コンサートチケットの半券。
1970年代中頃から1980年代末までがほとんど。
この他にもまだあるはずだが、紛失したのか、発行されていないのか(特にライブハウス)よくわからない。
ウイルソン・ピケット、B・B・キング、ローラ・リー、パパ・ウェンバ、アーマ・トーマス、ベン・E・キング、レイ・チャールズ、ダーティ・ダズン・ブラス・バンド・・・・・・・まだまだあるはずだが。
1975年の2枚は、二回のブルース・フェスティバル。
バディ・ガイ、ジュニア・ウエルズ、ジョニーシャインズの第2回は、私がブルースにのめりこんだ記念すべきコンサート。
第3回はオーティス・ラッシュにしびれ、リトル・ブラザー・モンゴメリーに涙し、ビッグ・ジョー・ウイリアムスのギターの弦の多さに驚き、ジミー・ドーキンス(と言うか、ドラムのタイロン・センチュリー・スミス)に怒った。
1976年
ファニア・オールスターズもサルサもよくわからなかった高校生。
当時、愛読していた「ニューミュージック・マガジン誌」の影響で見に行く気になった。結果、正解!
これを見逃しているサルサ・ファン、ラテン・ファンの数は膨大らしい。
1977年
本当はバリバリの頃のフェントンが見れるはずだったが、入国できずにその代役がエディ・テイラー。
まさに、瓢箪から駒。
第1回ブルース・フェスを見れなかったので、マイヤース兄弟に感激。エディ・テイラーのような地味なブルースマンもこんなアクシデントがなければ、見ることができなかったのでは。
まさに「正調シカゴ・ブルース」。
“I Feel So Bad”と”Readdy For Eddie”は当時の愛聴盤だった。
1978年
伝説のジェイムス・カー!いろんな意味で伝説。
ボロボロのバックバンド(弱小白人ブルースバンド)に怒声の雨あられ。日本語がわからないので受けていると思い、延々と演奏する馬鹿者たち。そして、”Pouring water on a drawning man”のイントロと同時に現れたジェイムス・カーの第一声に大歓声。あまり調子のよい時代ではなかったようだが、それでもあの声の深さには脱帽。
サニーランドとハニーボーイのステージは、地味だったが味わい深いコンサート。簡単に12小節で収まらない演奏に必死に食らいつくベースの森田恭一さん(元ブレイクダウン)の演奏に感動してしまった。
1979年
ジミー・クリフの再来日公演を前から4列目の席で見ることができた。目前で歌う”Many rivers to closs”に泣けた。
ブルース・インターアクションズの第1回主催コンサートがフィリップ・ウォーカーとロンサム・サンダウン。サンダウンなんて思いっきり渋い選択だなぁと思っていたら来なかった。。。代わりに来たのがブルースハープのジョージ・スミス。ブロウと鼻の穴の大きさにKO。フィリップ・ウォーカーはバリバリで、会場がライブハウス(六本木ピットイン)というのもあって興奮させられた。(チケットは日本教育会館のもの)
1979年にやってきた大物。O.V.ライトだ。
すっかり痩せこけて小さくなってしまっていたO.V.。しかしながら、あのヴォーカルは健在だった。まさに鳥肌モノ。
そして1部のフランキー・ギアリングもバッチリ。
1980年
御大マディ・ウォータースがやって来た。オープニングアクトはウシャコダだったね。良席です。最初で最後だと思ったので、追加公演も見に行った。動くマディを生で見れただけで幸せ。
Pウォーカーに次ぐ2回目のブルースショウはロウエル・フルソンとクレイ・ハモンドという、ちょっと奇抜な組み合わせ。クレイ・ハモンドと言えばは”Part time love”。フルソンは大物の風格が思いっきり漂っていた。楽屋でサインを貰うのにドキドキした。ニューオリンズの名曲には必ずクレジットされているサックスのリー・アレンもサイコー!だった。
