昨夜は、”66% NG’s”(メンバーが2/3しかいないので)のリハ。
大塚の HAMON STUDIO は初めてだ。
ドラムの吉田さんが発掘してきた、出来たてのスタジオである。
スタジオの詳細は、NG’sのブログをご参照ください。
なかなか、デッドないい音のスタジオだ。

エルクのベースが見えますっ!


ちなみに、1年前に入手したThinline を今回初めて使ってみた。
ツインと相性がばっちり。
これは使えます!!
ちょっとジャックの接触が悪いようで、たまに爆音が出るが。。。。。


問題は天候である。
前々日まで家族と奄美大島へ旅行へ行っていた、おなじみ「雨男」の工藤ちゃんは、南の島ですっかり運を使い果たしてしまい、雨雲と共に東京へ帰ってきた。
関東地方は記録的な豪雨である。

折りたたみの小さい傘で・・・・・ギターケースはずぶ濡れ。
体もぐしょぐしょ。
靴の中は、ぐっちょんぐっちょん・・・・・。

オーマイガァ〜ッ!!

ところで、大塚の駅に降りたのは何年ぶりだろう。
昨年亡くなった、バンド時代の友人である松井仁さんが住んでいた。
彼は大塚で3軒引越した。
その最初に住んでいた家の前を通る。
懐かしい・・・・・。
でも、ちょっと変わってしまったみたいだ。
あの建物は変わってしまったのかな・・・・・。

ずぶ濡れになりながら、ちょっと感傷に浸る。

よく、焼酎持って遊びに行ったもんだ。
うん、よく泊めてもらったし・・・・・。










工藤ちゃんから奄美大島のお土産をもらった。
どうもありがとう!
大好きな黒糖焼酎だ。
しかも一升瓶で。

黒糖焼酎

一升瓶・・・・・?。

特別出演 いとうこゆきさん


これもいただきました。
「奄美の黒うさぎ」サブレ。
誰かが、「うさぎの肉が入ってるの?」って言ってたが。

うさぎの肉サブレ?

同窓会といえば、学生時代の仲間が集まるだけではない。バンドマンの同窓会だってあるのだ。

前置きが長くなるが・・・。
正月に、良き友人であり尊敬すべきベーシストでもあった松井仁さんの訃報に接したのはすでにお伝えした。
その後、当時のバンド仲間である、岡地曙裕氏・小安田憲司氏・LEOさんらと何かをしようか、ということで会って飲んだりメールをやり取りしたりしていた。
当初、追悼ライブとかも考えたのだが故人を偲ぶにあたりいろいろな問題点もあり、とりあえずあの頃の仁くん(「ひとし」と読むのだが、僕らは親しみを込めて「じんクン」と呼んでいた)が参加したバンドメンバーで再会してみようか、ということになった。その中で、今後すべきことの指針が少しでも示せれば、という思いもあった。


Blues & Soul No.81


1980年代の前半から中ごろ、Little Boy Blue、Chapels、Leo’s Brown Sugar、Tomatos、このあたりが彼が東京で活動したバンドだと思う。
その中から数名、今回来ていただくことが出来た。
場所は阿佐ヶ谷のソウル・バー “Barrel House“。店主の矢野間健氏のご好意でお借りして急遽小さな同窓会を開いたのであった。


久々に集まるのだから、ちょっと旨いものも食べたいよね。
【写真左上】西荻窪「三ツ矢酒店」で買ってきた「初孫」の大吟醸。
【写真右上】岡地氏の米沢土産。米沢牛の燻製。
【写真左下】阿佐ヶ谷界隈で調達した、寿司と刺身。ボイル海老はkyOn氏と小安田氏の予約品。
【写真右下】さぶちゃんが地元御殿場名物のソーセージを差し入れ。ご親戚の法事が東京であり、めでたく?参加できました。


つまみ


岡地氏が今月初めに「春一番」コンサートへ出演したときに、足を伸ばして奈良の松井宅を訪れてくれた。
その時お借りしてきてくれた、ウッドベースを弾く仁くんの写真。かっこいいね。たぶん台の上に立って弾いているんだろうけどw


jin


【写真左上】岡地曙裕氏と戸田龍一夫妻。あいかわらず、素晴らしいボケとつっこみの夫婦漫才でした。K子さんもキャラ変わらずでナイス!レコード、CDをお買い求めの際は、西新宿”WAREHOUSE“をヨロシク。
【写真右上】右から小安田憲司氏、kyOn氏、私。
K「最初、伊藤に会ったときってさ、え〜だれやったかな、プロレスの、あの、グレート、グレート・・・」
伊「グレート・カブキ?」
K「そやそや!そっくりやったなぁ〜!」
ど・・・・・・・どおもありがとお・・・・・・・・・・・・・。
【写真左下】ソウルギターの大御所、北島徹氏とさぶちゃん(仮名)。さぶちゃんは「5人目のLittle Boy Blue」。なぜかいつも一緒に飲んでたね。
6月8日JIROKICHIのライブ(Ebony Soul Revue)ヨロシク!by Mr.Kitajima.
【写真右下】「この写真だけは絶対公開しないでっ!!」そうとう厳しく釘をさされましたが・・・・。だって何だかピースサインがかわいいじゃないですか〜。ごめん!LEOさまぁ〜!


