先月の会社の健康診断の結果が来ました。
γ-GTP、去年は「21」で今年は「18」!!
たいていの皆さんは「え~っ!嘘だろう!!と叫びます。
でも本当です。
ちなみにこの3年間、休肝日はありません。
『継続は力なり』!
座右の銘だな(笑)
昨夜、最近お気に入りの AiGoz (アイゴーズ)のライブを楽しんだ。
最近では一番観に行っているバンドに間違いない。
ブルースじゃない。
ソウルでもR&Bでもない。
ロックだっ!!!
でもね、良いのですよ。
メンツは
春日”ハチ”博文さん、カルメン・マキ&OZのレジェンドギタリスト。
私が中高生の頃の日本のロック3大ギタリストは、竹田和夫、森園勝敏、そしてハチさんだったなぁ。
ちなみに初めて見たのは1975年5月、高校1年の時に武道館、グランドファンクのオープニングアクトで。
7月は後楽園球場のワールドロックフェスティバルだったなぁ。
ベースは子供バンドのたぶん最後のベーシスト、勝誠二さん。
ドラムは無茶苦茶いろんなところで叩いている丹菊正和さん。
あ、ドラマーじゃないか。
SPICY BEAT PERCUSSION というらしい。
この3人、各個人が超スーパープレイヤーなので、いわゆるインタープレイが格好いい。
次に何が出てくるか分からない楽しみがあると同時に、やっぱり昔のロックを感じるところが良い。
そして全員歌がうまい!
勝手に「魅惑のコーラスグループ」と私は呼んでる(笑)
と、今日の本題は、そこではない。
たまたまアイゴーズが演奏した曲について。
「ディープパープルを演ります!!」と言って始まった曲は
Wring That Neck (我々の世代は”Hard Road”だったね。いつからかタイトルが替わってる) というインストだ。
まぁ、正直言ってパープルは好きでもなかったし、一生懸命聞いてもいない。
だけど、中高生の頃周りの皆はバカみたいに聞いてたので、自然と記憶にある。
でもね、この曲はパクリなのよ。
たぶん高校の時に買った日本キングから出ていたオムニバス3種のうちの1枚。
凄いサブタイトルは「ブルース・その源流のさすらい人」、誰が考えたのかね、恥ずかしいわ。
あの時代に、南部の思いっきりマイナーなレーベルのシングル盤集めて作った3種。
渋すぎ!
その第3週「Stretchin’ Out」、しかもLPのタイトルにもなったその曲は、Don Sugarcane Harrisの名インストだ!
この人、珍しくバイオリニストなのです。
そして、Don & DeweyのDonの方です。
Don & Deweyと言えば、スペシャルティ・レーベルのR&Bデュオで、 “I’m Leaving It Up to You” とか”Justine”, “Koko Joe”とかで有名。
Stretchin’ outは1959年に録音され、実際にシングルで発売されたのは1962年らしい。
Donのかっこいいエレクトリック・バイオリンにデューイの華麗なオルガン。
めっちゃ気に入ったのだけど、実はこの時パープルの盗作物は知らなかった。
普通は逆なんだろうけどね。
このドンさんですが、その後フランク・ザッパのマザーズ・オブ・インヴェンションに参加したり、けっこうな枚数のソロアルバムも残してるみたいだ。
で、問題のその曲は1968年にディープパープルに見事パクられます。
元曲がかっこいいからねえ、でもここまでそっくりだとバレるって分からないかねぇ??
ちなみに、さらにそれを It’s Beautiful Day がパクるのであります!!!
まあ、この2バンドは遺恨があるらしく、その前にはイッツ・ア・ビューティフル・デイのデビューアルバムに入っている”Bombay Calling”をパープルが盗んで”Child in Time”としてレコーディングしたのだ。
これは、その後にジョン・ロードがはっきりとパクったと語ってる。
その報復が Wring That Neck (Hard Road)だったんでしょうか?
でもね、Beautiful Dayがパクって付けた名前がなんと “Don & Dewey”!!!
「この曲のオリジナルはドン&デューイの曲なんだぜぃ!!」
と言わんばかりの曲名!
It’s A Beautiful Day の勝ち!
Deep Purpleの負け!
でもどっちにしても地味な黒人ブルースマンには印税が入ってこないのね(涙)
2025年の5月、はい、また1つ齢を重ねてしまいました。。。
66年間も生きてきたのですねぇ。
余生を楽しんでいる、という訳ではなく、相変わらず週5フルタイムで安価な嘱託会社員。
弊社は嘱託は70歳までという規約が、「少子高齢化」っちゅうことで今年から72歳に延長!
死ぬまで働け!ってやつでしょうか。
まぁ、ここで会社辞めても、たぶん一日中何もしないでダラダラしてるダメな人間になってしまうのは間違いないので
満員電車に揺られるのも、良い運動にはなるのではないかと思ってもいるわけです。。。
誕生日前夜祭は下北沢ラウンにて、毎月恒例の石川二三夫とのデュオライブ。
3回目の今回はゲストになんと徳島から!神東正典、そして日本ブルース界の宝、山崎美樹!!
50年前の東京ブルース界みたいな顔ぶれ(笑)