ちなみにこの前夜、「花伸」(なつかしぃ!)の宮井操さん達と飲みまくった私は、こけて鼻のアタマをざっくり切って絆創膏姿で見に行った思い出が。
1982年
なぜか1981年がない。ジョン・リトルジョンを見ているはずだが。
アルバート・コリンズは今は亡き渋谷のライブ・インで驚愕のステージを見せつけられた。登場と同時にあのインパクト鋭いテレキャスターのフレーズ。客席騒然。最後には客席を練り歩き、その後方でシールドをたぐっている臨時アルバイトの小安田氏と岡地氏。
数日後の九段会館では、私も会場整理をやらせてもらい最後はメンバー全員と新宿〜下北沢と打ち上げ慰労会。
とても思いで深いコンサートだった。
1983年
リトル・ミルトン、3回も見たんだなぁ。2ステージ制だったので6回見たことになる。それでも見たりなかった。
オーティス・クレイは3回目の来日?その前のチケットがないぞ。
恒例のブルースショウはエディ・クリーンヘッド・ヴィンソンとピー・ウィー・クレイトン。前年同様、ライブインではお客様。九段会館では会場整理係だった。九段の時、ヴィンソンが出てきたときPAの後ろにいたのだが、歌った瞬間レベルゲージが真っ赤になったのを見たのは私だ。
おっ!ウルマーも見に行ったなぁ。
1984年
カーティス・メイフィールドもライブ・インに2日間通った。
ジョン・リー・フッカーとまだまだ駆け出しのロバート・クレイは楽屋でサインをいただいた。ジョン・リーと言えば「KINGの727番」。最初、ジャケ写真がカエルの卵かと思った私はバカ者。
ちょうどアフリカを聞きまくっていた頃。サニー・アデの初来日。感激だったなぁ。
1984年(パート2)
バーバラ・リン3連発。
中野の来日初ステージは感動モノ。北島徹さん、チャールズ清水さんをはじめとする日本人サポートも素晴らしかった。
ブレイクダウンとセットで全国をツアーしたが、ライブ・インは確か単独だったよね。
日比谷のスプリングカーニバルでは、当時ブレイクダウンにいた岡地さんの計らいで楽屋にお邪魔してサインをもらった時の記念すべきチケット。
1985年
サニー・アデとジミー・クリフのよみうりランドEASTでのコンサート。夏の野外で主催がビール会社なんてサイコー。
で「Africa Session」なるチケット。これがわからない。誰が出た?場所が普門館。う〜ん、思いだせん。どなたか知っている人いたら教えてください。
【2015/10/28追記】ネットで下記の出演者の情報ゲット。でも記憶にない・・・
オーティス・クレイvo with ボイス&リズム
USAリリーフバンド:(ジム・ケルトナー、サム・バレンチノ、プリシラ・クーリッジ、ロビン・クールド、マーク・イーガン、クリフォード・カーター、ボブ・バウチャー、ラス・バブー、森園勝敏、竹田和夫)
難波弘之センス・オブ・ワンダー:(難波弘之 key,vo、そうる透 ds、小室和之 b,vo)
1987年
この頃になると、けっこういろんな音楽を聞いている。ネヴィルは再来日だったかな。ドクター・ジョンとのカップリング。
立川の昭和記念公園のブラック・ヘリティジは雨に降られたけど、私はエベネザー・オベイを生で見れたことに秘かに感動していた。そう言えば、パパ・ウェンバやザイコ・ランガ・ランガも見てるはずだが、この頃だろうか。ロバート・クレイはすっかり著名人になっておられた。
なぜかエリゼッチ・カルドーゾ。サンバの女王!貫禄のステージ!!
そしてボォ〜ヴィ〜・ウォーマァ〜ック!