member


当時のライブ映像をみんなで試写会。
うわ!やっぱり仁くん凄いわ!
小安田さん、25年前の自分のプレイにずっと耳をふさいでおります。LEOさん、開き直ってバカ笑い。自分の姿を必死に捜すkyOnさん(たいていピアノはステージの隅。当然暗いので当時のビデオカメラの性能では暗さに同化した黒いkyOnさんしか見えません)。そして一言、岡地さん「オレも・・・」(ドラムセットは見えても、ドラマーまでは光量が届かない・・・)。


え〜〜、で、今後の展望だが・・・・・飲んで食って・・・・・終わっちゃった・・・。
一休みしてから、また考えましょう。
皆様、お疲れ様でした。


さすが皆いい歳なので、つまみも残ってしまった。矢野間さん、ごめんなさい。
そして、かつてよく食べてよく飲んだ仁くんにも、ごめんなさい。


最後は恒例記念撮影。kyOnさんに抱きかかえられた仁くんもいっしょに。
きっと楽しんでくれたと思う。うん、絶対に!


all member


P.S.
今回、一般の方もいらっしゃいますので、サムネイルをクリックしても拡大いたしません。悪しからず。
(あ、俺も「一般の方」やないけ!)
クレームがある方、ご希望あればモザイク処理いたしますw
(LEOさんはダメよ)

友人の死を、こういうブログに書き込むことはいいのかどうか。
迷うのなら書かなければいいじゃないか、と言われそう。

ずっと下書きのままでアップすべきかどうか考えていたのだが。
今月号のミュージックマガジン誌に訃報が掲載されたことで、自分自身の中で現実を直視し、一歩前へ進んでいかねばならない、という気持ちになった。
ここ数ヶ月、彼の死が半信半疑であり、またその事実を認めようとしない自分がいたから。

jin_1

松井仁さんと出会ったのは、まだお互いが20歳くらいの頃。
私は、ちょうどバンドを解散してベーシストを捜していた。
阿佐ヶ谷の「キャデラックベイビー」で当時マスターをしていたH富さんの紹介で知り合った。
そして同じ頃知り合った、小安田憲司氏、岡地曙裕氏と結成したのが “Little Boy Blue”。

彼はカントリーブルースに造詣が深く、同世代でこの話題で盛り上がれる友人は他にいなかった。
その他、ダウンホームなブルースからニューオリンズ、サザンソウルまで幅広く、奥深く探求されていたので、ずいぶんといろいろなことを教えてもらった。

そのプレイは、ひじょうに安定したもので、なおかつ独特のグルーブ感があり、当時の周りのバンドを見渡しても「松井-岡地」のリズム隊は群を抜いていた。
ベーシストとして、あくまでも「リズム」にこだわり続けた。うわべのテクニックに興味を示さず、音楽の本質である「リズム」をかもし出すための、ステップや体の動きに重きを置いた。ぽっちゃりした体型なのに、背筋力の強靭さはこのポリシーによるものであることは間違いない。


ここ10数年は、すっかり年賀状のやり取りだけになってしまっていた。
本職である大学教授として、東京から新潟、そして京都へと活躍の場を移し、昨年の11月29日あまりにも早い旅立ちであった。
その訃報に接したのが、正月の4日のこと。
詳細がわからないのも手伝い、しばらくは何も考えることが出来なかった。

現在、元Little Boy Blueの3名と、彼の一番弟子と言っても過言ではないLEOさんが中心となり、「なにか」をしようと考えている。
後年は音楽界から離れてしまった彼だが、「松井仁」の音を、映像を、SOULを、後世に残したい気持ちも強い。
具体的な指針ができたら、再度この場でご報告させていただきたいと思っている。


書きたいことは無限にあるのだが、無理に要約してしまったため失礼な表記があったらお許しいただきたい。
不適切な比喩等あったらご指摘いただければ幸いである。


jin_2

先週の月曜から風邪っぽく、一昨日の日曜は半日ほど寝たきり中年の体。
昨日も鼻水が止まらず、同僚から「それ、風邪じゃなくて『花粉症』じゃないですか?」といわれる始末。

そう言えば、年々花粉症患者は増えていると言われ、前の年まで何ともなかった人が突然発症するとも聞く。
ついに来たのか・・・・・。

まさに現代病の代表格にまでなってしまった『花粉症』。
花粉症になっていないと現代人ではないのだろうか、と思われるほどである。

これで私も現在(いま)の人!

