれだけ日本で定着したのはとうようさんの功績が大きい。
TBSラジオの「11-30ブルース」、一生懸命聞いた。
もちろん、アフリカをはじめとする第3世界の音楽の造詣も深かった。
新宿住友ビルでやってた芸能山城組の「ケチャ祭り」も行ったなぁ。

1974年、ブルースフェスティバルを始めたのもとうようさんの力。
最盛期のファニア・オールスターズも呼んでくれた。

1969年創刊の「ニューミュージック・マガジン」(現「ミュージック・マガジン」誌)。
たぶん読み始めたのは創刊4年目くらいからか。
それまで読んでいた音楽誌と明らかに視点が違っていた。

ブルースをはじめとするブラックミュージックの数少ない情報源であり、「とうようずトーク」という独特のコラムは毎号の楽しみでもあった。
古本屋でバックナンバーを探して歩いたのが懐かしい。

たぶん、業界では敵だらけだったと思う。
当人、そんなことは全く気にするような方ではなかっただろうが。
それだけに、自殺というのがよく判らない。
もう79歳だったし。

今回、とうようさんの私財が武蔵野美大に寄贈されていたことを知った。
たぶん、すごい量と質なんだろうな。
とうようさんのコレクション音源を基にLP化された曲も多いはずだ。

世間では渋谷陽一氏との論争が有名だが、個人的には日暮泰文さんとの「B.B.KING論争」が懐かしい。



レコードコレクターズ創刊号この雑誌、1982年4月発刊なのに、なぜか堂々と「1981」の文字が・・・・。



創刊号のキャブ・キャロウェイ特集創刊の頃はホント濃かった。

残念だ。

合掌。