正月もそろそろ終わりそうな今日この頃。
実は、ちょっと気になっていた不祝儀な話題を・・・・・。

昨年の暮れのこと、一枚の喪中はがきが届いた。
差出人はY山さんという方。
てっきり、嫁のちょっと遠い親戚筋の方かと思い(同姓の方がいたので)、なんとなく文面もよく読んでいなかった。
で、年末ぎりぎりになって年賀状の作成に着手する際、何通か届いた喪中はがきをチェックして気づいた。
Y山さんとは、全く見ず知らずの方だった(ひょっとしたら数回お会いしてるのかもしれないが)。
「生前は義父がお世話になりました・・・云々・・」とあるが、その義父の方の名は「Y北滋孝さん」であった。
夫婦連名なので、ご主人から見て「義父」なのであろう。
ということは、「Y北さん」の娘さんがY山さんの奥様ということだ。

ちょっと「Y」の字が多くて判りづらいと思う。申し訳ない。

「Y北」さん、もう17年ほどお会いしてない。
西荻窪にあった「おふくろ」という小さな居酒屋のオヤジであった。

話せば長くなる。
まだ私が20代のころ、西荻窪に「Tia Juana (ティア・ホアナ)」という、濃いレコード店があった。
実は、この店でジャンプ、ジャイブ、果てはJUJU Music やリンガラまで洗礼を受けたのである。
あっという間に常連になってしまい、大学の授業を途中で抜け出して毎日のように行ったものである。
店主のI田さんは豪快な方で、店内で宴会になってしまうことも多々あり。
20時の閉店時間と共に客で来ていた者と一緒に、夜の街へ繰り出す毎日であった。

いろんな店を教えてもらったが、一番よく行った店が「おふくろ」。
カウンターに5、6人。テーブルがひとつだったか、ふたつだったか(記憶が曖昧)。
ほとんど使われないような4人席の小上がり。
店名とは裏腹に、カウンターの中を仕切るのは、たぶん当時60歳すぎくらいの白髪のオヤジさん、 Y北さんだった。
まだ若かった私は、飲み屋といえば「安くて量が飲める」というノリだったが、この店ですっかりカルチャーショックを受けてしまう。
旨い日本酒と、旨い料理である。
当時はまだ日本酒ブームなんてなかった。
まだ、特級酒・一級酒・二級酒、の時代だ。

そこで、旨い日本酒をさんざん教えてくれた。
旨い刺身、料理も抜群だった。
忘れもしないよ「牡蠣の柚子釜」。


25年前、「おふくろ」の前で
たぶん25年以上前の写真だ。

よくあったもんだ。

もちろん、若いし・・・・・。

全くブルースやソウルからかけ離れた場所だったが、オヤジさんの昔話やうんちく話を聞くのが、とても楽しくてしようがなかった。
いつしかY北さんのことを、「おとうさん」と呼ぶようになり、私にとっての大切な隠れ家的な店となったのである。

西荻窪は南口の「おふくろ」、北口の「眞砂」が旨さでは双璧だったが、いまは共にない。

ここで教えてもらった、庄内の「栄光富士」という酒蔵の酒は、私にとってフェイヴァリット日本酒である。
「栄光富士」の「古酒屋のひとりよがり」など飲むと、あの頃の「おふくろ」の思い出が溢れ出してくる。
マニアックな旨い酒を、全く自慢することもなくさりげなく飲ませてくれる店。
あんな店は、もう巡り合えないだろうな。

Y北さんには、私の結婚パーティー(これも、もう今は亡き、吉祥寺「のろ」だった)に来てもらった。
最年長者なんで、ステージの上で挨拶してもらったなあ。
最後に「おふくろ」へ行ったのは、うちの嫁と岡地夫妻とだったような記憶がある。
奥の小さな小上がりで飲んだ。

体調を崩して、店をやめたという話は聞いた。
不義理なことに、この十数年は年賀状のやりとりだけ。
それも、ここ2,3年は送るだけになってしまい、少々心配していた。

1年半くらい前のこと、西荻窪界隈ではまさに地酒のオーソリティである「三ツ矢酒店」へ栄光富士を求めに行ったときのこと。
たまたま、大旦那さんが応対してくれたので「おふくろ」の話をしたら、「ああ、Y北さんね、まだ元気だよ。たまに来てくれるしね」とのことでホッとした。
また来たら渡してほしいと、名刺を置いていったのだが、果たしてY北さんの手まで渡っただろうか。


今の「おふくろ」
その時、「おふくろ」の店の前まで行ってみた。

なぜか、まだあの時のまま(住居は別だった)。

まさか、もう一度復帰するつもりだった?
そんなことはないと思うけど・・・・・・。


捕鯨禁止になって、鯨が食べれなくなる、というとき
「よし!うちで鯨パーティーやりましょうか」
と言ってくれた。
確か、7,8人集めて店は貸切。
料理代として一人3,000円しか取らなかった。