セットリストなどは下記からどうぞ。
2025年5月14日のライブ
で、いつものラウン特製ホッピーですが、少な目で勘弁して貰いました(笑)
そして翌日は66回目の誕生日!
ま、特に何かあるわけでもなく、二日酔いで出社。
更に翌日の16日は「居酒屋らうん」の日でありました!
(ライブの無い日に、たまーにやるのですよ)
金曜ということもあり、たらふくホッピーを呑み(笑)、軽く誕生日をお祝いして貰いました。
いよ!幸せ者っ!!
で、当然その翌日、17日の土曜は家で死んでるわけですが。。。

さて、18日の日曜は、今度はライブ観戦でまたラウンへ(笑)
まだ一度も観たことのない、博多のハリケーン湯川さん。
バックが岡地さんに倉本さんの豪華版!
そして永遠の天才少年(笑)千賀太郎くん!
めっちゃ盛り上がり!
妹尾みえさんに湯川くんを紹介してもらい、ホッピーの量はグングン上がります!
そして、19日の月曜は当然ながら二日酔いで出社。
20日の火曜は、またも!「居酒屋らうん」
この誕生日週間はラウンの強力ホッピーとの闘いでもありました!
またまた精進せねば!!(何をだ?)
2023年5月17日のFacebook投稿より転載しました。
5月15日、64才になりました。
あと1年で、前期高齢者!!(涙)
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2日経ってしまいましたが、一昨日はお祝いのコメント、メッセージ多数ありがとうございました。
思いもしない64歳、気持ちはまだまだ二十代(笑)
回りの知人、友人がほぼ先輩ばかりなので、まだまだ若手気分ですが、世間では立派な爺さんです(涙)
思い起こせば7年前の夏、1ヶ月ほど入院して6時間の大手術。腸閉塞ということにしていましたが実はS状結腸癌でした。
癌などと言うと回りがビビりそうで(笑)4、5人の友人だけにしか知らせていませんでしたが、その後は転移もなくアルコール消毒(もちろん口から摂取)を欠かさないことで、ここでカミングアウト。
この3年間もワクチン無しでコロナクリアの今日この頃です。これからも呑めるうちは呑み、吸えるときは吸うつもりです!
今年は娘からBLUES BROTHERSのTシャツ貰いました。お父さん、ブルース好きなのをやっと分かってくれたか(笑)
あ、それから今月25日のOLD BLUES CIRCUSのジロキチ公演、まだまだガラガラです(汗)ゲスト満載ですので皆様のご来場をお待ちしてま~す。
ご予約はJIROKICHIのホームページ、または予約番号無しでも良ければ、私にお伝えください。(便乗宣伝商法 笑)
https://jirokichi.net/2023/05/25/21324/
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次女もこの春に大学卒業である。
一浪して頑張って東京藝大に入ったものの、コロナのおかげで一年休学(作品作りが主だから、オンライン授業ってわけには行きませんねぇ)。
まぁ何とか卒業の目途はたったようで、めでたしめでたし。

と言うことで、言ってきました「東京都美術館」。
『卒業作品展』でございます。
もちろん、会社は有給休暇です!
そういえば高校の卒業の時もここでした。
2017年の3月、6年前ですな。
その時の作品写真を見つけてしまいました!
高校生作品ですよね。
でも大学生になると作品自体のデカさがムチャクチャデカくてびっくりです。
そういえば、前年の夏は1ケ月近くの入院生活。
あっという間だわ。
いい歳して、カメラ(スマホ)を向けると必ず「ピース」です(笑)
上の方から海上の一部を撮影。
真ん中の上の方にある、テーブルと4脚の椅子が娘の作品です。
高校の作品と比べるとスケールが違うわねぇ。
そういえば会場には、いわゆる「芸大おじさん」なる方もいらっしゃいました。
何者かって?ネットで調べてください、複数いらっしゃるようです。
一度捕まると一時間くらいついてくるそうです。
クワバラクワバラ。
手前の赤い服着てるのは明らかに娘だな(笑)
作品の一部になっておる。
なかなか大作であります。
本当は来場者に座って欲しかったのだそうだが、展示物なんで会場からはOKでなかったらしい。