今朝起きたら妙に暖かな気候。今日は気温が19度まで上がるらしい。
これで、花粉も飛びまくりだろう。

鼻水は治まっていた。

現代人にはなれなかった。

25年くらい前の話。
数人で京都、奈良へ行った。修学旅行ではない。

いままでの人生の中で、たった一度の体験をした。
本場の吉野杉のスギ花粉にやられたのか、『花粉症』の兆候が。

一緒に行った医者の息子であるベーシスト、松井仁氏が
「これ効くで、けっけっけっ」
と不敵な笑いを浮かべてくれた錠剤。

効いた。確かに効いた。
あっという間に、鼻から目から頭からくる不快な症状は消え去った。

あの薬はいったい何だったんだろう?
その正体はけっきょく闇の中。

25
12月

Precious,Precious(Signature)

   Posted by: Masazumi Ito in

Blues Show 1980_posterLOWELL FULSON & LEE ALLEN(1980)

フィリ ップ・ウォーカーに続き、”The Blues Show” の第2弾に来日した2人。
六本木ピットインの楽屋でサインをいただいた。ロウエル・フルソンと言えば大御所。
Reconsider Baby, Tramp, Black Night, Everyday I Have The Blues,などなどヒット曲も多数。
リー・アレンはスマイリー・ルイス、ヒューイ・スミス、アール・キング等々のニューオリンズの大御所達 のレコーディングには欠かせない 存在。 自己名義のWalkin’ With Mr.Leeも有名。


Lowell Fulson
Lee Allen


John Littlejohn - Chicago Blues StarsJOHN LITTLEJOHN (1981)

自由が丘の「サントドミンゴ」というお店でもらった。確か、ステージ終了後の打ち上げ会のようなもので、日米対抗ブルース合戦になった。 小出斉氏の “Kind-hearted woman” にジョンはご機嫌だった。このサイン、よく見ると “John W Funchess” とある。実はこれ本名。文盲のようでこれを書くのに1分くらいかかった。

John Littlejohn - Chicago Blues Stars_2一緒にサインをもらった小安田憲司氏は自分の名前を書いてもらおうと無理なお願いをしたために、
ジョン「君、なんて名前?」
小安田「Koyasudaです」
ジョン「え〜〜っと、K・・O・・なんだっけ?」
小安田「Y!」
ジョン「はぁ?」
小安田「ワイ!」
ジョン「わかった、わかった」
ということで、見事に「To Koyyasuda」となってしまった。更に、アコースティックギターで “Gambler’s Blues” を熱唱しすぎ、ジョンに唾を飛ばすという汚点を残してしまった。


John Lee Hooker, Robert Clay_poster_2JOHN LEE HOOKER & ROBERT CRAY (1984)

 今は無き、渋谷の「Live Inn」の楽屋でいただいた。ロバート・クレイはまだ若手の売出中の前座という感じだった。この後メキメキ頭角を現した。ジョン・リーは晩年だったが、まさに歴史の生き証人という感じだった。サインは、当日会場で売られた「特製Tシャツにしてもらったのだが、経年劣化したのでサイン部分だけ切り取って保存してある。

 
John Lee Hooker, Robert Clay_poster 1984


Albert Collins - Ice PickingALBERT COLLINS & THE ICEBREAKERS (A.C.REED, Casey Jones, Larry Burton, Johnny B Gayton ) 1982

これは思い出に残るサインだ。
九段会館のステージでは会場整理をやらせてもらった。
コンサート終了後、新宿の小田急だったかメンバーと日本側スタッフで慰労会兼打ち上げをやった。
A.C.リードがウイスキー(ブランデーだったかも)の牛乳割りをやたらと薦めてくれたが、どうしても飲めなかった。職人サイドギタリストのラリー・バートンに「あなたのギタースタイルは日本では『シャーカシャーカ』と呼ばれています(彼のストンプでのバッキングは、まさにそう聞こえた)」といったら、ずっと「シャーカシャーカ」と呟いていた。

Albert Collins - Ice Picking_22次会で下北沢の「ストンプ」へ繰り出したら、かなりいい時間にも関わらず、全員が来てくれた。最後にコリンズはみんなと抱擁して帰ったが、怖い顔に似合わず、すごくいい人だった。
このとき、メンバー全員にサインをもらった。かなりの宝物だ。


Barbara Lynn - You’ll Lose A Good ThingBARBARA LYNN (1984)

いとしのバーバラ様のサイン入りLP2枚とサイン入りTシャツ(切り抜き)。
バーバラ・リンが単独で来日、ブレイクダウンと日本ツアーを行ったのは1984年のこと。
日比谷野外音楽堂の楽屋でいただいた貴重なサイン。
上のjamie盤はすでにこの頃にはほとんど流通していなかった。天才ベーシスト、松井仁さんから売っていただいた(彼は2枚持っていた)これまた、貴重な品にサインしてもらった。。
この時、楽屋でみんなで写真を撮ったりしたのだが、手元にあるのはなぜかLEOさんとの2ショットのみ。
誰か持ってませんか〜?