そして、「伊藤さん!見てくださいよ、この尾の身のきれいなこと!」
調理場のまな板の上、これからさばかれて刺身となる鯨の尾の身を前にして、嬉しそうに包丁を持つおとうさん。
あんな尾の身はこれからも食べれないと思う。

ありがとう、Y北さんのおかげで楽しい酒を飲めるオヤジになったよ。

この投稿は、2010年1月28日 木曜日に、カテゴリー「Sloppy drunk (酒の項), When you got a good friend (友人の項)」に投稿されました。
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コメント(11)

乱舞戯
 1 

ええ話や、ワシは在京時代そこまで懇意にした店はなかったけどあの頃の東京の居酒屋をいろいろ思い出すわ。今年は新CD発売営業も兼ねてぜひ上京せねばならんなぁ〜、楽しそうな店いろいろ連れていっておくれ。

2010年1月29日 0:14
 2 

> 乱舞戯 さま

おお~、待望の新録ですね!
こりゃあ期待させてもらいますよっ!!

2010年1月29日 8:47
koyasuda
 3 

私も数回お邪魔しました。

ご冥福をお祈りします。

それで I 田さんは今いづこ???

2010年1月30日 19:08
 4 

> koyasuda さま

一時期、皆さんでよく行きましたね~

Ⅰ田さん・・・・・・再発見したいものです。
あのパワーは凄かった。。。。。

2010年1月31日 0:55
 5 

良い話ですね。。。

いとーさんはほんとに良い仲間や先輩に囲まれて、
巡り合ってきていますね♪
すばらしいと思います!

2010年2月9日 21:42
 6 

> くどー さま

そうなんです。
皆さまのおかげでここまで来ました。

くどーちゃん!頼むよっ!!

2010年2月9日 22:08
Y山MT
 7 

いきなりのコメント申し訳ありません。いろいろ知れべてくうちに、こちらの記事に遭遇いたしました。 今だから私もお酒が少々分かる年になりました。記事を拝見させて頂き、久々に涙が出ました。  今後のご活躍祈っております。 機会がありましたら是非当時の話でも聞かせて頂きたいです。 突然のコメント失礼いたしました。 Y北の孫より

2014年12月1日 15:33
 8 

Y山さん、ほんとにほんとにありがとうございます。
何か、たくさん書きたいのですが、記憶が曖昧なのと、いろんなことが有りすぎて困ってしまいます。
Y北さんは、決して自慢しないけど、いろんなことを知ってる方で、よくビックリさせられました。あのお店で呑むことができたことは、私の人生で最も至福な瞬間だと今でも思っています。
そして、ブログを書いてて良かった、と思い、もういい歳ですが、明日の活力になります。たいしたお話は出来ませんが、どこかでお会いできたらと思います。貴重なコメント、ありがとうございました。

2014年12月2日 0:00
Y山
 9 

ご返信ありがとうございます。伊藤様の貴重な思い出の一部に祖父が居る事が大変光栄です。
父も大変喜んでおります。母には、勝手ながら伊藤様のブログをプリントアウトして渡しました。
やはり涙を流しておりました。元々は、私の父が「おふくろ」を営んでおりました。小さな
店ですがいろいろな歴史、思い出のが詰まった場所行ってみたかったです。本当にいろいろとお話したいのですが、お会い出来た時まで取っておこうと思います。
伊藤様、こちらこそ本当にありがとうございます。祖父も喜んでるに間違いありません。

この先も家族共々ブログを拝見させて頂きます。

2014年12月2日 12:23
 10 

Y山さま
こんな拙い話にお付き合い頂きありがとうございます。
Y北さんの後をY山さまのお父さんが継いだということなのでしょうか?
私が通っていた頃も「息子さん」という方がいらっしゃった記憶はあります(「義理の息子」と言ってた覚えがあります)。でも暫くしたら、いなかったような・・・。
向かいのお米屋さん(K藤さん)は、ひょんなことで知り合いなのですが、お店はやってないけど息子さんが来てる、みたいな話を聞いた気もするのですが、これももう10年くらい前の話。
歳とると記憶が怪しいですね(^_^;)
でも、ホントにいい店だったなぁ~
本当に機会があったらお話ししたいですね。コメントありがとうございます!!!

2014年12月3日 8:31
Y山
 11 

返信遅くなり申し訳ありません。
義理の息子(私の父)が祖父より前にやっておりました。
不思議な感じですが…
私も曖昧で、申し訳ありませんが
もともとは、私の父(Y山)
がおふくろをやっておりました。
今でも、当時の看板は大事に保管しております!!
祖父のお店の記事があるだけで本当に感無量であります。。

2015年1月30日 14:49

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