斜め後ろから。
「おい、目が変だぞ」
「いや~、光の具合だよ」
「そ、そうか~」

たくさん写真が貼ってありました。
「わたし、ここだよ!!」

よし、拡大で撮ってやろう(笑)

娘の写真を撮る父親を横から盗み撮りする娘。の写真。

同級生の子に、作品を前にした親子記念写真を撮って貰いました。

いい歳をした親子がピースかよ(笑)

前のブログにも載せましたが、正月に家の2回のベランダで作成中の娘を後ろから盗撮の図(笑)
さてさて、2月の中旬には大学院の試験だそうだ。
まだまだ学生生活は続くのでしょうか。
ちなみに父親は7年行って中退です。。。。。
月末には乾杯かやけ酒か。
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
今年の目標は、なんてすっかり考えなくなった今日この頃であります。
とりあえず、1月ということで何も投稿しないのはアレですから、総集編って感じですね。

まずは、お節料理ですね。
毎年、じわじわと種類が減ってくる(笑)
まぁ、個人的には酢だこと数の子と餅と日本酒があればOKですが。
今年は、昨年末に栄光富士を買っておいたので、ちょいと嬉しいお正月。
いや、呑ませてません。
正月で眠そうです。

元旦の夜は、伊藤家恒例のすき焼き大会。
今年は松坂牛でサイコー!
ちょいと残して塩コショウで食べるのもナイス!

今年ついに藝大を卒業の次女。
卒展に出品する卒業制作を実家まで持ってきて、寒いベランダで製作中。
椅子ですかねぇ?
なんだか大学院行くらしいが。。。。。

正月3日目。
コロナになってから毎年恒例になった、少人数新年会。
今年も5人で、玉井式大阪風新年会です。今年も「てっさ」登場!
参加者はとりあえず日本酒を持って行くシキタリ(笑)
私は年末西友で買った越乃寒梅の純米吟醸を!(意外と安かったので)

3年ぶりの正月1.4東京ドーム@新日本プロレスです。
今年は猪木さんの追悼ということで、コロナ禍にも負けず総勢16名で参加ですが、ちとレジェンドに冷たくないですかねぇ。。。
「猪木メモリアルマッチ」は第0試合。藤波さんが余興扱いの試合に登場とは・・・。
最後も、あり得ないしょっぱいエンディング。

2月に引退が決まっている武藤敬司の新日ラストマッチもイマイチの6人タッグ。
マイクパフォーマンスも無く、寂しい終わり方で結局、内藤とも絡みなし。
Wメインイベントの2試合は、今の新日を彷彿させるナイスファイト。
ですが、分かっちゃいるが、完全に違う新日本プロレスになってました。
ただ、オカダカズチカの「猪木リスペクト」だけに救われたかな。

試合終了後の混雑会場にて、FUJIYAMAカメラマン渾身の集合写真(笑)
左手前の知らない人はモザイク入れときました(笑)
う~ん、1.4ドーム、来年は無いかなぁ・・・・・

水道橋駅で買った東スポの猪木追悼臨時号。
600円もしましたが(汗)
亡くなってから、やたら猪木本が出てますが、新しい事実はなかなか出てこないし。
何買おうかなぁ、などと思ってるうちに闘魂ショップでTシャツを2着も買ってしまった私でありました。。。
(当日の会場では2時間は並ばないと買えないだろう!と思ったので)

そして、イッテンヨン・ドーム大会の翌日はイッテンゴ・ルースター大会と毎年決まっています。
1.4は3年ぶりでしたが、こちらは毎年(笑)
元々はドームにプロレスを観に東京へ来るだけでは細君に怒られる岡地さんのために、私がライブをカップリングしたのですが、その後KOTEZっちゃんが跡を引き継いでくれています。
2015年1月5日のライブ
今年はステージに呼ばれて、ちょいとコーラスもやってきました(笑)
ちなみに仕事始めの日の帰りのサラリーマンです!

1日空いて7日の下北沢lownはW.C.カラス!
17時スタートということは、終わったら新年会ですな!
後半あまり記憶ありませんが、見事な新年会だった気がします。
ライブでしたっけ?
この日のTシャツは、猪木Tシャツです!!!