1988年
どうもチケットぴあの半券は色気がない。
正月早々、マヌ・ディバンゴ。そしてルーファース・トーマスwithカーラの素晴らしいソウル・ショー(なんとギターはCalvin Newbornだった!!)。
スリム・ゲイラードは前年のお忍び来日で気を良くしたのか、きちんと一般公開のライブ。
ずーっと、Boさんばかり見ていたもんでロン・ウッドさんの印象がない・・・。ベースのお姉ちゃんは憶えているのにぃ。。。
トリニダード・トバコのキング・オブ・ソカ、アロウも見てる。楽しかったよ。
そして、ミルバ&ピアソラ! タンゴでんがな。
1992年
ボ・ディドリーとボ・ガンボスのジョイント。
ボ・ディドリーはジャパン・ブルース・カーニバルに出演のため来日。たしか前日に新宿の厚生年金(だったか?)でのコンサート。
1993年
だいぶ間が開いてしまった。もう、すっかり勤め人になっていて、カタギの妻と一緒に行ったコンサートだ。
ネヴィルは数年後にも、まだよちよち歩きの長女を連れて見に行っている。
ジャパン・ブルース・カーニバルでは、かつてのSTOMPのオーナー、正井さんと再会できたことがなぜか一番印象に残っている。
この年にはミーターズもやってきた。
ネヴィルとは違ったかっこよさが。
ERIC CLAPTON
さてここからはロックの項です。
クラプトンの初来日は中学3年生の時。若きギター少年は感動だったね。
再来日の時は授業をさぼり、池袋の赤木屋プレイガイドで前夜から並んだ。おかげで最前列と2列目が取れた(D列とE列だが、AとBがなかったってことかな?)。目前で見れたのはすごく嬉しかったな。
1975年
グランド・ファンクのチケットを買いに行ったら、クイーンの初来日の前売り発売日でもあった。一番悪い席が1,000円だったので何となく買って、何となく見に行った。その後、クイーンを好きになることも一度もなく・・・。
グランド・ファンクはアメリカン・バンドが売れた後の再来日。エネルギッシュだったけど、その後に発売された2枚組みのライブ盤がほとんど同じ演奏で、相変わらずのテクのなさに、ちょっとがっかり。
フォーカス!”れりほろれりほろれりほろれりほろれりほろれりほろどぅんぱっぱ”。今の若いもんにはわかるまい。
フェスティヴァル
まずは下の「ワールドロックフェスティバル」。ジェフ・ベックは風邪気味で本調子ではなかった。ニューヨーク・ドールズなんていうキワモノも登場。
当時好きだったフェリックス・パパラルディが見れて感激していた。高校1年生、上半身裸で後楽園球場(ドームではない)で騒いだ。
上は言わずと知れたフランク・ザッパ様の日本初見参ステージ。多くを語ることなかれ。
ロリー・ギャラガーはとってもストーレートな音楽性で好きだった。「いれずみの女」が好きだった。
イーグルスは「ホテル・カリフォルニア」がヒットする前。ジョー・ウォルシュ目当てで行ったのだが、予想に反して小柄なややデブで少々がっくり。でも演奏は良かった。
化けもの、デヴィッド・リンドレーは凄腕のギタリスト。出てくるギターも今にも壊れそうな超ヴィンテージものばかり。うらやましい。
ここからはジャンル違い (^〜^;)ゞ
左上は日本プロレス黄金時代。馬場・猪木・坂口・大木・吉村・ヤマハブラザース等々。ちなみにシークは来日出来ず、ピンチヒッターでフリッツ・ファオン・エリックが来た。
左中と右上は猪木脱退後。ジョニー・バレンタイン、ミル・マスカラス・・・懐かしいぃ。
左下は馬場が脱退した後。クレジットにはないがザ・シークが初来日して坂口と戦ったのがメインエベント。シークが火を吹いて2分で終わった試合。
右下は日本プロレス最後のシリーズ。坂口も去り、エースは今は亡き大木金太郎。”鉄の爪”エリックの存在感は凄かった。
新日本プロレスの黎明期。
一番上は旗揚げシリーズ。この時、猪木さんにサインをもらった。これがある意味一番の宝物か。名前はないがメインエベントは猪木と豊登(!)のタッグ。
そう、サバ折の豊登。
その他も含め、地元界隈の野外ライブじゃなくて野外試合。
左下のシリーズでは、突如謎のインド人が乱入。
ひばりヶ丘にもやってきた。
そう、タイガー・ジェット・シン。目の前で見て本当に怖かったのはシンとシークだ。
ここから下は順不同。適当に並べてある。
ブルーザー・ブロディが新日本に参戦したときの後楽園ホールで行われた公開スパーリングというのは貴重品。
イベントの最初から最後までリング下で「公開ヒンズースクワット」をやらされてた若手は誰だったんだろう。
良き時代の新日本プロレス。
たいてい隣の席にいるのは岡地曙裕氏。
「サマーナイト・フィーバー・イン国技館」。
俺達の時代ってやつですなぁ。
第2回IWGPの決勝は、まだ蔵前にあった国技館。