Barbara Lynn - Here Is
Barbara Lynn pster_japan_1984


Irma Thomas 1987IRMA THOMAS (1987)

大好きなニューオリンズのソウル・クイーン、アーマ・トーマスの初来日の時、青山のCAYの楽屋でいただいた。
やはり一緒に行ったLEOさんはアーマのレコードをたっぷり抱えて行ったのだが、私は不覚にも手ぶら・・・・・。しようがないので、着ていた黄色いシャツの背中に書いてもらった。
少々、薄くなってしまったが To “Ito” love from Irma Thomas”と。当時、もう40代半ばのアーマだったが、妙にかわいかった。

Irma Thomas 1987_2


Slim Gaillard - Dot_3SLIM GAILLARD (1987)

まさか、あのスリム・ゲイラードが見れるとは!
たしか、吾妻光良さんから「おいっ!伊藤!!スリム・ゲイラードが日本にいるぞ!!!」という電話をいただき、当時日本盤が出ていたDOT盤とバム・ブラウン、レオ・ワトソンとやってるHEPの6番をかかえて、お忍びでやってくるかもしれないという高円寺のライブハウス「次郎吉」(現「JIROKICHI」)へ向かった。

Slim Gaillard - Dot_2詳しい内容は吾妻さんの本に書かれてあるが、スリムが飛び入りで演奏したあと2枚のLPにサインしてもらった。
わたし「す、すみません、お願い、サイン、書いて、このレコード」
スリム「ほー、この裏は日本語かい?どれが”SLIM GAILLARD”て日本語かな?」
わたし「はい、これです、これです」
と、左上の部分を指差すと、その上のあたりに赤マジックで何やら書き始めた。
ス リ ム ・ ゲ イ ラ - ド
スリム「は〜っはっはっは!!どうだ、上手だろっ!」
いかん!これでは子供の落書きだ。
英語でも書いてとお願いしたら、よかったよ。書いてくれた。冷や汗ものだった。

Slim Gaillard - Dotおまけに表にも ”Votorou〜” (ヴォトルゥ〜)と書いてくれた。
写真にはないがHEP盤にも ”Slim Gaillord Vot” と書いてくれた。
いやーホントに愉快なおじいちゃんだった。


Steve TomashefskySTEVE TOMASHEFSKY(1980 or 1981)


デルマーク・レコード(Delmark)の重鎮、スティーブ・トマシェフスキー氏のサイン。ジョン・リトルジョン来日の時に貰ったような気がするが、記憶が定かではない。ひょっとしたら、ロウエル・フルソンの時かもしれない。親日家のスティーブ氏。ちゃっかり日本語のサイン。上記、スリム・ゲイラードさん同様に、子供の落書きではありません。ちなみに、西荻窪にあったレコード店、ティア・ホアナ(一部では異常に有名なお店でした。私の溜まり場でもありました。)の袋(この袋も貴重?)の裏に書いていただいた。

 



Louis Jordan

このLPはミッキー・ベイカーのギターが炸裂する、1956年にリリースされたMercury盤。
ただし、2ndプレスのMercury Wing盤なので1962年頃の発売と思われます。



>
このレコード、小出斉さんに頂いたのですが、なんと裏面にサイン入り。
どうやらこのLPの最初の持ち主はBobさんだったもよう(笑)

1962年㋈13日の日付。
おそらくリイシューされたばかり。
「LP発売記念ライブ」なんてやったのでしょうか???









