毎年恒例、「田村光太郎さんを偲ぶ会」。
光太郎さんが旅立ってから、今年で10年だそうだ。
午前中はお墓参り、そして午後から中野のブライトブラウンで呑んで演奏する。
正直、10年も経つと、あまりシンミリ感は少ない。
でも、毎年毎年集まって光太郎さんを肴に呑めや唄えやの宴会は、うらやましい限り。
オレも逝ったらやってほしいなぁ。
人格ないからダメかなぁ。
ブライトブラウン、スタートのセッションに引っ張り出される。
「ありがちなブルースセッション」との吾妻氏の紹介。
いや、まさにありがちな感じで安定感あり(笑)
ちなみに、ブライトブラウンでの写真3枚は、田辺の龍ちゃん撮影によります。
毎回ありがとさんです~。
会は17時終了。
数名で千歳烏山へ向かう。
この前々日に正井芳幸さんが亡くなった。
ある意味、その62年間はすごい人生だったと思う。
下北沢の”Zem”は残念ながら高校生時代に数回行っただけ。
20歳になる前くらいにから”STOMP”へよく行った。
昼間は珈琲が飲めた。
ブルーヘブンをよく観に行った。
渋谷”屋根裏”の急階段、機材の搬入手伝って良くチャージ無しで観させてもらった。
1980年代、東京ブルース界のドンみたいな存在だった。
いろいろとお世話になりました。
破天荒な人だった。
でも、子供みたいにニヤニヤしながらイタズラしたり。
STOMPの後半は私は良く知らない。
私が音楽業界から疎遠になっていた。
90年代の後半だったか、日比谷のブルースカーニバルでバッタリ会った。
正井さんから声をかけてくれた。
うれしかったな。
だから、”デルタ・ブルー”は全く知らない。
その辺の人間関係も。
2年前の寒い日、ひょんなことで下北沢で呑んだ。
1時間くらいか。
かなり酔っぱらってた。
昔のお礼にと、1杯ご馳走させていただいた。
「そうか、またバンド始めたのか!よかったよかった!ずっと続けるんだぞ!」
なんか、お父さんみたいになってた(笑)
お通夜、告別式とも、昔のブルースミュージシャン関係はあまりいなかった。
正井さんは「デルタブルーの正井さん」になっていたんだ。
もう一度載せて、正井さんの冥福をお祈りします。
向こうであんまり喧嘩するなよーっ!!
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