1月13日。
コロナに負けず、この日も新年会です。
恒例、ザ・グレート・カブキさんのお店です。
たまたまスケジュールが上手くあったKOTEZっちゃんも参加であります。
福島から菅波ひろみちゃんも参戦。
が、旦那のノリちゃん不参加でブーイングが!
みんなに好かれてるご主人です(笑)
まぁ~、この日もいっぱい呑みました(汗)

グレート・ムタとカブキさんのコラボTシャツ Get!!
カブキTシャツ3人衆の記念撮影(笑)

バックプリントもイカしてます!
素敵な笑顔であります!!

1月21日、高円寺JIROKICHIです。
吾妻光良トリオ+1、ゲストは永井ホトケ隆さん!
Talk to me, Those lonely,lonely night, 等々懐かしのブルーヘブン時代の演目が多々。
終了後の打ち上げも参加して、この日も結構酔ってしまいました。。。

最近はギタリストとしてもご活躍のホーさんですが、やはり個人的には、こんなハンドマイク姿に痺れます!

ありがちな終演後の呑み写真であります(笑)
さて、1月の最後の土曜は、久々「みやら製麺」行ってから玉井さんのライブに行って長時間昼呑みして帰ってきたのですが、だいぶ長編になってしまったので割愛させてもらいました。
ブログ、思わず長編になってしまいがちですが、Facebook風に短編で書くぞ!と思ってもなかなか実行できず。
ついついSNSへ逃げてしまいます。
2月は短編投稿、頑張ってみます!
2022年10月1日の午前中のこと。
ふとYahooニュースに「アントニオ猪木、死去」の報せが。
嗚呼、ついに来てしまったのか。
ちょっと前、24時間テレビに出た時、舌は回らないがそこそこ元気に見えた。
だから、復活すると思っていた。
なのに・・・
遡れば小学生の頃、たぶん昭和42、3年くらいか。
たいしてプロレスが好きで一生懸命見ていたわけではない。
どちらかと言うと、グループサウンズを歌番組で見る方が好きだった。
が、何かの拍子に、原因は分からない。毎週金曜の夜8時はプロレスを見るようになっていた。
当時の日本プロレスは2m9cmのジャイアント馬場がエース。
そしてそれを支えるのが、いかにも石頭といった風情の「一本足頭突き」の大木金太郎。
力道山時代からの業師ではあるが、そろそろ40歳を超えてお腹ポッコリ体形の吉村道明。
となると、まだ20代でスマートなアントニオ猪木が一番カッコいいに決まっている。
その記憶の中で鮮明に憶えているのが、猪木さんの新必殺技の名称公募だ。
当時、猪木さんの代名詞と言えば「コブラツイスト」。
だったが、ジャイアント馬場なども使い始めたので新しい技が必要だったのかもしれない。
昭和43年だったと思う。
そして、その新必殺技は「卍固め」。
ヨーロッパでは「オクトパスホールド」と言われていたが、当然この技を伝授したのは、当時日本プロレスでゴッチ教室を開いていたカール・ゴッチ氏によるものであるのは言うまでもない。
小学3年生の私は「卍固め」というより「アントニオ・スペシャル」(卍固めの別称)という言い回しの方が好きだった。
この技、小学生の私にはちょっと複雑で興味深かった。
そういえば、当時プロレス雑誌で見た「パロ・スペシャル」(欧州のジャッキー・パロという軽量レスラーの得意技)ほどではないにしろ、プロレスの奥深さを悟ったものである。
テレビ中継は、当然金曜夜8時の日本テレビである。
TBSテレビの水曜夜7時からは国際プロレスもやっていた。
豊登・サンダー杉山組とか欧州帰りのストロング小林とか。
そしてもう一つ。
テレビ東京がまだ「東京12チャンネル」という名称だった頃。
土曜夜の8時からの「プロレス・アワー」だ。
おそらく1950年代から1960年代初期の頃のアメリカの試合だ。
当然、白黒。というか、まだカラーテレビも珍しい時代だった。
どちらかと言うと、私は金曜の夜より、こちらが好きだった。
ルー・テーズVSバーン・ガニア(まだ髪の毛があった!!)のNWA世界タイトル戦とか、バディ・ロジャース、アントニオ・ロッカ等々まだ見ぬ強豪オンパレード。
そして雑誌は「プロレス&ボクシング」、創刊したばかりの「ゴング」を隅から隅まで舐めるように読んだ。
話がどんどん反れるが、そんな中で大のお気に入りがフリッツ・フォン・エリックだった。
実はエリックの来日は1966年秋と1967年春で、私がファンになる直前だったため、このプロレスアワーで初めて遭遇、その馬力の凄さにKOされたのでありました。
(ちなみに、このテレビの頃はまだアイアンクローは使っていなかったようで、ストマッククローが決め技だった)
とりあえず、私は猪木とエリックを信奉する小学4年生になったわけです。
そして、またエリックの話になってしまうが、初のプロレス生観戦が1971年9月4日のこと、日本プロレスの「サマーミステリーシリーズ」である。