20
12月

4 Guitar In My Hands

   Posted by: Masazumi Ito in

My Instruments のページです。


GIBSON ES335TDC (1966)

クラウン・インレイが、まだ2,5弦ペグの上部に位置していたころの335TDCです。
フレットはリフレットされていますが、他はオリジナルのまま。
ボリュームのAカーブが少々劇的過ぎるのが調整しずらいところではあるものの、音は良き時代の335そのままです。
ブリッヂの駒もオリジナルの樹脂製が生きている。
ネックも60年代後半のナローネックになる前、適度に細い感じで手のフィット感がたまりません。
残りの人生考えて(笑)清水の舞台から飛び降りて購入したのだが、一般的な販売価格より30万円以上は安価で入手。
お得ながら貴重な1台です。
購入後、一度P90に載せ替えたと思われるネジ穴を発見。
2023年、ブリッジを1970年代のブラス製に交換。(GOLDのABR-1)



GIBSON ES335TD (1970)

335のチェリー、1970製と思われます。
ある日のヤフオクで1971年335が出品されていた同日に、ほぼ同時刻終了の何年製とも記載のないこのギターを発見。
まあ冗談半分で安値入札(笑)
ところが1971年製はオークション終了間際にあっという間に20万越えで30万突入~!
あれ?こちらは誰も入札なしで落札!!見事に影に隠れて終了した模様(汗)
年代の記載が無いながら、どう見ても70年代初期モデルなのに~
ちなみにシリアルナンバーは905XXXなので1970年製でした。
改造箇所は多々あるようです。
リフィニッシュのチェリーレッド(実はチェリーの335が1台欲しかった。。。)
テールピースも交換済み(実はストップテールピースの335が1台欲しかった)
ピックアップは Gibson 57Classicに、ペグはシャーラー製のクロームタイプに交換されていますが、良く鳴ります。



GIBSON ES335TD 1977GIBSON ES335TD (1977)

大学に入った夏休みに購入。以来30年に渡ってのメインギター。
ネックは握りやすいし、弦高もちょうど。まさにフィット感と言ったら最高。
1984年頃、シャーウッドギターワークショップの太田信之さんに依頼して、ペグをグローバーに交換。なぜかピックアップをディマジオのスーパーディストーションに。パワー倍増のハードブルース仕様になる。
2007年秋、再びシャーウッドさんでオーバーホール。フロントピックアップがダメになっていたので、中古品に交換。太田さんに言わせると「サイコーのネック」だそうである。


Gibson ES335TDW 1970GIBSON ES335TDW (1969〜1970)

シリアルナンバーが「9」で始まる6桁。ということは1968年製、もしくは1970〜1972年製である。これが定説。
ただ、いろいろと調べたところ、1969〜70年製の可能性が大と推測される。
1. ウォルナットカラー(1969年途中より)
2. ネックは3ピースのマホガニー(1969年途中までは1ピースネック)
3. ボリュートがない(1969年途中よりボリュートがつく)
4. ペグに「Gibson Deluxe」の刻印(1970年頃より?)
5. ヘッド裏に「Made in USA」の刻印なし(1970年頃から入る)。
6. Fホール内のオレンジラベル(1970年途中よりクローバー型)
7. ピックアップ裏のパテントナンバーが黒のシール(1971年製より刻印)
この時期のシリアルはかなり難しく、その番号と個体の形状で判断するしかない。上記は時系列に並べてみたが、ちょうど2と3の間に位置すると推測される。USAのサイトで1969年製のウォルナットカラーモデルで黒の切替スイッチを発見!これか!?その他、コントロールノブとポッド、テイルピースとブリッジは近年物に交換されている。
★2019年11月 中村サトル氏(ウシャコダ)に売却済。


GIBSON L-10 (1935)

昭和10年製のアーチトップギターです。
たいへん廉価にて入手、おそらくヘッドのロゴがかすれているからか?(ちゃんとgibsonと判読できますが)
これもハコものギターの第一人者シャーウッドギターワークショップの太田さんに調整してもらいました。
当初、不思議なテスコ製のピックアップがおまけで付いていたのですが、これ昔々のデュアルモンド製の外付けピックアップのコピー品とのこと。このテスコ製もたいへんレアものらしい。
ミニジャック仕様をFホールからコードをボディ内へ通して、ボディサイドに標準のジャックを付けてもらう。
バイパスでミニジャックも使える仕様に。
見た目はオリジナルに程遠く(笑)、しかも改造の感じが50年前みたいな風情。
それが良いのです~!!

ちなみにヘッドのロゴは戦前のスクリプトロゴ、ボディは17インチでアンプ通さずとも良く鳴ります。




GIBSON SG SPECIAL (1973)

下記にあるGIBSON SG SPECIAL(1996)に差額を乗せて入手した、1973年製の改造モデルです。
本来はミニハムバッキング・ピックアップ2基搭載ですが、オリジナルの1基をフロントとセンターに、新たにセイモア・ダンカンのハムバッキング・ピックアップ(着色有り)をリアに搭載の3マイク仕様です。
セレクタースイッチはRhythmポジションがフロントピックアップ単体、センターのポジションはフロントピックアップとセンターピックアップのミックス(また、このポジションではボリュームノブが各ピックアップのバランサーになっている)、Trebleポジションはリア単体になるという面倒くさい代物。

