2008年3月31日の投稿

友人の死を、こういうブログに書き込むことはいいのかどうか。
迷うのなら書かなければいいじゃないか、と言われそう。

ずっと下書きのままでアップすべきかどうか考えていたのだが。
今月号のミュージックマガジン誌に訃報が掲載されたことで、自分自身の中で現実を直視し、一歩前へ進んでいかねばならない、という気持ちになった。
ここ数ヶ月、彼の死が半信半疑であり、またその事実を認めようとしない自分がいたから。

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松井仁さんと出会ったのは、まだお互いが20歳くらいの頃。
私は、ちょうどバンドを解散してベーシストを捜していた。
阿佐ヶ谷の「キャデラックベイビー」で当時マスターをしていたH富さんの紹介で知り合った。
そして同じ頃知り合った、小安田憲司氏、岡地曙裕氏と結成したのが “Little Boy Blue”。

彼はカントリーブルースに造詣が深く、同世代でこの話題で盛り上がれる友人は他にいなかった。
その他、ダウンホームなブルースからニューオリンズ、サザンソウルまで幅広く、奥深く探求されていたので、ずいぶんといろいろなことを教えてもらった。

そのプレイは、ひじょうに安定したもので、なおかつ独特のグルーブ感があり、当時の周りのバンドを見渡しても「松井-岡地」のリズム隊は群を抜いていた。
ベーシストとして、あくまでも「リズム」にこだわり続けた。うわべのテクニックに興味を示さず、音楽の本質である「リズム」をかもし出すための、ステップや体の動きに重きを置いた。ぽっちゃりした体型なのに、背筋力の強靭さはこのポリシーによるものであることは間違いない。


ここ10数年は、すっかり年賀状のやり取りだけになってしまっていた。
本職である大学教授として、東京から新潟、そして京都へと活躍の場を移し、昨年の11月29日あまりにも早い旅立ちであった。
その訃報に接したのが、正月の4日のこと。
詳細がわからないのも手伝い、しばらくは何も考えることが出来なかった。

現在、元Little Boy Blueの3名と、彼の一番弟子と言っても過言ではないLEOさんが中心となり、「なにか」をしようと考えている。
後年は音楽界から離れてしまった彼だが、「松井仁」の音を、映像を、SOULを、後世に残したい気持ちも強い。
具体的な指針ができたら、再度この場でご報告させていただきたいと思っている。


書きたいことは無限にあるのだが、無理に要約してしまったため失礼な表記があったらお許しいただきたい。
不適切な比喩等あったらご指摘いただければ幸いである。


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