田園コロシアムでの馬場VSエリックのインターナショナル選手権試合がメイン。猪木はセミファイナルで大木金太郎とのコンビで、対する相手はザ・スポイラー(ドン・ジャーディン)、ブル・ラモス組。ミル・マスカラスも二度目の来日。
当初はまだ見ぬ強豪であるザ・シークの初来日だったのだが、急遽キャンセルで個人的に待望のフリッツ・フォン・エリックを生で拝めたのであります。ちなみに翌年の夏、同じ田園コロシアムでシークの初来日も観戦、坂口征二のUNタイトルに挑戦した試合です。日本プロレスが崩壊する半年前ですね。中学1年になったので清瀬から一人で観に行った強者(笑)
この年の暮れに猪木さんは日本プロレスを追放されます。その3か月後に「新日本プロレス」を旗揚げさせました。『旗揚げオープニングシリーズ』記念すべきこのシリーズですが、出来たばかりの新参団体で外人レスラーもカール・ゴッチ(最初の3戦で帰国)以外は、ほぼ無名。日本側は急遽参加した豊登以外は山本小鉄、柴田勝久、魁勝司、木戸修、藤波辰巳、そして入ったばかりの新人たち(後のグラン浜田、ミスターポーゴがいたけど!)という具合。1972年4月2日、中学の入学式を向かえる数日前に「所沢日吉町東映跡広場」という会場で観戦です!ここ、今のTOCOTOCO SQUARE(元ダイエー、元イオン)の並びに東映の映画館があってその閉鎖後広場(確か駐車場になっていた)でした。昔懐かしい屋外会場です。ここで間近の猪木さんを観て、なおかつ試合終了後にパンフレットにサインをして頂いた!!(宝物!)この瞬間にもう心はアントニオ猪木命!!
実はこの翌月のこと。
保谷の屋外会場(確か「石泉スポーツセンター」いったいどこだったんだ?野球場みたいな所だった)で日本プロレスを観戦。もちろん猪木さんは居ないわけだが、馬場+坂口の「東京タワーズ」を売り出す頃。外人部隊もジョニー・バレンタイン、ミル・マスカラス(この時、サイン貰った!)、ドン・キング・クロー、ミスター・レスリング(本家ではなくゴードン・ネルソンだったかな)、アール・メイナード、まだ若手だったボビー・ダンカン等々、新日の弱体外人勢とは大違い。
で、試合前の客席後方でリング上の練習風景を暇そうに葉巻をくわえながら見てる馬場さん発見!パンフレットもって「サインください!」、ところがけんもほろろに「あとあと!」と一括されてしまったのだ。
怒った中学1年生(笑)、この一件で私はアンチ馬場になるわけです。皆さんもファンは大切にしましょうね。