まあ滅多にないですがブルースロック仕様という感じで。



こちらは、上記のSG SPECIAL 1973 を2023年に改造したもの。
ミニハム2発のうちのセンター側を GIBSON 57CLASSICに交換、ハム-ミニハムーハムの並びに変更。
ちょっと分かりにくかった回路も、フロント、センター、リアの各単独出力にして、リア用のボリュームとトーンはダミーにして、フロント側で全て調整できるようにしました。
これ、分かりやすくて良いです(笑)




GIBSON SG SPECIAL (1996)

毎年定期的に行なっている、中学、高校時代の同級生とのセッション。この時だけは、ブルースじゃなくてロックになってしまいます。しかも往年の。。。
マーシャル直結のブリティッシュ・ブルース・ロックね。

で、その為に購入したといっても過言ではない Gibson SG Special。

ヤフオクにて次点落札ということで4万ちょっとの激安値。これなら、万が一売却したときも元が取れるだろうと思い購入。
2000年以降の廉価Gibsonは相当に作りが悪いので、出来ればそれ以前の年代を狙っていたので満足いくギターである。
ちなみに、昔は20万以下のギブソンなんてなかったなぁ。
ちなみにフロントピックアップはセイモア・ダンカン、ペグはグローバーに変更されています。

2014年11月売却



FENDER (USA) Musicmaster (1957)

この年代のヴィンテージ・ギターとなると100万円超えはざらである。
が、超激安値にて入手。
この同等品は日本の楽器店では、まだまだ安く入手できるとは思うが、やはり30万円前後はする。

元はと言えば、ショートスケールの子供向けモデル。
が、作りは当時のストラト同様の1ピースネックであり、この1957年まではVネック。
「ゴールド・アノダイズド・アルミ・ピックガード」が時代とそぐわない感もあるが、正真正銘のオールド・ギターである。
指板の黒ずみも風格を感じさせる。

ちゃちな感じのシングル1発ではあるが、意外と太いサウンドが魅力。
ちなみにケースもオリジナルである。




FENDER (USA) Duo Sonic Ⅱ(1965)

2007年11月に49歳の若さで急死した友人ベーシスト、松井仁氏(ex. LEO & CHAPELS, TOMATOS, etc)の遺品である。
彼とは二十歳頃に知り合い LITTLE BOY BLUEというバンドで何回もライブを演った。
BO GUMBOSも彼がいなかったら誕生しなかっただろうと言われている。

このギターは、彼の奥様から譲り受けたもので、ほぼオリジナルのまま。
かなり年季が入っていて、一旦オーバーホールしたものの、フレットが再度擦り合わせないといけないかもしれない(Dead Pointあり)。

★2024年3月再リペア
フレット交換とポッド洗浄、ちょっと6弦側に傾いていたネックを矯正。
これでしばらくは弾き倒せます!


Fender Japan Thinline
FENDER (Japan) TN-93SPL (1997~1998)

フェンダーはどうも昔からネックが好きになれず、敬遠気味だった。
ただ、テレキャスかシンラインは欲しかった。ということで最近のシンラインを入手。といっても、もう20年前の作か。

邪道と言われるかもしれないが、3ピックアップ。ハム1基とテキサススペシャル2基搭載。
バリエーションも多数で、けっこうオールマイティ。オマケに軽いのがいいね。もう歳だし。


Fender DuoSonic 1995-1996 (Mexico)
FENDER (Mexico) Duo-Sonic (1995-1996)

今では “Squier” でしか生産されなくなった Duo-Sonic。1956年から10年ほど製作された後は、Duo-Sonic Ⅱやムスタングに受け継がれるが、一時期メキシコのFender で再生産された時のモデルである。
スチューデント・モデルのショートスケール。かなりテンションは柔らかめで重量も軽い。
取り回しがよいので結構気に入っている。

DUO-SONICは、ある個人的な理由で気になるギターだった。
一部、ステッカーの剥がした跡などが見受けられるが、これはそのうちきれいにするとして、とりあえず音はまあまあ。。
メキシコものも意外に馬鹿にできないようだ。


FRAMUS Caravelle 1968FRAMUS (West Germany) Caravelle (1968)

335をリペアに出していた1984年頃、シャーウッドギターワークショップに数回通っていたときに吊るしてあったFRAMUSが2本あった。
太田さん曰く「フラマスって知ってる?ドイツのギターでね。日本で使ってる人はあまり見ないね。ブルーコメッツの頃、三原綱木が弾いてたかな」。その2本のうちの1本を安価で譲っていただけることになった。
高級ギターではないが、それなりに渋みがあり、いい感じ。
何回かライブで使ったがハウリングがひどく、音量を上げることがあまり出来ず、最後にはマーク・ファーナーじゃないがFホールにガムテープを張って出陣した。
ちょっとネックが反ってきたのとハイポジションのバインディングが剥がれてきたので、そろそろオーバーホールの時期だろうか。
なんとかもう一度ステージで使いたいギターだ。
ちなみに、トレモロアームがある唯一のマイギターです。


