そう、あれは1980年11月26日のことだったので43年ぶりの再会でした。
何で年月日まで?と不思議に思われることでしょうが、それは後程。
昔々、まだ私が二十歳そこそこの頃、高校生の頃から入り浸っていた阿佐ヶ谷のCadillac Baby(店名は「キロンボ」になっていたかも?)というお店で呑んでいたところ、突然1人の男が入ってきた。
当時、日本のジェイムス・コットン・バンドとか和製Jガイルズバンドと呼ばれていた、大阪の『花伸』というバンドのボーカル、宮井操氏である。
なぜ一人で?(ツアーで次郎吉あたりでライブてもあったのか?)それは分からないが、一緒に呑んでいた今は誰も行方を知らないハンマーハープ遠藤達と一緒にぐでんぐでんに呑んだ。
遠藤は土方なので朝が早いので早期退散。
私と宮井くん(あの時は「君づけ」だった)は遠藤のバンドでギターを弾いてた高橋さんの荻窪のアパートに泊めてもらった。
彼の部屋は外階段を上がった2階。私は酔っ払って転び2階の手すりに顔面から突っ込んだ。
今でも鼻の頭にうっすら傷が残ってる(たぶんホントは縫わなきゃいけないくらいの怪我)がオロナイン塗って貰ってバンドエイドの応急処置(汗)
今回、宮井さんにその話をしたが、さすが43年前なので記憶なし(笑)
ただ、阿佐ヶ谷で呑んだのは薄っすら思い出した模様。

そして翌日はローウェル・フルソンの来日公演へ。
だから年月日が分かっているのです。六本木ピットインで鼻の絆創膏を見て吾妻氏や小安田氏に大笑いされた記憶も鮮明です。
あれから43年、その宮井操さんとの再会!
見事によく喋る大阪のおっさんでした(笑)
終演後、旧交を暖め電話番号を交換したので、また機会があったら楽しい事が出来るかも。

スミマセン「はもにかDOJO」の話が出ませんでしたが、宮井さんを呼んでくれたKotezちゃん、ありがとー!!
(この日はKotezちゃん主催の「はもにかDOJO」のライブで、宮井さんはゲストではるばる大阪からやってきたのでありました)



昔と比べてだいぶ細くなった宮井さん。




太郎君との掛け合い。

「天才少年!!」と何度も持ち上げていた宮井さん。




KOTEZっちゃんとの掛け合い。

宮井さんはMC兼務のKOTEZを差し置き、ようしゃっべてはりました(笑)



ステージ全景。

ハーモニカ3人は圧巻ですねぇ。




43年ぶりの再会。

さすがに43年前の写真は無い!




小安田さんも、そうとう久しぶりの体面との事。

彼はなんと1977年の8・8ロックデイを観に行っていたそうです!!
(「花伸」は、その時のグランプリ受賞で、たしか宮井さんはベストボーカリスト賞)

1977年8.8ROCK DAY




荻窪ルースターの入口。



これが証拠の43年前のチケット。

ちなみにマディのチケット、「B列」ってことは前から2番目か!!

この投稿は、2023年10月14日 土曜日に、カテゴリー「Blues after hours (ライブ後記の項), Blues'n Soul (ブルージーな仲間たちの項)」に投稿されました。
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