翌1973年になると崩壊間近の日本プロレスから坂口征二らが参入、3月から待望のテレビも付いた(NETテレビ=現テレビ朝日)。だが、まだまだ外人ルートのブッキングが弱かったところへ突然のタイガー・ジェット・シン!!
紫のチケットがオープニングシリーズ。カール・ゴッチは帰国していません(笑)でも豊登の名前が無いから、本当に急遽の参加だったのだな。
緑のチケットは1973年の10月。シンが再来日して新宿伊勢丹事件を起こした時だ!左下のチケットはシン初来日の時。これもシンの名前が入っていないので突発参加か。
さて、私も中学生になり思春期で(笑)、ギターも弾き始めたし、パーマと剃り込みも入ったし(笑)等々で小学生の時ほどプロレス1番では無くなってきたのだが、テレビの中継は欠かさなかったし、やはりストロング小林戦、大木金太郎戦、ビル・ロビンソン戦は痺れたなぁ~!
高校2年の時のモハメッド・アリ戦は確か土曜だったので、学校のすぐそばの喫茶店に入りショートホープを燻らしながら生中継を観た記憶がある(土曜は午前中授業、速攻で帰れば家で観れたのに何故喫茶店??)。
二十歳を過ぎた頃にはタイガーマスクが登場して、大新日本プロレスブーム!
この頃はバンドが一生懸命で1番がBLUES、2番がプロレスになっていたけど(汗)、ミュージシャン仲間に意外とプロレスファンが多かった。
一度、渋谷でバンドリハが終わった後、どうしてもワールドプロレスリングが観たくてメンバーたちといかがわしい個室喫茶のような店に入ったことも(笑)。
ドラマーの某O地氏とは、夜中にお互い東スポを片手に深夜の長電話の毎日。
タッグリーグ戦の星取予想を深夜まで激論するなどしてました(笑)
その頃はビデオデッキを持っていなかったのだが、ゆくゆくは購入するつもりだったので、ベースの某K東氏に頼み込んで第1回IWGPの決勝戦を録画して貰った。生まれて初めてビデオテープを買ったのであります。
前述したO地氏とは、随分と新日の会場に観戦しに行きました。
国技館で一緒にブロディ追いかけられたときは本当に怖かった(笑)
あ、この猪木vsブロディの前に、後楽園ホールで公開スパーリングというのも二人で行ったなぁ。
相当、暇人(笑)
音楽活動を離れた後も、よく一緒に観に行きました。最初のドーム(猪木さんがチョチョシビリにKOされた時)やら最初の1.4(猪木vs馳)も行ってるなぁ。
話は前後しますが、大ブームの後にタイガーマスクの引退、長州軍の脱退、クーデター事件等々のピンチが訪れる新日ですが、巻き返しも凄い。そしてこの頃からプロレス団体が増え始め、そろそろ訳が分からなくなってきた。。。
猪木さんは政治家の道へ進み、イラクの人質解放やら北朝鮮での平和の祭典開催など、普通の政治家には考えも及ばない行動を突き進みます。
やっぱり猪木はスゲーや!
本当にそう思いましたねぇ。
そして1998年4月4日の東京ドーム引退試合。
当時、私は会社の労働組合で中央執行委員長という立場にありました。
その日はちょうど春闘団交の打ち合わせ日(土曜でした)。
通常は昼頃集まって昼食をみんなで昼食をとってから打ち合わせに入りますが、その日は職権乱用(笑)、午前中打ち合わせで昼食とって解散!だって猪木さんの引退試合じゃあないですか!!
そしてこの日を最後に、私はプロレスを断ちました。
プロレスは子供のころから好きだったけど、団体が増えすぎてストーリーを追って行かないと焦点が見えない。以前ほど頻繁に見なくなったこともあり、だんだん流れが見えなくなってきたのが大きいが、やっぱり私は熱狂的な「猪木信者」だったことに気づき、仕事もかなり忙しかったこともありプロレスにサヨナラしたのでした。
まぁ、別にプロレス嫌いになったわけではないので、たまたま中継を観たりはするのだけど、如何せん専門誌も東スポも読まなくなったので、興味は薄れていく。
後年、ザ・グレート・カブキさんの店を紹介してくれた友人たちと、また1.4ドーム大会に行きだしたりしたけど、浦島太郎状態。
そんな中、猪木さんはマイペースで次々と突き進んでいく。
凄いな。
猪木さんも
猪木さんの元を2回も出て行った長州力氏、いまや「会長!会長!!」と絶賛。
UWFに出され(?)袂を分かち、その後の猪木批判を続けた前田日明氏もいまや猪木さんの功績を称える。
結局、みんなアントニオ猪木の掌の上で転がされていたのか?
それだけ、でかい存在なんだな。

最後に見た「生猪木」さん。
2019年、ゼロワン奉納プロレスの ”1,2,3,ダァーッ!!”

退場時の猪木さんを追いかけて至近距離まで。
猪木信者の面目躍如(笑)
この頃、だいぶ体力的に衰えてきていることは目に見えて分かったが、この後、2020年頃に難病である「心アミロイドーシス」であることを吐露。
でも、絶対に完治して戻ってくることを皆が思っていたはず。
だから、本当に残念で仕方がない。
猪木さんでも寿命があるんだな、と思い知らされた。
でもやっぱり、アントニオ猪木は神だ!
俺は死ぬまで「猪木信者」を続けるぞ!!
ちなみに
「元気があれば、何でもできる!」
これは、私の座右の銘にしています。