HARMONY Rocket H53 1965HARMONY (USA) Rocket H53 (1965)

アメリカの廉価メーカー、HARMONY社製ワンカッタウェイのフルアコである。
ボディは薄めの125タイプ。
お世辞にもいい木を使っているとも思えないが、経年劣化が渋く、音も暖かみのあるサウンドである。
この H53 というモデルは、1959年から1967年の間に作成されたもの。
シリアルから作成年を特定できなかったが、DeArmond製(!!)ピックアップを外すと裏面に JUN, 1, 1965 の作成日が。おそらく同年に作成されたモデルであることは間違いないと思われる。
このDeArmond製のピックアップが、シングルのくせに凄いパワー、とくに中低音の鳴りが凄い!
ネックは太め。状態は良く、ネックの反りもなし(というか反ったら調整できないロッド無しタイプ)。
比較的音量の控えめなライブで使用してます!


Epiphone Riviera 1978
EPIPHONE (Japan) Riviera (1970′s)

ダブルインレイに黒ピックガード、ハムバッキングとオリジナルとはかなり相違点が。
塗装は一度はがして、うす塗りラッカーで処理してあるため、生鳴りは驚異的。

2007年12月にピックアップを Gibson 57Classic に交換してからは、アンプを通す音も極上に(写真は交換前のもの)。335より丸い感じのサウンド。
いつの日か白のピックアップを付けて、オーティス・ラッシュを気取りたい。


Epiphone Flying VEPIPHONE (Korea) 1958 Korina Flying V  (1998)

高校生の頃、周りのみんなが持っていたギターは必ずと言っていいほどレスポールかストラトキャスターだった。
と言うか、みんなジミー・ペイジかリッチー・ブラックモアだったが、ちょっと志向が違う私は、335のコピーモデルだった。
そんなセミアコ派の私もソリッドギターに触手を伸ばしたい気持ちもあったが、みんなと同じはイヤ!昔も今もアマノジャク。で入手したのが、このフライングV。
フライングVと言えばヘビメタの代名詞みたいだが、かのアルバート・キング先生もVで有名。おまけに軽いし、ハイポジションの弾きやすさといったら他の追随を許さない。
しかもコリーナだっ!(というか実はコリーナ材はあまり希少な材という訳ではなかったりして・・・)
GIBSONの立体デカールは愛嬌で1950年代仕様(笑)。ただネックも50年代らしい太目のグリップである!
遠くから見れば1959のVと間違うぞ。
 


Epiphone FirebirdEPIPHONE (Korea) Firebird (1997)

フライングVの項でも書いたように、ソリッドギターはちょっと変わったモデルが好きだ。
ファイヤーバードは、SG同様ネックがだんだん下がってくるので弾くにはちょっとコツが必要。立てかけておくこともできないので、良く考えるとずいぶんと不便なデザインだ。
ちょっとネックが反り気味で弦高が高いのがマイナス材料だが、音は良い。ミニハムなので、極力歪みを少なめにすると、ゲイトマウス・ブラウンのようなトリッキーなカラッとしたサウンドが出る。
バンドメンバーの評判も良く、もうちょっと手を加えて弾きやすいようにしたいと思っている。


Ibanez GB10IBANEZ GB10 (George Benson Model)  (1979)

この頃はまだ「イバニーズ」と呼ばれていたジョージ・ベンソン・モデル。
入手までの経緯はちょっと長いので、こちらのページをご参照ください。
リンクページにあるように、ピックガードがモロモロに。
シャーウッドギターワークショップにて3ヶ月の入院。
ピックガードは新品に交換、ポッドも瀕死の重傷で総取替。
バインディングも貼り直してもらい、ちょっと高価な入院代。しかしながら、コンパクトなフルアコ仕様でネックも弾きやすい。
 




Fender ??? TelecasterFENDER (???) Telecaster

はっきり言って FENDER ではありません。知人より、タダ同然で奪ったギター。
ヘッドのデカール FENDERのスパロコだが、なぜか22まであるフレット。弦もボディ裏から通すタイプではない。
調べてみると、そのようなタイプもあるようだが、このカラーはちょっと怪しい。ネックの形状も怪しい。ちゃんとFマーク入りのネックのジョイント金具を外して中を確認・・・。
これは FENDER ちゃいまんねん。チューニングが合わないペグは Goto 製に交換。
意外に生の鳴りは良く、スタジオで音出しした時も悪くはなかった。
ネックの形状が怪しいというのは、フェンダーらしからぬ、ということで私の手にはけっこうフィットしている。よし!使えるぞ!!
 


NORMANORMA (Japanese Vintage)  1960′s

NG’sのリハ後の居酒屋にて酔っ払った勢いで、ヤフオクで落札したビンテージもの。
まず、異様な軽さにびっくり。なんと2kg。中は空っぽのフルアコ仕様。思いっきりハウりそう。
そして、このギター、リペアしないと使えない。
12フレットで6mmという超ハイ弦高に木製のブリッジは刻みがガタガタで、強いピッキングをすると弦がはじけてズレてしまう。
当分デビューの機会はなさそうだが、デザイン、カラー共にとても気に入っている。しかし、ちと実用性に欠けるかな・・・。

2009年12月売却
 


ColumbiaCOLUMBIA (Japanese Vintage)  1960′s

昔はいわゆる電気メーカーがエレキギターを作って販売していたようだ。
高度成長期の時代、安い賃金で、安いエレキを作って外国へ輸出していたようで、言わば現在の中国で安価なギターがどんどん生産されている状況に似ている。残念ながら、このギター音が出ない。ということで、これもリペアが必要。
タダより高いものはない、ということか。

2009年7月売却


 


Unknown Japanese Vintage GuitarUnknown Japanese Vintage Guitar (1960′s)

これは音は出ます。
メーカーもわからない。テスコのようなフォルムだが “Made in Japan” の表記意外は全く手がかりなし。
ネックは相当太い。
別名「大リーグボール養成ギター」。これを毎日2時間、1ヶ月間みっちり弾き続ければ、握力倍増は間違いなし。 
音?思いっきりチープな好みのサウンドです。

2009年12月売却
※売却後に Kawai製と判明
 


木曽ギター

日本弦楽器 木曽ギター No.950(?)
詳細は不明だが、長野県の木曽福島にあった「日本弦楽器株式会社」というバイオリンやギターなどを製作していた会社の製品。
1960年代の作と思われるが、全く謎。
薄めのワンカッタウェイ。ネックは相当反っていて、アイロンをかけない限りは修復不能(ロッドなし)。残念ながら、使えそうもない。
ルックスはたいへん気に入っているのだが・・・・・。

2009年8月売却



NARDANNARDAN No.150 (?) ピックギター

現在の「ナルダン楽器」は大正琴の老舗メーカーとして有名だが、その昔(戦後から1970年代前半?)はギターも製作していたようだ。
このピックギター、弦高も高く、チューニングもなかなか合わず、限界が見えているのだが、アンティークなフォルムが捨てがたい。

2009年8月売却



ギャラン 335モデル

今は亡き、初めて買ったエレキギター(1973年ころ?)。
回りはストラトやレスポール全盛の時代。
ブルース思考の少数派が購入したギターは335のモデル(と言っても、実はアルヴィン・リーに触発された??)。
ギャランは共和商会というメーカーが作っていた。中学高校時代はずいぶんお世話になった。
本物のギブソンを入手してからは、弦高を上げてスライドギターの練習用になったが、全く腕は上がらなかった。
今思えば、いいギターだった・・・・・。
自宅が道路計画に引っかかり、取り壊しになるので不要の家財も置いていっていいよ、と言われショベルカーに潰されたと思われる。
今更ながら、少々後悔気味。
2004年廃棄処分

写真は高校3年のクリスマスコンサートより。



travis bean tb500TRAVIS BEAN TB500

なぜこんなギターを買ったのか・・・・いまだに良くわからない。
1970年代の一時期にあった TRAVIS BEAN というメーカー。
何が凄いって、ネックがアルミなのである。
冬は冷たい。
握る手が冷たい・・・・・。

大学のころ、吉祥寺の三鷹楽器で10万円で購入。ツボにはまると強力だが、やはりちょっと・・・・・。
この写真はイメージ画像。実際は真っ黒のギター。

下の写真は、このギターで唯一のライブの画像。この時の音源は誰にも聞かせられないかもしれない。
購入から数年後、やはりアルミと木が合うわけもなく、指板が剥がれてきたので応急処置で貼り付け、紹介で水道橋のイケベ楽器に委託で出した。

全く売れる気配もないころに、個人で「ギターの交換ができないだろうか?」という人が現れ、その方の IBANEZA GB10 と交換するに至った。

今では一部の方々からプレミアがついているようだが、やはり私にはちょっと厳しいものだった。

う~ん・・・結局、結果オーライ?



最近(2023年)オークションで42万円で落札されているのを発見。
これはその写真を無断掲載。

私の持っていたTB500もブラックだったので、ほぼこれと同じものだと思われます。





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